オタクと偽オタクが聖地巡礼すると ①

「うーん…イマイチ地味…っていうか子供っぽい…?」


 ローズマリーは家にあるドレスを引っ張り出し、鏡の前に立って呟いた。


「パーティーなんて、魔法学校時代の友達の誕生日パーティーに出たのが最後だからなー…」


 手にしたドレスをベッドに放り投げる。彼女は今、公爵夫妻のパーティーに着ていくドレス選びに悪戦苦闘していた。貴族ではないローズマリーだが、まぁまぁ上位の中流階級の家柄だったため、社交界に無縁というわけではない。


 だが、まともなドレスなど最初の社交界デビューの時に祖父母に仕立ててもらったこの一着しかなかった。当然、今の自分にはサイズもデザインも合わない。


「ヤバいな…ドレス買ってもらうより、本棚増築とか、本を買うお小遣いを欲しがっていたから、ドレスのストックがない…」


 クローゼットを開けて必死に着ていけそうなものを探すが、相手は公爵夫妻だ。新たに仕立てるしか道はなさそうだった。しかしローズマリーはファッションに興味がなさすぎたし、淑女として最低限のマナーや作法もここ数年で忘却の彼方だ。


「ロマンス小説で仕入れた知識を当てにするわけにも行かないし…魔法使いが現れて素敵なドレスに変身させてくれたらいいのに…」


 ドレスをどうしたらいいのか見当もつかない。魔法でパパっと着替えたりできればいいのに…と一瞬考えたが、この国では「自分が楽をするために魔法を使う人間はクズ」という風潮がある。幼い頃からそう教わって育ってきたので、すぐにそんな考えも吹き飛んだ。そう、魔法でドレスを出すのは物語の世界の魔法使いたちだけなのだ。


「ドレスの値段も分からない…」


 両親も祖父母も遠い地にいるため、もう相談できる相手といったら…。


「ねぇノヴァ、どう思う?」


 ローズマリーは仕方なく、全財産が入った貯金箱を手にして幼馴染のノヴァの家を訪れた。彼は「骨が好き」という変わりすぎる趣味を持っていて、彼の家はどこを見ても……骨がある。ソファに座ると、クッションの下からなにかの頭蓋骨が顔を覗かせた。なるべくそれらを目に入れないようにしながら、彼女は真剣に尋ねたのだが。


「社交界デビューで出禁くらって親に勘当された俺に聞かれてもなー…」

「そういえばそうだったわね…」


 二人は本来、社交界に出る必要のないアッパーミドルの家庭だった。ローズマリーは代々研究者や学者で大学で教鞭を取るような家に、ノヴァは代々医者の家にそれぞれ生まれた。

 家系をたどると曽祖父が男爵だったり、祖父の姉が貴族と結婚していたり…と、全く貴族と無縁ではなく、両親の職業が専門的だったので色々と繋がりがあり、二人とも15歳で一応社交界デビューはしている。親や親類にお膳立てをたっぷりしてもらい、かなりいい条件でデビューさせてもらった。


 …のだが、ローズマリーはちょうど隠れオタクをこじらせにこじらせていた時で、開始3秒で脱落。ノヴァは「骨のない人間ばっかり」と発言してその場を凍らせ、親から勘当され一人暮らしを強いられることになった…という経緯がある。ちなみにノヴァはその時の主催者に大恥をかかせたので、以来誰からも招待されることすらなく社交界の場は出禁状態だ。


「まぁおかげで一人暮らしで誰にも邪魔されず骨に囲まれてるわけだけど」

「それに関しては羨ましい限りだわ…」


 ローズマリーも、両親は「研究の旅に出る」と一人娘をほっぽって出ていったので、彼女としてはオタク趣味を満喫できて願ったり叶ったりだった。だが、いつ戻ってくるか分からない恐怖があるため、部屋の本棚は常に偽装している。


