オタク令嬢の婚約者 ①
「やっと終わった…伯爵が来るまでになんとか終わらせられた…」
わずか数ページの学校の課題を終わらすのに3時間もかかってしまった。
ローズマリーはため息をつく。気分が乗らず休憩がてら、うっかり本を読んでいたら2時間も経っていたのだ。
それもこれも、宿題がつまらないのが悪い。ローズマリーは歴史の教科書を閉じた。彼女は今この国の建国にまつわるアレコレや、この国の仕組みにまつわるアレコレを勉強中だ。
この国は千年もの昔、ひとりの勇敢な騎士(男)と、ひとりの聡明な魔法使い(女)が魔王を倒して建国した。そのためローズマリーたちこの国の人間には、その騎士と魔法使いの血が受け継がれている。そして魔法使いが女性だったせいか、この国の女性は男性よりも魔力が強いことが一般的で、魔法の才能に恵まれている。
……という、この国の人間なら誰もが幼少時から学ぶ歴史だ。そしてこの建国時の騎士と魔法使いの物語は、これまで数々の文学者が筆をとり、ある者は歴史に忠実に二人の姿を描き伝え、ある者は独自の解釈で論文を発表し、またある者は歴史にかなりの脚色を加えて物語にした。
「あー…つまんない。歴史つまんない」
建国時の騎士と魔法使いの物語は人気だ。ロマンス小説や冒険譚に属するような描き方をされていても「だって実話だし。この国の歴史だし」ということで、多くの人に愛されている。
しかし、ローズマリーはこういったものに何故かときめかない。
(騎士と魔法使いなんてファンタジーの王道中の王道なのに…)
今読んでいる「村人が騎士になり世界を救う冒険譚」などは、もう何十回と読み返すほど胸おどるものがある。だが、似たようなストーリーであっても歴史の登場人物だと、なんか違う。
「やっぱノンフィクションは向かないわね…」
勉強を少しでも楽しくしようと、騎士と魔法使いで妄想してみたこともある。でもダメだった。実在する・実在した人物だと、ローズマリーはうまく妄想できないのだ。
しかしオタク仲間の集会では、この実在する人物で妄想することを特に好む層がわりと存在する。彼女たちは己の嗜好を「生きている/生きていたものを愛でる嗜好」と称し、それを略して「
ローズマリーにもこの「
「ねぇローズ、そろそろ伯爵が来ると思うんだけど…馬の骨占いと羊の骨占いのどっちが一般的だと思う?」
「どっちも一般的じゃないからやめて」
「そうか…わりと一般人に見せてもハードルが低いやつだと思ったけど…」
「骨の時点でハードルを超えられる人はほとんどいないと思うわ…」
幼馴染のノヴァが骨の入った袋を両手に持ってローズマリーの部屋に入ってくる。今日はローズマリー、ノヴァ、フェリクス伯爵と三人で会う約束をしていた。
「それよりノヴァ…大丈夫かな?」
「ローズマリーの宿題が終わってないこと?」
「終わったわよ!ついさっき!伯爵がくるから頑張ったわよ!」
ローズマリーは手を組んでぎゅっと握りしめる。
「この前、ノヴァが言った噂…私が伯爵の恋人だとかなんだとか…」
「あぁ…現在進行中で流れてるけど」
「それは知ってるわ。私も塾でなんか友達に遠回しに聞かれたし」
ローズマリーは現在17歳。この国の人間は学校に通うか家庭教師をつけて学問を修めるのが普通だ。そして女子の場合は魔法の腕を磨くため魔法学校に通うのが一般的だった。
ただ、ローズマリーは魔法にあまり興味がなく、さしたる才能も見られなかった。だから15歳の中等教育終了時に魔法学校を辞めて、現在は街の小さな学問所に通っていた。世間ではそういった小さな教育機関を「塾」と呼んでいる。
「きっと伯爵の耳にも入ってる…よね?」
「だと思うけど」
「謝ったほうがいいかな…?変な噂が立って怒ってたら…」
「大丈夫じゃない?あっちは貴族だから、慣れてそうだし」
ノヴァに聞いた自分が馬鹿だったとローズマリーは思い、この話を打ち切った。
