二章 擬態する殺人 2—1
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わやわやと刑事さんたちが、やってきた。所轄だの府警だの、なんとか警部だの、かんとか部長だのに、あっちでもこっちでも事情聴取された。
おかげで、僕らは昼食ぬきだ。
解放されたのは夕方近く。
僕らを堀川五条の自宅まで送ってくれたのは、京都府警の若い刑事さんだ。
栗林さんという。
ゲタを飲みこむのに失敗したフレンチブルドッグみたいな顔をしている。
僕のまわりには端正な人が多いので、ちょっと衝撃だった。
「じゃあ、君たち、送られてきた日記というのを見せてください」
「正確には郵送されてきたわけじゃないですよ。うちのポストに、なげこまれてたんです」
そんなことはわかってると言わんばっかりに、じろりと栗林さんが、にらむのには、わけがある。
僕らが最初、八波のことをだまってたからだ。猛が言わないから、変だなあと思いつつ、僕は口裏あわせてたんだけど。
死体発見のちょっと前に殺人現場から出てきた、あやしい男を見たっていう目撃者なんか出てきて。
その人相風体から、蘭さんが疑われてしまったのだ。
それで、けっきょく、包みかくさず、うちあけた。
八波のストーキングから、あの日記の内容。清水寺周辺を一周して、八波を尾行したこと。
「だいたい、なんで最初から、本当のこと言えへんかったんですか」
という栗林さんに、猛が弁解する。
「言えば、蘭が疑われると思ったからです」
栗林刑事は、しぶい顔をする。
ますますゲタを飲みそこなった……いや、その……。
「考えてみてくださいよ。パラレルワールドから来たとか、未来がわかるとか、あげくのはてに瞬間移動して消えてしまったとか。そんな突拍子もないこと、警察が信じてくれるわけないでしょ?
それに、つけてるあいだ、おれたちでさえ、蘭だと思った。他人が見れば、見わけなんてつかない。蘭の変装だと言われかねないと思ったので」
まさに、蘭さんには、その疑いがかかってたのだ。
ポケットから出てくるメガネやマスク。犯人に酷似した服装。
警察は途中まで、蘭さんを第一容疑者あつかいしてたらしい。
そのときのようすは、こんな感じ。
「君、警察が来るまで、一度も正雲を出てないと言ってるが、ほんまは出たんやろ?」
「僕が店から出てないことは、正雲の従業員が証言してくれるんじゃないですか?」
「残念ながら、料理が運ばれたあと、君が座敷にいるのを証明する人間はいないんだ」
運の悪いことに、桜井さんが電話のために座敷を出てしまっていた。それが、ちょうど、僕らが八波を追ってた時間帯なのだ。
つまり、そのあいだの蘭さんのアリバイがない。
僕が一度、蘭さんに電話をかけたけど、ケータイの中継基地からでは、僅差の距離までは割りだせない。
蘭さんが料亭のなかで電話をうけたのか、外で受けたのか、断言できない。
「それにだね。目撃者がいるんだよ。君によく似た人を現場で見たというんだがね」
「知りません。人違いです」
「人違い? じゃあ、君が持ってる、このメガネやマスクはなんだ?」
「いけませんか? 世の中にはメガネをかけた風邪ひきは、いくらでもいると思いますが」
「君のは度なしの伊達メガネだろ。風邪もひいてない」
「たとえばの話ですよ。僕のは、たんなるストーカーよけですから」
「たとえばって、君ねえ……」
「いつもは女装してるけど、今日は桜井さんに会うっていうのに、そんなわけにはいかないじゃないですか。だから、顔をかくすための道具です」
刑事さんのなかにも読書家がいた。蘭さんの著書を読んだことのある人だ。
「知ってるよ。君の自伝、たいした人気だね。でも、あれは事実をおおげさに書いてるんだろう? たしかに君は容姿に恵まれてる。だが、現実に、あんなに、しょっちゅう、ストーカーが、わいてでるはずがない」
これを言ったのが、栗林さん。
蘭さんは栗林さんのゲタを吐きだせないで苦しむブルドッグのような顔を見て、深々と、ため息をついたのだそうだ。
「刑事さんにはわからないだろうね。僕の苦労は」
これが、栗林さんをカチンとさせたとか、させないとか。
「君ねえ、いくらなんでも、うぬぼれすぎやないか? だいたい、あんなハデな写真使うて、自伝なんか出すから、変なやつらが寄ってくるんだよ」
「お言葉ですけど、僕が初めてストーカー被害にあったのは六さいのときですよ。自伝は関係ないでしょ?」
「まあまあ」と言って、とりなしたのは、中年の刑事さん。
こっちは信楽焼のタヌキみたいに、人なつこい顔つきの、畑中さんだ。
「これは桜井さんから聞いたことやけど、九重さん。おたく、洛北清心中学に二年生まで、おったそうですな」
「ええ。まあ」
「じつはですな。たったいま、被害者の身元が割れたんですわ。山崎笑璃、二十六さい。卒業中学が洛北清心なんです」