 自分の家の…それも自室であっても決して油断はできない。それが隠れオタクの悲しい性だった。


「ノヴァが一緒にパーティーに行ってくれれば、少しは緊張しないで済みそうなのに」

「むーりー。行けないし、そもそも行きたくないし」

「私だって友達の誕生日とかじゃなきゃパーティーなんて行きたくないけど…けど…!」


 そう、ローズマリーには「聖地巡礼」という目的がある。公爵夫妻が所有する別荘。そこにある湖は、彼女がいまハマっている物語のモデルになった場所なのだ。


「ドレスのことなら、リュミエールに聞きなよ…婚約者だし、お金出してくれそうじゃん…?そもそも今回のパーティーはアイツに連れてってもらうんだし」

「彼を頼ったら負けな気がするの」

「まぁ、それは分かる気がするけど…」

「それに、彼はたぶん女性のドレスは興味ないと思うのよね…私の服を見て『面白みのない布』って言い放ったくらいだし」

「いちから作るならセンスの良さそうなもの作ってくれそうだけどね…」

「そう、それよ!センス!普通の人間らしいファッションセンスも考えないと…」

「…どゆこと?」


 ローズマリーはソファから跳ね上がるようにして立ち上がった。


「間違ってもオタクっぽい!って思われるようなドレスじゃないヤツにしなきゃ…」

「服装で分かるもんなの…?」

「甘いわ、ノヴァ。世の中には『オタクファッション』っていう、オタクが自然と好みそうな服装があるの」

「はぁ…そうなの」

「もちろん気をつけてるわよ?オタクっぽくない、ごくごく自然な格好にするために…」

「店員に言われるままに高いドレス買わされてるのはそのせいか…」

「う、うるさいわね…しょうがないじゃない…自分のセンスが信じられないんだから、多少ぼったくられても流行のお店の店員に任せるしか…」


 拳を握りしめて、ローズマリーは唸った。自分ではオタクっぽくない!と思っても、所詮自分はオタク。しかもファッションに興味皆無。ついでに社交界デビュー済みの淑女としては落第点。どこからボロが出るかわからないのだ。


「じゃあさ、もう彼に聞くしかなくない?」

「彼?」


 ノヴァが飽きてきた様子で、細長い骨をテーブルの上に広げている地図の上に転がす。


「フェリクス伯爵に」


 ……え?誰それ?

 と、あまりに想定外の人物の名があがり、ローズマリーは一瞬その名前が誰か分からなかった。だが、数秒後にそれを理解すると叫んだ。


「伯爵に!?」

「貴族だし、センス良さそうだし、なんかドレス選ぶの好きそうな骨っぽい感じあるし。同じパーティーに行くんだし」

「どんな骨か詳しくは聞かないでおくけど、無理でしょ!伯爵は貴族なのよ!頼むなんて失礼よ」

「…リュミエールも貴族になったけど」

「彼はなんかもう、ほら、貴族になったけど元がアレだし」


 ローズマリーの中で、リュミエールは「超がつくほど美形だが、超がつくほどの変人」という認識だ。あまりの美貌に寄ってくる人間は絶えないが、あんまりな発言が多く去っていく人、ついていけなくなる人が後を絶たない。特に小さい頃から彼を知っている人間は寄り付こうともしない。幼い頃から一緒に育ったローズマリーはそれを知っているのだ。