「はぁ…オタクだって言えたら解決するけど、それはできないし…」
「言えばいいのに」
「無理って言ってるでしょ」
「なんで?」
ノヴァが骨を取り出しながら言う。
「ちょっと変わった趣味を持ってるくらいで、別に人生が終わるわけじゃないし。ほら、俺を見なよ。変わってるってみんなは言うけど、この通り普通に生きてるし」
それはノヴァの趣味が変わりすぎ&希少価値すぎて、いっそ物珍しいからだ。そして、ノヴァが男だからというのもあるだろう。男が変わり者なら個性的、女が変わり者ならみっともない。世間はそういう価値観だ。
「あのね、ノヴァ。淑女はロマンス小説を読まないの。冒険譚を呼んで喜んだりもしないし、そういう女性に生きる権利を与えてくれるほど世間は甘くないの」
男のノヴァに言っても仕方ないが、気安い幼馴染相手だったのでついつい嫌味が口からこぼれた。
「ふーん…あ、じゃあいっそ恋人同士ってことにしとけば解決しない?堂々と会えるから堂々とオタク話できそうじゃん」
ノヴァはだるそうな口調でとんでもないことを言うから、ローズマリーは呆れた。
「そんな失礼なことできるわけないでしょ」
「そう?でも伯爵って恋人いなくてずっとフリーだって有名な話だし、いいんじゃない?」
「何がいいのかさっぱり分からないけど、貴族と私が恋人同士なんてその時点でおかしいわ。身分違いの恋人なんて物語の中だけよ」
「…ローズって、結構そういうの気にするよね」
そういうの?と、ローズマリーが聞き返す前にノヴァは持っていた細長い骨で彼女をビシッと指しながらいった。
「身分とかそういうの」
「…悪い?」
「…んー…悪くないけど…この国の人間なら、魔力がすごかったら平民も貴族になれるのに、なんでそんなの気にしてんのかなーって」
そうなのだ。この国は王政で、階級制度があり、基本的に貴族と平民はきっぱり区別されている。そして貴族ではない出自の人間が貴族になるには、貴族と結婚するか貴族の養子になるしかない。
だがたった一つだけ、すでに存在する貴族階級と縁を持つことなく貴族の称号を手に入れる方法がある。それが、魔法の力だった。
「…いや、だって私は魔法ぜんぜんダメだし」
「あ、そうだったね」
建国の歴史が歴史なので、この国では魔法というものが非常に重宝されている。魔法は国を豊かにするもの…その概念から、魔力が特別強いものは王が認めれば貴族になり、国のために義務を果たすよう命じられるのだ。
と言っても、貴族になれるほどの魔力というのは滅多に存在しない。また、この国では基本的に女は跡継ぎになれないため、女がいくら強い魔力を持っていても貴族になることはほぼない。さらに強い魔法力は男には現れにくいという事情も重なり、結局魔法の力で貴族になれた人間は数十年にひとり現れるかどうか、という感じで、まさに夢物語だ。
とは言え、この国の男にとって妻が強い魔力を持っていることは家の価値を高める一つの要素。一種のステータスという価値観がある。だから魔法学校で優秀な成績をおさめた女子には、その身分に関係なく縁談が山ほど舞い込む。強い魔法が使えることは女子にとってもステータスで、身分をひっくり返す玉の輿に乗りやすい…それゆえ、女性は魔法を必死で修めるのがある種の常識だった。
とまぁ、そんなわけで、身分差はあるけど魔法が使えるなら努力しだいでなんとかなる…というのがこの国の風潮だ。
「私はただ目立ちたくないの。貴族じゃないけど魔法がすごくて貴族に嫁いだ友人を知ってるけど、そりゃすごい騒ぎだったのよ」
注目を浴びるなんて恐ろしい。と、ローズマリーは震えた。
「いいじゃん目立とうが注目浴びようが」
「注目されたらオタク趣味がバレる確率が高まるじゃない」
「あー…だから伯爵と噂になるのが嫌なんだね」
