二章 擬態する殺人 1—3


「猛! いた——いたよ! 阿弥陀堂だ。今、見えた」


 大声だしたから、女の人たちの注目あびちゃったよ。はずかしい。

 でも、猛は帰ってきた。


「たしかか?」

「まちがいない」

「かーくん、ガイドブック見せてくれ」

「はいよ」


 僕はガイドブックを手渡した。


 猛は清水寺境内や周辺の詳細図のページをひらく。


 僕らが今いる地主神社の前は、ひとことで言うと、三叉路(さんさろ)だ。


 清水寺本堂に通じる道。


 音羽の滝への石段。正確には、この石段は本堂出口の道と、途中まで一本道。先で二またになってる。


 そして、地蔵尊、釈迦堂、阿弥陀堂、奥の院へ通じる道。


 この三つだ。


 八波のいた阿弥陀堂は、やがて、ぐるりとまわって、本堂よこの、あの長い石段のところに戻ってくる。


 八波が清閑寺方面へ逃げるつもりでなければ、音羽の滝前に姿をあらわすはずだ。


「かーくん。おれは、あいつの足どりを追って、奥の院に行く。


 おまえは、こっちの石段から、音羽の滝へ向かってくれ。


 石段の下で、おれが来るまで見張ってるんだ」


「はさみうちだね。わかった」


 僕と猛は二手にわかれた。


 猛は左手の道へ。僕は右手へ。


 石段ばっかりで、だんだん疲れてきた。だが、音羽の滝まで、とにかく、けんめいに走った。


 音羽の滝前には、ちょっと観光客の人だかりがあった。


 まだ八波はいない。

 まあ、とうぜんか。


 僕のおりてきた石段より、向こうの道は六倍ほどの距離がある。


 おおよそ、五百メートルくらいかな?


 猛より先行してたとはいえ、八波が僕より速く、ここまでは、たどりつけない。


 石段の下で息をととのえながら、なにげに僕は腕時計を見た。


 大学入学祝いに、じいちゃんが買ってくれたセイコーね。


 メーカー名は、だてじゃない。ほんとに精巧。一秒の狂いもない。


 時計は十一時十分をさしていた。


 待ちわびる僕の前に、猛も八波も、なかなか、あらわれない。


 歩いてるのは無関係の観光客ばかりなり。


 注意して見てたけど、けっきょく、八波はやってこなかった。


 猛が走ってきたのが、約一分後。


「ハ波、来たか?」

「来ないよ」


「とちゅう、ふたまたになった道あったしな。子安の塔に行かれてたら、追いぬいてしまってる」


 猛が考えあぐねてるとき、僕のケータイが鳴った。


 また、三村くんだ。出るやいなや、いきなり話を始める。


「蘭、帰ってきよったで。たったいま、正雲、入った」


「え?」


 僕は猛を見あげる(十五センチ差が……)。


「猛。蘭さん、帰ってきたって」


 いったい、何がどうなってるのか。


 なんだか、僕には、さっぱりわからない。


 猛も、うなった。


「八波のやつ、ほんとにSFの世界から来たのか? 瞬間移動しやがった」


 瞬間移動ーー


 たしかに、そうだ。


 八波はワープしたとしか思えない。


 たとえ、ふたまたで、猛とは別の道をえらんだとしてもだ。


 いったい、どうやって、ここで待ちぶせてた僕の目に止まらず、通りぬけていったんだろう。


 八波が僕の前を通らず、正雲に帰れるわけがない。


 第一、時間的にムリがある。


 阿弥陀堂から正雲まで、人間の足で、たどりつけるような時間は、絶対になかった。


 行けるとしても、せいぜい仁王門あたりまでのはず。


「とにかく、清水坂まで戻るか」


「そうだね。ここにいても、しょうがないし」


 話していたときだ。


 けたたましい声をあげながら、かけてくる人がある。


 子安の塔のほうからだから、さっき猛が来た方角。


「人が……人が死んでる!」


 三十代くらいの夫婦づれ。


 だんなさんは、ふるえる指で背後をさしている。


 猛の反応は早かった(カッコイイなあ。兄ちゃん)。


「どこでだ?」


 今度は奥さんのほうが答えた。


「と……トイレ……」


 猛が走りだす。僕も追った。


 それで勇気づいたのか、まわりの観光客が数人、ついてきた。


 しばらく行って、ふたまたになった一方に、公衆トイレがあった。


 その婦人用の個室に、女の人が倒れてる。


 ひとめで殺人だとわかった。

 女の人は胸を刺されていた。

 真っ赤な血が、ゆかに流れている。


 それだけでも衝撃的だ。でも、僕は女の人の顔を見て、さらに、おどろいた。


 まちがいない。あの人だ。

 三村くんと甘酒をのんでたとき、蘭さんの名前をきいて、僕らをふりかえった、あの女の人。


「この人、見たよ。茶屋で」

「なんだって?」

「ちょっと、ようすが変だったんだよね」


 猛は迷ったようだが、


「あとで、くわしくな。その前に、警察に電話」

「うん」


 僕が急いで百十番するあいだ、猛は肩にかけてたポラロイドカメラを死体にむけた。


 白いフラッシュ。

 出てきた写真を見て、兄はつぶやく。


「……八波だな」


 猛が見せた写真には、はっきり写っていた。

 女の人に、ナイフをふりかざす、八波の姿が……。

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