もしかして:恋 ②

 まさか、バレた?オタクではないということが、さっき会ったばかりの初対面の男に。この、いきなり人様の骨を評価してきた眠そうな顔の男に―…。


「どういう意味かな?」


 フェリクスはノヴァの態度を挑発的だと受け取り、つい強めな口調で問い返す。しかし彼はフェリクスの言葉を受け流し、いきなりその場にしゃがみこむ。そしてフェリクスにもしゃがむよう手をひらひらさせて促す。


 なんなんだこの男は、と思いつつフェリクスは片膝を付いてしゃがむ。すると彼は声を潜めて言うのだ。


「あのさ、ローズって変わってるだろ?」

「……」

「俺の趣味もまぁちょっと世間ずれはしてるけどさ」


 ちょっとどころかかなり世間ずれしているし、あえて比べるならロマンス小説好きのオタク趣味のほうが百倍マシだろうと、フェリクスは言いたくなった。


「ローズはあの通り重度のオタクで、しかも世間知らずというか、天然というか、なんかまぁズレてるわけで」


 ノヴァもかなりの天然でズレてる男だと思ったが、とりあえず「はぁ」とだけ答えた。


「だから、そのへんちょっと心配でさー。騙されやすいっていうの?」

「…僕が彼女を騙してるとでも?」

「うん。あんた、人を騙しそうな骨してる。オタクのフリしてローズみたいな子に近づいて遊んでやろう的な骨っていうか」


 ぼけっとした顔で珍妙なことを言われると、もはや侮辱にすら聞こえず怒る気もおきない。逆に、いったい彼には人間の骨がどのように見えていて、どういった基準で騙しそうだと思っているのか詳しく聞いてみたいと思った。


「ノヴァ!また初対面の人に骨談義してるんじゃないでしょうね…?」


 ローズマリーが箱を抱えて戻ってきた。男が二人、床にしゃがみこんで話している様子をどう思ったのか、なにやら顔色を悪くしていた。


「ごめんなさい、伯爵。ほんとうにこの人、昔からズレているところがあって…」

「大丈夫。ローズほどじゃない」


 幼馴染同士の気安い会話に、いろいろな意味でついていけないフェリクスは、ふとテーブルの上にある本に気づく。それは今朝、自分がクロードと読んでいたものだった。


「この本は…」

「あ、伯爵も読みましたか?ちょうど主人公とライバルが再会する巻で…」


 持っていた箱をノヴァに押し付けたローズマリーは、本を手に語気を荒くする。


「その再会シーンが私とっても素敵で!最初は弱かった主人公がいつの間にか強くなってライバルの前に立ちはだかる王道展開なんですが、ライバルのセリフがもうなんていうか、もうこれは主人公が強くなるのを待っていたかのようなソレで!」


 なんだかクロードが言っていたのと同じようなことをローズマリーが言い出した。いや、逆だ。ローズマリーが言いそうなことをクロードは推測して言ったのだ。未来のローズマリーが言うことを見事に的中させた過去の彼をフェリクスは心の中で褒めておいた。


「ええ、分かります。きっとライバルは、主人公を倒せるのは自分だけだという気持ちで再会したでしょうね」


 クロードの予測を借りてフェリクスが相槌を打つと、ローズマリーは祈るように両手を組んでフェリクスに詰め寄った。


「伯爵も!伯爵もそう思いますか!?もうこのシーンはそうとしか読み取れないって私も思っていたんですよ!!」


 賛同を得られたことがよほど嬉しかったのか、ローズマリーは「それで!」と本をめくりながら次々に主人公たちのセリフを抜粋し「ここが深い」みたいなことを言い出した。


 フェリクスが思うに、彼女は物語を深読みしすぎる。しかし当然のように話すものだから、だんだんと「これが普通で、読者感想文レベルの自分が間違っているのでは?」という気分にすらなる。