「…まぁ、ローズは知らないかもしれないけどリュミエールは……。まぁ知らないでいいか」

「ちょっと気になるとこでやめないでよ」

「パーティーは来週でしょ?急がないと聖地巡礼できなくなるよ」

「…でも、伯爵の家とか知らないし」


 ノヴァが少し呆れた様子で「ふぅ…」と長い息を吐く。


「馬車を拾って御者に頼んだら、勝手に伯爵の家につれてってくれるよ」

「ホント?みんなに家を知られてるって、貴族は大変ね」

「あと、家に招くなら相手がどこに住んでるかくらい、ちゃんと調べといたほうがいいと思うけど…ご近所さんじゃないんだし」

「そ、そうよね…でもなんとなく、貴族だし、大丈夫かなって思って」


 貴族=安心という、ローズマリーの中によく分からない図式があった。上流階級には妙な信頼感があったのだ。


「…リュミエールも貴族だけど?」

「…そうね。気をつけるわ」


 別にリュミエールを信頼していないわけではないが、まぁ色々な人間がいるという事例が目の前にあったので、ローズマリーは即座に認識を改めた。


「でも、いきなりお邪魔していいの?」

「忘れ物を届けにきたーって感じはどう?」

「伯爵はなにも忘れてないけど」

「うーん………あ」


 ノヴァは急に何かを思いついたのか、立ち上がって部屋を出ていき、数分して戻ってきた。骨が入った大きな箱を抱えて。


「骨談義しよーって約束したのに、ぜんぜんしてないから、忘れてるんじゃないかなって思って骨を持ってきた…ってのはどう?」


 本気かコイツ。

 一歳年上の幼馴染相手に心の底から呆れた。


「ていうか、ノヴァも一緒に来くるの?」

「………うん。…まぁ…そのつもりだけど…え、もしかして、ひとりで行くつもりだった…?」


 とてもまずいものでも食べたように顔をしかめて、彼は歯切れの悪い口調で言う。


「私のドレスを相談しに行くんでしょ?ノヴァはいなくてもいいし」


 ローズマリーは不思議に思って問いかけたが。


「まぁ、そうなんだけど………淑女はそういうこと、しないんじゃ」

「え?」

「男の家に女がひとりで訪ねるなんて淑女らしくない。もしかしてあの子……オタクなんじゃ?……って感じでバレていったりとか…?」


 ノヴァが噂話をしている人間の声音を真似て言う。それでローズマリーはハッと表情を変えた。そうだ、淑女はそういうことをしないのだ。せっかくリュミエールのおかげで「あそこの家のお嬢さん、伯爵の恋人なんじゃ?」という根も葉もない噂を消してもらったのに。


「危なかった……。あやうくオタクバレの一歩を踏み出すところだったわ」


 オタクバレに直結はしないだろうが、念には念だ。


「ローズはオタクバレより、もっと危機感を持たなきゃいけないことがあると思うけどね…」


 眠そうでダルそうな彼のつぶやきは、オタクバレの危機をすんでのところで回避したと、ひと汗拭っていたローズマリーには届かなかった。



 ◇



「と、いうわけで。骨持ってきました」


 玄関先で、この家の執事であるクロードはどうしたものかと考えを巡らせていた。客人が来たと言うので出てみれば、そこには二人の男女がいた。一人は長く赤い髪を結いもしていない大人しそうな少女。もう一人は眠そうな顔をした寝癖を整えてもいない茶髪の男。


 その男が、眠気を誘うボソボソとした喋り方で言うのだ。「骨、持ってきました」と…。骨が入っているであろう大きな箱を両手に抱えて。


「はぁ、骨…ですか」


 名乗ることもなく男が言う隣で少女が慌てていた。クロードはこの二人を知らない。今日、訪れる来客リストにもない。だが「骨」というワードは聞き覚えがあった。


 主人であるフェリクスが最近出会ったロマンス小説が大好きな…そう、オタク趣味を持った少女…の、幼馴染だ。幼馴染が確か、骨が好きだったのだ。


「失礼ですが、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「ノヴァ…。えーと………ねぇ、ローズ。勘当されてるけど名字を名乗っていいと思う?」


 ノヴァ、と名乗った男はいきなり隣の少女に問いかけ、少女は呆れた様子でため息をついた。


「ごめんなさい、彼はノヴァ・セリュージェ。私はローズマリー・エイヴァリーです。あの…」

「伯爵と骨の話をしにきました」


 さて、どうしたものかとクロードは再び考える。会ったことはないが、この少女が……と、クロードはローズマリーを凝視する。が、もしかしたら全く別人のローズマリーかもしれないので、とりあえず初見の客人へ最大限礼を尽くすことを考えた。


「フェリクス様は現在取り込み中でして…しばらくお待ちいただくことになりそうですが…」


 貴族の中には待たされることを好まない人間が多い。身分や立場が上になればなるほどその傾向は強まる。かといって下の身分なら快く待つかと言うと、そうではない。


 この家の主人より身分が下の上流階級、貴族の仲間入りをしたがる中流階級の家柄、貴族の財力を当てに商談に来た者などは「お高く止まっている」と気分を害することは珍しくない。そして足を引っ張る人間は、だいたいこのあたりに多いのも事実だ。


