三章 呪われるバースデー 2—3

 *



 この日、僕は蘭さんとマンションに残った。猛と三村くんが九重さんの護衛に行く作戦だった。


 もちろん、九重さんには警察の護衛もつく。家から出なければ、いかに八波が変な魔法の力を持ってても、何もできないはずだ。


 ふだんは横着だけど、猛は、ここぞというときには活躍するしね。


 朝七時に起きて、猛たちはマンションを出ていった。今日は夜の十二時まで、みっちり九重さんに、ひっついてる予定。


 なので、猛は出てくとき、心配そうな目をして言った。


「じゃあ、かーくん。兄ちゃん、行ってくるからな。くれぐれも留守をたのむぞ」

「ふーんだ。行けばいいよーだ」

「まだ、すねてるのか。かーくん、いいかげん、兄ちゃん、へこむぞ」


 僕は井上さんをけなされたこと、まだ根に持ってるのだ。

 井上さんは、そんな人じゃないんだからな。猛のほうが、まちがってるんだ。


「猛なんか、いなくて清々するよーだ」

「かーくぅん……」


 そんな悲しそうな目、するなよな。うーむ。まあ、反省したようだから、そろそろ仲直りしてやるか。

 今夜は猛の好きな手作りギョウザかな。帰ってきたあと、きっと夜食がほしくなるはずだ。


 猛たちが出ていってまもなく。蘭さんが起きてきた。朝が苦手な蘭さんにしては、めずらしい。


 ちなみに、赤城さんは朝イチで東京に帰った。したがって、マンションには、僕と蘭さんの二人きり。


「おはよう。猛たち、出てったよ」

「なんとなく、目がさめちゃった」

「お父さんが心配なんだね」

「父は自宅から出さえしなければ、安心だと思うんですけど。ただ、そうなると、日記の予知が外れたことになるでしょ? そのとき、八波は、どうするかな。すでに二人も殺してる男だから、もっと狂的な手段に出なければいいと思って」


 もっと狂的って、どんなだろう。考えるのが怖い。


「早く捕まえてもらわないと、こまるよねぇ。警察は、まだ身元がつかめないのかな」

「八波は完全に偽名でしょうからね。僕の名前のパロディだ」

「だよね。だけど、名前がわからなくても、あれだけ重度のヤケドなら、どっかの病院にカルテとかありそうなもんなのに」

「京都の病院とは、かぎりませんよ。八波が、もともと他県の人間なら」

「そうか。もしかしたら、ずっと前から蘭さんに目をつけてるってこともあるのか。東京から追ってきたとか」

「まあね。僕は三年、ひきこもってたから、見られてることに気づかなかった可能性はありますね。それにしても、八波って、そんなに僕に似てますか?」


 あれっ? そうか。まだ、蘭さんの前には出てきたことないのか。


「間近で見ると、もちろん、ぜんぜん違うよ。あのヤケドだからね。でも遠目だと、背格好が、すごく似てる。足の長さとか、背中の形とか。それに、なんていうのかな。歩きかたとか、しぐさとか、蘭さんっぽいよ」

「ふしぎだな。さっきも言ったけど、大学出てから、ずっと、ひきこもってたでしょ? 大学生活も顔をかくしてたし。いったい、いつ、僕のそぶりを観察したんだろう」

「うーん、あんがい、蘭さんの昔の知りあいだったりして」


 なにげなく僕が言うと、蘭さんは考えこんだ。


「蘭さん。朝食、たべるよね?」

「トーストとコーヒーを」

「ゆでたまご、あるけど」

「じゃあ、ひとつ」


 僕と蘭さんだけだと、食事の風景も静か。なにしろ、猛にオカズをうばわれる心配がない。ミャーコだって腹毛見せて、くつろぎモード全開だ。


 朝食のあと、蘭さんが言った。

「僕、今日は原稿、書きますけど、いいですか?」

「じゃあ、僕は蘭さんが昨日、読んでた本、借りようかなぁ」

「犯人、僕なら、あいつにしてやるんだけど——」

「言わないでぇ」


 蘭さんは笑って書斎に入っていった。


 あ、しまったな。昼ごはん、何にするか、聞いとくんだった。


 前に一回、執筆中にドアあけちゃったことあるんだけど、いやぁ、あのときは怖かった。

 なんかハードなスプラッタシーン書いてたらしく、蘭さんの目が、らんらんと輝いてた。エモノを追いつめた猛獣の目っていうか……。

 二度とあの部屋のトビラは開けまいと、僕は誓った。


(ま、昼は野菜炒めでいいか。夜がギョーザだから、蘭さん用に茶碗蒸しも作って)


 僕がそんなことを考えながら、リビングのそうじを始めたときだ。事務所の固定電話が鳴った。


 また八波からだろうか。

 変な要求されたら、どうしよう。日記どおりにパパとデートしないと、僕らの自宅に火をつけるぞ、とか言われたら。

 しかし、出ないわけにはいかない。

 僕は、おそるおそる受話器を持ちあげた。


「……東堂探偵事務所です」


 すると、思いがけなく、女の人の声がする。

「東堂さん……弟さんですよね? わたし、井上です」


 地獄につきおとされる覚悟で谷間をのぞいたら、そこに天国の入口があったような気分だ。

 無数の天使がラッパ吹きながら出迎えてくれたみたいな。


「なんだ。井上さんか。どうしたの?」


 しかし、井上さんの声は暗く沈んでいる。


「わたし、こまってるんです。ほかに相談できる人がいなくて……」

「何かあったんですか?」

「おとついくらいからでしょうか。なんだか身のまわりに、人の気配を感じるんです……」


 さては八波め。今度は、井上さんを狙う気だな。井上さんも、蘭さんの元クラスメートだもんね。

 ほら、見ろ。兄ちゃん。井上さんは無関係じゃないか。


「それは怖かったですね」

「はい。それで、あつかましいんですが、会って相談にのってもらえますか? わたし、どうしたらいいのか、わからなくて」


 時計を見ると、十時半だ。

 蘭さんは、あのとおり執筆中は没頭する。数時間は書斎から出てくることはない。


「わかりました」

「じゃあ、今から、お宅へ向かいますね。十一時には、つくと思います」

「お宅って、うちの自宅ですよね?」

「そうですけど」


 まあ、いいか。近所だし、ミャーコのネコ缶の予備も持ってきときたいし。


「わかりました。待ってます」


 ああ、十一時って、急がなきゃ。部屋着のままだけど、オシャレしてるヒマないよね。でも、上着くらいは、かえとこう。髪、寝グセついてなかったっけ?

 このフワフワ感はヤバイですか?

 もしかして、恋ですか?


 僕は大急ぎで準備して、マンションをぬけだした。


 カギは合鍵のある二つだけしといた。コピーできないやつは、蘭さんしか持ってない。

 どうせ、静脈認証かいくぐって、ここまで入りこめる侵入者はないよね。


 僕は甘かった。

 ころりと、だまされて、なさけない。

 どうして、いつも猛の言うことのほうが正しいんだろう。


 マンションを出て、大通りから、わが家に向かう細道に入ったとたんだ。

 僕は背後から電撃をあびた。スタンガンだ。

 なんで、これ、こんなに世間に出まわってるんだ。


 失われつつある意識のなかで、僕は見た。

 井上さんの悲しげな瞳を……。

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