三章 呪われるバースデー 3—1


 3



 蘭の実家は地下鉄丸太町駅から、徒歩数分。

 御所にほど近い情緒ゆたかな京町家——なんてものじゃない。

 築地塀にかこまれた、純和風の大豪邸だ。


 それもそのはず。

 先祖は公家。現在の当主と、その跡取り息子は府庁勤めの超エリート。

 市内にいくつもマンションを所有するオーナーでもある。


 猛たちは家政婦の案内で、旅館なみに美しい庭園を見渡す客間に通された。

 三村が「犬神家や」と、つぶやく。ムリもない。


「東堂くん。今日はわざわざ来てくれて、おおきに」

 客間には、すでに当主の九重武文がいた。京都の旧家の主人にふさわしい着物姿だ。


 蘭を介して、猛とは知己だ。

 ふだんはスーツなので、高価な紬をなんなく着こなす姿を見ると、ステータスの高さに、あらためて気づかされる。


 しかし、九重氏は横柄ではなかった。

 三村の心の声を聞いても、きさくに笑っている。


「近くに湖はないですがね。三村さんですね。蘭から話は聞いとります。息子と仲ようしてくれはって、ありがとう。まあ、こっちに来て、すわってください」

「いえ、こちらこそ、なんちゅうか……よろしく」

 緊張のあまり、三村がモゴモゴ言う。


 そのあいだに、猛は遠慮なく、すすめられた座布団に、あぐらをかいた。


 向かいの席には、見知った顔がある。猛を見て、渋い顔をする。

 栗林刑事だ。今日はもう一人、年配の刑事も同伴している。


「君たちも来たんか」


 あいかわらず、栗林刑事は、猛に不快感をしめした。最初に偽証したことが、よほど印象を悪くしたらしい。


「こういうことは警察に任せてくれと言ったはずだがね」

「蘭に個人的に、たのまれたんですよ。息子が父親を心配するのは、あたりまえでしょ?」

「捜査のジャマだけはしないでくれ」

「もちろん」


「まあまあ、ええやないか」と、あいだに入ったのは、年配の刑事。

 ぽっこりとお腹のでた、信楽焼のタヌキみたいな人物だ。

 蘭から聞いたことがある。以前、蘭を聴取した畑中という刑事だ。

「助っ人は多いほうがええよ。東堂さんは、こう見えて柔道の達人やからね」


 なんで、そんなことを見ず知らずの刑事が知っているのか。


 すると、畑中刑事は続けて言った。

「そして、人探しの達人でもある」


 猛は察した。

「本間さんから聞いたんですか?」


 本間は猛の個人的な知りあいだ。猛が高校生のころ、ぐうぜん念写に写った殺意から、ある事件を未然に防いだ。

 そのときの担当刑事である。

 本間は猛の特殊技能のことは知らない。が、便利なせいか、生い立ちに同情したのか、たまに家出人捜索の依頼を事務所にまわしてくれる。


「本間は、うちが近所なんですわ。よう刑事ごっこしたもんや。二人とも、ほんまの刑事になるとは思いませんでしたがな」


 畑中刑事が本間の友人だったことは幸運だった。

 運ばれてきた茶菓子を前に、それとなく捜査の進ちょく状況を話題にすることができた。


「そういえば、八波の身元は、わりだせましたか?」

「いや、あかんな」


 栗林刑事が苦い顔をする。


「畑中さん……」

「まあまあ、ええがな。本間の言うとおり、人探しの達人なら、得意の技で八波の居場所つきとめてもらいたいもんや」


 じつは、それは、これまでに何度か試してみた。


 八波の言うSFみたいな話の真偽はともかくだ。

 八波が真相に、もっとも近い位置にいるのは間違いない。とらえて吐かせることができれば、それにこしたことはない。


 でも、いつも、写るのは……。


 暗闇のなかに、光りかがやく、蘭の姿だ。

 よほど強く、八波の心に、蘭の存在が、しみついているのだ。

 二十四時間、蘭のことだけを考え続けているのだろう。


 いくらストーカーだからって、ふつうは、もうちょっと違うものも写るはずだ。

 今夜、食べるものとか、明日の予定とか、風呂に入ろうとか。

 あるいは子どものころの思い出が、ふっと、よみがえることだって。

 いかに自分は蘭だと本気で信じこんでいたとしても、じっさいの記憶までは、ごまかせない。