 この二人はとてもそんな人間には見えないが、どんな人物かをクロードは慎重に見極めようとした。


「いいよー。待つよー」


 が、ノヴァという男は待たされることを気にした様子もなく、非常に間延びした口調で同意する。


「よろしいでしょうか、貴重なお時間を頂いても」

「よろしいけど。むしろ急に来ちゃってごめん」

「なんでそんなテキトーな喋り方しかできないのよ…」


 その隣で少女は、真っ赤になった自身の顔を両手で覆って嘆いていた。


 常識の足りない兄を持って苦労している妹。

 そんな言葉がクロードの脳内に浮かび、それは二人の関係性を表すものとして非常にしっくり当てはまった。


「…追い返されなくてよかったわね」


 クロードが二人を案内する途中、廊下を歩きながら少女がボソボソと喋るのが背後から聞こえた。


「伯爵にドレス借りれたらラッキーだよね」

「フェリクス様は男性でしょ。姉妹はいないみたいだし、ドレスなんて持ってるわけないわ」


 男のほうはあまり声量を落とすことなく普通に喋っていた。クロードは客人の会話は聞こえても聞こえていないふりをする。これは執事の心得のひとつだ。話しかけられない限り、客人の会話に口を出すなど言語道断…と、執事長の父親から厳しく教わった。


「わかんないよー。もしかしたら伯爵には、夜な夜なドレスを着てパーティーに向かおう女装の趣味があるかもしれない…」

「え、えぇ…?フェリクス様に限ってそんな」

「ないって言える?人間ってわからないものだって言うしー」

「う、うーん…」


 主人がとんでもない趣味の持ち主にされそうで、さすがにクロードは「そんなものありません」と言いたくなった。が、表情を一切変えず言葉を飲み込む。おそらくこの二人は、クロードが口を挟んでも「執事ごときが口を挟むなんて」と怒ったりはしないだろう…が、あとで父親から一週間は説教とともにしぼられることが目に見えている。それに、もしかしたら、万が一、あるいは、あの主人なら……と、思ったので。


「ねぇねぇ、そこのアンタ」

「……はい」


 クロードは自分に話しかけられていると思い、振り向いて返事をした。


「名前なんだっけ」

「失礼しました。この家の執事をしております、クロードと申します」


 クロードが名乗ると、少女はなぜか目を輝かせた。そういえば、ロマンス小説に令嬢と執事の物語があったような…と、読んだ本を思い浮かべた。この少女があのローズマリーなら、きっと「執事」という単語に胸を躍らせたのだろう…と推測した。


「ふーん…」

「なに、どうしたのよ」

「うーん…」

「…ノヴァ?」

「いや、変な骨」


 骨。やはり何度聞いても強烈なワードに、クロードはしばらく言葉を失った。何かを言わなければと考えたが、少女が男に肘鉄を食らわせて謝ってきたので何も言わずに済んだ。


「クロード?どうした?」


 二人を客間に案内したちょうどその時、主人であるフェリクスが客間の向こうを通りがかり、クロードを見つけてこちらにやってきた。


「フェリクス様。お話は終わられたのですか」

「あぁ、もう帰った………よ?」


 主人の視線がクロードの後ろに向かう。


「お客様です」


 クロードは短く言い、一歩下がった。


「ローズマリー…と、ノヴァ?」

「お、お邪魔してます…伯爵」

「大きい家だねー。びっくりした」


 どうやら主人が知っている方のローズマリーだと分かり、クロードはさっそく二人を「友人」としてもてなす方向で動くことにした。


「どうしたんだ?」


 そう聞きながら、彼がクロードの方に視線を向けた。これは、経緯の説明を執事にも求めているという合図だ。


「骨の話をしにいらしたそうです」

「…骨」

「骨談義するっていったしー…」

「あぁ…」


 きっと社交辞令で言ったのだろう。主人が若干顔を引きつらせているのを見て、クロードは珍しいと感じた。いつもなら、どんな無理難題を言われても客人相手に表情を変えない主人なのに、と。


「まぁ、メインはローズマリーのドレス選びなんだけど」

「ドレス?」


 フェリクスの視線がローズマリーに向かう。少女は恥ずかしそうに下を向いていたが、意を決したという様子で声を発した。


「あの…!」

「はい」

「聖地巡礼を成功させるため、準備を手伝ってほしいのです!」


 聖地巡礼。

 それは先日、あるじから「調べろ」と言われた単語だ。


「………分かりました。僕にできることなら、なんでも手伝います」


 ほんのわずか、返事まで間があった。そして「分かった」という同意には何かしら決意と、臨戦態勢のようなものが見えた。さらにフェリクスがちらりとクロードを見る。それで彼は察した。


 聖地巡礼を成功させるための準備とはなんだ?

 彼の目は、そう訴えていた。

 オタクではないことがバレないよう必死で勉強中の主人をサポートするため、クロードは短く頷いて、主人に習って臨戦態勢に入ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る