二章 擬態する殺人 1—1

 1


 正雲に入ると、予約の座敷に案内された。飴色の光沢の座卓。冬景色のつぼ庭。

 蘭は気詰まりな心地で、桜井駿矢と向かいあわせに座る。


「すまなかったね。こんなところまで、つきあわせて。でも、どうしても沙姫の気持ちを君に知ってもらいたかったんだ」

「ええ。僕も知りたいです」


 正直言えば、あちこち引きまわされ、無言で責められているようで、気分はよくない。


 でも、沙姫の気持ちを知りたいというのはウソではない。

 沙姫は自殺する直前まで、蘭の前では幸せそうだった。

 ときどき元気がないようにも見えたが、まさか自殺するとは思ってもみなかった。


 なぜ、あんなふうでいられたのか、知りたい。

 彼女が本当は何を思っていたのか。


 座敷に入るとすぐ、懐石料理が運ばれてきた。すでに注文がしてあったらしい。


「まあ、どうぞ」


 と言われても、まだ十一時前だ。

 あまり空腹ではない。


「さきに沙姫さんの日記を見せていただけますか?」

「ああ。いいよ」


 桜井がコートのポケットから出したのは、ピンク色の手帳みたいな可愛い日記だ。ハートやキラキラのシールが、たくさんデコレーションしてある。

 なかをひらくと、なつかしい文字がならんでいた。女の子らしい丸文字。いつも授業中、二人でノートの余白に気持ちを書いて、やりとりした、あの文字だ。



『わあ、どないしょう。席替え、まさか、まさかの九重くんのとなりやったよぉ。うれしいっ。ウソみたいっ。九重くんによろしくねって言われた! もうカンゲキすぎて泣きそう。ああ、もう、二学期も三学期も、ずっと、このままやったらええのに』



 と、中二の始業式の日から始まり、内容は、ほぼ蘭のことだけ。どうも蘭への恋愛日記みたいだ。


(僕も嬉しかったっけ。一年のときから気になってた沙姫と、となりになれて。授業中、よく目があった。あれは僕だけじゃなく、沙姫も僕を見てたから)


 読み始めて、まもなくだ。桜井のケータイ電話が鳴った。

 桜井は「ちょっと失礼」と言って電話に出ながら、蘭に片手をあげ座敷を出ていった。蘭に話を聞かれたくなかったのだろう。

 一人のほうが気楽だから、かえって助かった。


 日記を読みすすめていく。

 今日も九重くんと目があったとか、九重くんも、うちのこと見とるんかな? きゃあ、はずかし。でも、そうやったらええな。もう、こんなに好きで、どないしょうとか、幼い恋模様が細かく、つづられていた。


 そして、蘭からの告白。


 その日のところには、カラーで見出しまで書かれていた。

 一生で一番、幸せな日、と。

 まわりをたくさんのハートで、かこってある。


(沙姫……)


 なんだか、これ以上、読むのが、つらい。

 彼女はこんなにも自分を愛してくれていたのだと、今、あらためて実感した。


(ごめん。沙姫。きみのことキライになって。沙姫は、おれのこと追いつめたくて、死んだわけじゃないのに)


 悲劇のヒロインに酔って、なんの相談もなく死んでしまったと、責めていた自分が悔やまれた。



『四月二十日。今日は沙姫の十四さいの誕生日だよ。蘭くんが、すっごいカワイイ花の髪どめくれた。沙姫が桜井だから、桜のだよ。もう蘭くん、センスまでいいなんて、カッコよすぎぃ。これは、沙姫の宝物。ありがと、蘭くん。

 蘭くんの誕生日には、なに、あげよっかな。十二月やから、手編みのマフラーかなぁ』


『うーん……恋占い。前から行きたかった地主神社。二人で行ったんやけど……一人で最後まで歩けへんかったよ。シクシク。

 このまま大人になって、いつか蘭くんと別れるなんて、ぜったい、イヤや。そんなん悲しすぎる。ずっと、ずっと、このままでいたい。

 蘭くんと結婚できますようにって、お願いしたんやけどな。でも、蘭くんが助けてくれれば叶うって言うてくれたから、これって叶うってこと? きっと、そうだよね。うん。そう思うことにする!

 二人のお守りも買うたし。ストラップにして、蘭くんに渡すんやん。蘭くんは銀の鈴がいいって言うたけど、金のくらには王子様、銀のくらにはお姫様なんやもん。蘭くんは、ほんまに王子様みたい』



 あれっと、蘭は思った。

 金の鞍には王子様、銀の鞍にはお姫様。このフレーズには、おぼえがある。つい最近、読んだ。そう。八波の日記で。


(おかしいな。あのとき、おれの前で、沙姫は言わなかったよね。なんで銀のほうが欲しいのか)


 だから、たとえ八波が本当にSF世界の住人だとしても、このフレーズについては知るはずがないのだ。本来なら。


(この日記を読んだってことか)


 八波は沙姫の日記を読んだ。

 だから、蘭と沙姫しか知らないことを知っていた。

 八波は決して異次元から来た男なんかじゃない。ましてや、未来予知なんてできない。

 しかし、それにしても——


(沙姫の日記をどうやって読んだんだろう?)


 十四で死んだ女の子の日記。

 はたして家族が、それを他人に読ませるだろうか?

 そう考えると、読める人間は、かなり、かぎられてるはずなのだが……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る