二章 擬態する殺人 1—2

 *


 蘭さんが出ていったと知らせてきた三村くんに、僕は猛の指示をつたえる。


「三村くんは、とりあえず、そこにいて。八波らしき人物が来たら、知らせてよ」


「オッケー」


 電話を切った直後くらいだ。


 さっそく、蘭さんは、やってきた。


 うちから出るときにしてたマスクと伊達メガネつけて、ぼうしをかぶってる。


 桜井さんの前では、相手の気分を害するだろうからと、タクシー降りるときに、はずしてたんだけど。


 僕と猛が急いで店先へ出ていっても、気づかなかったみたいだ。


 そのまま、蘭さんは清水坂をのぼっていった。それも、けっこうな早足だ。


「蘭さん、どうしたっていうんだろう?」


「急用なら、メールか電話があるはずだろ。とにかく、つけてみよう」


 というわけで、蘭さんを尾行だ。


 蘭さんは一心不乱に坂をあがっていく。


 観光客がまばらだから、多少、離れても見失うことはない。


「あれ、清水寺、入ってくね」


「まさか、八波の日記に書かれてたとおりに行動しようとか言うんじゃないよな。地主神社って、清水寺の裏手だろ」


「だからって一人で行かなくたって」


「蘭は、ふだん慎重だけど、たまに大胆になるからな」


 うーん、それは言えてる。


 前の事件で、思いっきり、ふりまわされたもんね。


 見守る僕らの前で、蘭さんは仁王門についた。


 ほかの観光客がバシバシ写真とるなかで、わきめもふらず、門前を通りすぎる。どう見ても、観光してるふうじゃない。


 そのまま境内へ入り、鐘楼へ向かう。美しい三重の塔も、経堂も素通りだ。


(うーん、このルートだと……)


 このまま行くと、さっき僕と三村くんのさけた関所がある。


 つまり、拝観受付が。


 と言っても、三百円なんだけどさ。


 思ったとおり、蘭さんは拝観料をはらって、本堂へ入っていった。


「ああ……どうせ、お金払うんなら、ちゃんと時間あるときに、しっかり見たいよね。こういうのって、ほんとにムダな気がする」


「なに言ってるんだ。早く、行くぞ」


「せめて経費につけたい。領収書、もらってもいい?」


「依頼じゃないから、ダメだろ」


「来年の市民税はバカにならないんだよ。今年かぎりの高額所得……」


 前の事件の報酬のことだ。


 いつもは低所得なんで、来年が怖い。


 できれば経費の上乗せしときたかったんだけど、猛に言われて、しぶしぶ領収書をあきらめた。


 ためらってたせいか、僕らの前に、四、五人づれの外国人の観光客が割りこんでしまった。


 僕らが本堂に入ったときには、蘭さんの姿は見えなくなっていた。


「まずいよ。兄ちゃん」

「まずいな」


 僕らは蘭さんの麗しい姿をもとめて、拝観順路をいそいだ。


 清水の舞台にバラバラと人影はある。が、黒のロングコートを着た蘭さんの姿はない。


 死角になってる、まがりかどのさきか? それとも本堂内部だろうか?


「薫。ここで待ってろ。本堂のなか、しらべてくる」

「わかった」


 僕は猛を待つあいだ、双眼鏡で蘭さんをさがした。


 舞台の端っこまで歩いていって、本堂出口や、そのさきの参道をながめる。


 地主神社へ向かう道すじには、蘭さんらしい人影はなかった。

 まさかもう神社に入ってしまったんだろうか。


 神社じたいは清水寺の本堂のかげに入ってしまって、双眼鏡でも見ることができない。


 八波に狙われてるってのに、なんで、こんなムチャするんだろう。

 彼女との思い出にふけっているんだろうか。


 まもなく、猛が首をよこにふりながら帰ってきた。成果なしか。

 僕らは本堂をでた。


「やっぱり、地主神社への通りぬけに、ここ使ったんだね」


「蘭の経済観念は、かーくんとは、だいぶ違うからな」


 どうせ、僕はケチだよ。


 少ない収入でヤリクリするの、大変なんだからね。


「かーくん。蘭に電話かけてみろ。今、どこにいるか聞くんだ」


「うん」


 と、話すあいだも、僕らは地主神社へ向かう。


 歩きながら、僕は電話をかけた。


 ワンコールで、つながる。


「あ、蘭さん? 薫だけど。今、どこにいる?」


「え? どこって、正雲ですけど。沙姫の日記を読んでるんです」


「えッ?」


 あぜんとして、僕は思わず立ちどまった。


「猛。蘭さん、まだ正雲だって」


「えッ?」


 猛も立ちどまった。が、やはり、僕より兄のほうが理解能力に、すぐれていた。


「八波だ」


 あっ。そうか。あの人、遠目に見ると、蘭さん、そっくりなんだっけ。


「でも、服装が蘭さんだったよ」


「なかの服まで同じとはかぎらないだろ。ずっとストーキングしてたんなら、蘭と同じコートくらい、手に入れてるさ」


 最高級カシミアを使用した、赤城さんのブランドのやつだけどね。


 まあ、金に糸目さえつけなければ、ネット販売で買える。


 八波って、意外と金持ちなんだな。


「そっか。じゃあ、僕たちが追ってたの、八波だったのか。急いで見つけて、つかまえないと」


 蘭さんは何か話したかったみたいだが、「あとで、また」と言って、僕は電話をきった。


 あの日記のとおりの行動を八波がしてるなら、八波は地主神社にいるはずだ。


 なんで、そんなことするのかはナゾだが。


 もしかして、自分を蘭さんだと主張してるから、自分が日記の行動をとることで、内容を真実だと主張できるようにするためかも?


 石段をのぼりきると、また、あの恋占いの石。


 僕が歩いても、きっと向こうの石には、たどりつけない。


 あいだに猛や蘭さんが立ちはだかってるんだ。そして、ぶつかって、ころぶ……。


 いや、そんなこと考えてるときか。


 境内には、やっぱり女の人が多い。ぱっと見た感じ、八波の黒服の姿は見あたらない。


「薫。そこで待ってろ」


「うん」


 出口は、この石段だけ。


 猛は僕を石段のとちゅう、くの字になったかどに立たせた。一人で神社のなかをしらべに行く。


 これなら、八波と行き違いになることはない。


 猛を待つあいだ、今度も双眼鏡をのぞいた。


 清水寺本堂出口付近の道を、上から見おろす。本堂よこの三村くんと歩いた長い石段も一望だ。

 さらに、阿弥陀堂や奥の院まで。


 双眼鏡って、ほんとに遠くまで見えるんだね。こんなときでなけりゃ、けっこう楽しいよ。

 でも、僕の観光気分は一瞬で、ふっとんだ。


 いた!

 蘭さん……じゃなかった。

 蘭さんに擬態した八波だ。

 阿弥陀堂から奥の院に向かってる。

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