「………」
「つまり、おたくと被害者は、まんざら知らん仲やないんです。おぼえてはりませんか?」
「山崎……さあ、顔を見ないことには、なんとも」
蘭さんは現場で撮られた遺体写真を見せられた。
「わからないな。ほんとに、同級生? クラスが違ってたのかな」
「山崎さんの家族は、おたくのこと、おぼえてました。山崎さん、当時、おたくのファンクラブ作って、追っかけ言うんですか。あんなん、しとったみたいですなあ」
「ああ、思いだしましたよ。エミリッチね。ずいぶん頑張って、やせたんだな。あのころは、タンクローリーって、あだ名がついてたっけ」
「仲がよかったんじゃないですか?」
「いいわけないでしょ。すごくメイワクかけられたうちの一人です。盗み撮りなんて、しょっちゅうだった。一回、体操服、盗まれたことあって、犯人、あの人なんじゃないかなって思ってたんですけど」
「でも、さっき、エミリッチって——」と、これは栗林さん。
「ファンクラブの会誌で、彼女が使ってたペンネームですよ。僕が給食でキャベツの芯をのこしたとか。近所の書店で『アンナ・カレーニナ』を買ったとか。学期末テスト、日本史で惜しくも九十八点とか。事細かに観察されて……ああ、思いだしただけでも、ウンザリ」
このとき、蘭さんは中学高校時代の親友を思いだしたと語ってくれた。
「僕があの子に押したおされずにすんだのは、瑛二のおかげだよね。放課後、忘れ物をとりに帰ったら、会誌の編集してた彼女と、はちあわせしちゃったことがあって。まずいことに二人きりなんだ。話しかけてくるから、しかたなく、アイサツくらいはするでしょう? そしたら、真っ赤になって、こっちに近づいてくるんです。タンクローリーに追いつめられたら、普通車の僕なんか、かなうはずないじゃないですか。ぜったい、力負けすると思って、けっこう、ゾッとしましたよ。瑛二が来てくれて、ことなきを得たけど」
「ほんまですか? じつは、そのときのことで、恨んでたんやないですか?」
栗林さんは、どうしても蘭さんを犯人にしたいらしい。
「べつに恨みはしません。そのていどのストーキングは、よくあることなので」
まあ、そんな感じ。
蘭さんが事情聴取をうけてるときに、正雲の人から、ある証言があった。
蘭さんと桜井さんが到着する三十分前に、すでに八波らしき人物が、来店してたのだ。
しかも、その人物、座敷にいるあいだに、誰にも告げず、一度、外へ出ていったふしがある。
追加注文の有無をたずねにいった店員が、座敷が無人になっているのを見ている。
その時間が、清水寺の境内で、僕らが八波を追ってるころだ。
で、そこに僕らの証言があって、どうにか蘭さんの疑いは晴れた。
栗林さんは、まだ疑ってるみたいだけど。
夕方になって、やっと僕らは覆面パトで送られて、自宅に帰った。
証拠品として、八波の日記を回収するついでに送ってくれたのだ。
「はい。これが問題の日記です。僕らの指紋、ベタベタついちゃってますけどね。ここにいるメンバーは全員、さわったかな」
僕が日記の切れはしをさしだすと、猛が言った。
「刑事さん。この日記、写真、撮っておいていいですか?」
栗林さんはフレンチブルドッグっぽい顔を、ますます、それらしくした。
「なんでですか?」
「いちおう探偵なので、事件解決に役立てようと」
「そういうことは警察に任せておきなさい。私立探偵は浮気調査してればいいんだよ」
蘭さんにイジメられたせいで、僕らにも当たりがキツイ。
「まあ、文面は、おぼえてますけどね。何度も読んだから」
「そういえば、東堂さん。あんた、遺体発見したとき、写真撮ったそうじゃないか。その写真も証拠品として、渡してもらいたいんだが」
あ、知られてたか。まずいな。
猛の写真は、ふつうじゃない。
あんな写真、見せたら、めんどくさいツッコミ入れられるに決まってる。
人が殺されてる瞬間、撮ってるヒマあったら、なんで止めなかったんだ——とか。
しかし、兄は、やはり兄だ。
「ああ、あれ。あせってたから、ピンぼけしてるけど、こんなのでよかったら、どうぞ」
猛がポケットから出したのは、モヤっとしたボケボケの写真。
そう。猛は念写じゃない普通の写真も撮れる。すっごい、ヘタだけどね。
あのとき、のちのちのことを考えて、ちゃんと、ふつうの写真も撮ってたんだ。
さっすが、兄ちゃん。やるゥ!……って、われながら、ほんと、ブラコン。
「……じゃあ、君たち、犯人から接触あったら、すみやかに連絡してください。今度はウソつかんように」
栗林さんは、しぶい顔しながら帰っていった。
僕らは居間に、すわりこんだ。
栗林さんの顔をひとめ見るなり、どっかに逃げてたミャーコも戻ってくる。やっぱり、メンクイなんだな。猫なのに、すごい審美眼だ。
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