「そうよ。少しでもオタクバレせず長生きして本を楽しむためには、ひっそりこっそり存在感を消し誰の記憶にも残らないように細々と生活しないと」
ローズマリーが真顔で言うと、ノヴァは少し黙ったあと「…根暗」と呟いたので、骨を奪って窓から放り投げておいた。ノヴァが「げっ」と声をあげて骨を取りに行ったので、そのすきに家と窓の鍵をかけて閉め出した。
「だからさー俺的には恋人のふりしたほうがよくない?ってローズには言ったんだけど、ついでに伯爵にも言っとく」
フェリクスは出された紅茶を飲みながら、ノヴァの言葉に耳を傾ける。ローズマリーの家を訪ねたフェリクスは、ノヴァから「ローズに骨投げられて閉め出された」と玄関先で愚痴られ、無事に家に入れてもらったあとは「ローズと伯爵が恋人だという噂がある」という話を聞かされた。
「ノヴァ!その話はやめてって言ってるのに…」
そのような噂が流れていることは、フェリクスも当然知っている。そしてフェリクスは昔からこの手の噂が耐えないのであまり気にしていなかった。ただ、どうせすぐ消えるだろうと考えていたが、どうも最近の社交界は暇なようでこの話題が盛り上がりを見せつつある。だからそろそろ対処しなければとも思っていた。
「…僕は構いませんけど」
「は、はい!?」
冗談半分でノヴァの提案に乗ってみたが、想像以上にローズマリーの顔色が悪くなったのですぐに訂正した。
「冗談ですよ。さすがにその提案はローズマリーに失礼だよ、ノヴァ」
「そんなもんかね…」
「じょ、冗談がきついです伯爵」
ローズマリーが心底ホッとした様子で胸をなでおろす。そんなに自分と噂になったり恋人と思われるのが嫌なのかと、フェリクスは少々残念な気分になった。
「………………あ?」
そんなローズマリーがなにかに気づいたようで、声を上げた。
「どうかしましたか?」
「今のやり取り…冗談で恋人同士なる?みたいな…『魔王と勇者の食卓』にもありましたよね!」
そして突然、小説の話を持ち出してフェリクスに同意を求めてきた。え、なんだそれ。そんなシーンあったか…と、フェリクスは必死で内容を引っ張り出した。
「あ、あぁ…そうそう。四巻…でしたっけ。ノヴァの言葉を聞いて、ちょっとそのシーンを思い出したものですから、拝借してみましたよ」
「あるあるですよね!日常会話から物語のシーンを連想するの!」
「俺はないなー…」
フェリクスは表面上ローズマリーに同意しつつ、心の中ではノヴァの呟きに「自分もないな…」と賛同した。
「まぁ、その問題は僕に任せてください。どうとでもなりますから」
「すごいですね伯爵。噂をどうにかできるなんて…」
さすが貴族、みたいな尊敬の眼差しを向けるローズマリーの横で、ノヴァがフェリクスを胡散臭そうに見てくる。本当にこの骨好きの男には、何もかも見透かされているような気がして居心地が悪い。
この男はいつも眠そうな容貌で、骨にしか興味がないような男で。しかし、幼馴染のローズマリーが不利になるようなことはさり気なく排除するよう行動している。執事が「牽制している」と言ったのは、あながち間違いではなさそうだった。
「まーでも、なんとかなるならよかったじゃん。よくよく考えたらローズに恋人いたらヤバいもんね」
「え?どうして?」
当事者のローズマリーが不思議そうにノヴァに問いかける。
「だってローズは婚約者いるし」
その言葉にフェリクスは固まる。なぜかローズマリーも固まっていた。そしてしばらく沈黙したあと。
「忘れてた!!」
ローズマリーが立ち上がって叫んだ。
「うん、まぁ…俺も忘れてた。そういえば…って感じでたった今思い出した」
忘れられる婚約者とはいったい…とか、そもそもローズマリーに婚約者がいたのか…とか、いろいろなことが衝撃で、フェリクスはしばらく言葉が出てこなかった。
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