 なのに、過去につながるものが何も写らない。

 たぶん、八波が自分の存在じたいを消したいと強く思っているからだ。

 蘭のなかに自分を消し、蘭だけを思い続ける。そうすることで、何かから逃れようとしているように、猛には思えた。


「おれの方法でも、今のところ、手がかりがないんです。だけど、八波はあの風貌です。市内に住んでるなら、目撃証言は多いはずですよね?」


「それが、ふしぎとないんや」


 家族か誰かが八波の生活を援助しているということか。八波が外を出歩かなくてすむように。


 九重武文が暗い顔をした。


「なんで、うちの蘭が、こんなめにばっかり、あわなあかんのや。不憫な子や。次から次に、おかしな連中に、つけねらわれて」


 猛は父を十一のときに亡くした。

 子ども心に覚悟はしていた。

 東堂家にかかる呪いの話は父から聞いていた。

 自分のまわりで起こる死が、学友たちの家庭とは違いすぎることには気づいていた。

 いつか父や母も逝ってしまうかもしれない。そう思っていた。


 でも、心の底では信じていなかった。信じたくなかった。

 それでも、そのときは来た。あまりにも早く。


 蘭を思う武文の気持ちには、あのころの猛の不安な心情に通じるものがあるように思う。

 いつか来るかもしれない早すぎる別れを予見するような。

 今日? 明日? いや、そんな日は来ない。来ないでほしい……。


 きっと、武文の心中も猛と同じだ。


「九重さん。ああ見えて、蘭は強い。精神的にも、運も。心配ありませんよ」


 武文は、ほのかに笑みを見せる。そのとき、フスマの外で声がした。蘭の兄、武臣だ。

「お父さん。ちょっといいですか」と、猛たちをにらみつつ、武文をつれだす。


「聞いとったとおりやな」

 らでんの和ダンスのスケッチをしながら、三村が笑う。


「ああ。弟嫌いだっていうのは、ほんとらしい」


 蘭の友人だから、猛たちも、うとましいのだ。なにしろ、蘭が実家に立ち入ることさえ許さない。


「うちと大違いだな。おれなんか、かーくんがいなかったから生きてけないよ」

「せやろな。第一、あんた、メシ作れへんやろ」

「うーん、あれはな。最初に失敗したんだよ。親が死んでションボリしてる、かーくんを元気づけようとしてな。好物のホットケーキを作ってやったんだよ。これが、みごとに、まっくろコゲ。おれって、たいがいのことは一発でできるほうだったんで。それで、ひるんだ。臆したおれを見て、かーくんが、けなげに小麦粉と格闘してくれたんだ。その姿が、もう可愛くて、可愛くて。なんていうか、メロメロ? おれが泣いて喜ぶのが、本人も嬉しかったんだろうな。それからというもの、進んでキッチンに立つようになった」

「やめてんか。あんたんちのエピソード、泣けるねんて」


 涙ぐみながらスケッチする三村の手元を見る。造形が専門というが、絵も、そうとう、うまい。


「おまえ、絵でも食っていけるんじゃないか?」

「あんなぁ。こんぐらい、美大生なら誰でも描けんねん」

「そうか? これなんか、絵ハガキにはってもいいと思うけどな」


 猛は三村のスケッチブックをパラパラめくった。

 数ページ前に、清水寺で張りこみしたときのスケッチがあった。鉛筆の上から、カラーペンで着色されている。


「これ、蘭か?」


 石だたみの坂をコートのえりで顔をかくすように歩く男が、手前に描かれている。

 三センチたらずだが、髪型などから、蘭だということはわかった。


「あんたら、まいて、帰ってきたときやな」

「小物も、みんな、あの日のままだよな?」

「絵的にあわんから、マスクとメガネは描かんかったけど。それ以外は見たまんまやで」


 なんだろうか。違和感を感じる。

 もちろん、あれは蘭本人ではなく八波だった。だから、違和感があるのは当然といえば当然だが。


 三村のケータイに電話がかかってきたのは、そのときだ。


「ウワサすれば、かーくんや」

 という三村の声に、かぶさるように、切羽詰まった薫の声が聞こえた。

「蘭さんが——蘭さんが、さらわれた!」

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