「ふーん…ローズの会話についていけるなんて、ホントにオタクなんだね。俺なんかローズの話は5秒でわけわかんなくなるのに」


 ノヴァがボソッと、フェリクスに聞こえる程度に呟いた。


 あぁよかった。やっぱりわけがわからないのが普通なのだという安堵感と、ノヴァに非オタクバレせず切り抜けられた安堵感。両方が押し寄せてきて、妙に安心した。


「あ、ノヴァ。わかってると思うけど伯爵がオタクだってことは…」

「バラしたりしないから大丈夫。人が嫌がることはしないのが常識だし」


 ノヴァはそう言って、フェリクスの方を見て片手を差し出し握手を求めた。


「まぁそんなわけで、よかったら今度ウチにも遊びにきてよ伯爵。あそこに見える緑色の屋根の家なんで」


 窓から見える、通りを一本挟んだ向こう側の家を指差し、ノヴァは言った。


「…ぜひ、君の骨談義を聞かせてもらいに遊びに行くよ」


 フェリクスは握手に応じる。骨に興味はないが、初対面の人間に悪印象を抱かせても何の得もない。適当に社交辞令を並べておいた。


「ローズもまたおいでよ」

「嫌よ。ノヴァの家に行くと骨だらけで呪われそうなんだもの」

「あっそう。じゃあ伯爵が来る時は呼んでよ。明日、欲しかった本が出版されるから、どうせそのうち二人で話したりするんでしょ」

「あー……でもあの本は…少女小説だし…」


 ローズマリーがちらちらとフェリクスを見る。


「ローズマリーがいいなら、僕は別に構いませんけど」

「でも、本当にすごい女の子向けに書かれた恋愛ものなので、伯爵は読みませんよね…?」

「……そういうのは…読まないですね。でも他の話もしたいですし」


 一応執事に「読め」と言われて用意された本の中には、なかなかに濃い恋愛小説なども入っていた。だがフェリクスは流石にこれは読む気がしないと言って放置していた。


「どんな話なの?変な妄想ナシで教えて。あと骨が出るならその部分だけ教えて」


 ノヴァが慣れた様子でさくっと牽制しながらローズマリーに話の内容を聞く。


「ヒロインはよく喧嘩する男の子がいて最初は嫌ってて、でもヒロインは実はその男の子が好きで、でもそのことにずっと気づいてなかったヒロインが『もしかして、恋?』って思うようになって、そこから男の子と距離を縮めるために頑張るお話で……で、そのヒロインの行動がいちいち可愛くて思えば嫌っている時からヒロインって困ったことがあるとその男の子を頼ってたりして、それで私は思うんだけど―…!」

「あ、もういいよ飽きた」


 最初は冷静に説明していたローズマリーだったが、しだいに興奮気味に力説し始めた。ノヴァはこれまた慣れた様子でローズマリーの話をばっさりと切り捨てた。


 二人の会話を聞きながら、仲がいいんだなと、フェリクスはまた少しもやもやしたものを感じていた。





「というわけで、ローズマリーの幼馴染に会ったんだけど、週末はその幼馴染とローズマリーと三人で会うことになったよ」


 帰ってくるなりフェリクスは上着を脱いで、もやもやした感覚を払拭するため乱暴にソファに叩きつける。クロードは黙ってそれを手に取り皺を伸ばしてハンガーにかけた。


「よほどそのご令嬢がお気に入りなんですね」

「は?」

「フェリクス様は会わなければならない相手でも、気に入らなければ仕事だなんだと言い訳をしてのらくら予定をかわしていらっしゃるので」

「………」


 そんな卑怯なことはしてない。と言いたかったが、よくあることなので反論できなかった。


「いいか?クロード。彼女とは友達になると言ったんだ。なら友達でいる努力が必要だろう」

「伯爵がいつものように社交辞令で終わらせていないところは、成長の証だと父上も仰っていました」


 執事長であるクロヴィスからの「いつもは社交辞令で終わらせる」という嫌味のような指摘には、ぐうの音も出なかった。


「そういえば、ローズマリーの幼馴染…ノヴァだったかな…彼にオタクなのかと疑われたよ」

「バレたのですか」

「バレてない。どうやら僕の骨が人を騙しそうな骨らしい」


「骨」という唐突なキーワードに、日頃から表情を崩さないクロードが珍しく眉をひそめた。


「骨…ですか」

「あぁ、骨が趣味らしい」

「骨はよく分かりませんが…幼馴染として、フェリクス様を牽制なさったのでしょう」

「牽制されるようなことをした覚えはないけどな…」

「でもオタクだと嘘をついています」

「……それはそうだけど」

「それにフェリクス様はよく嘘をつきますし、人を騙しますので。そういう雰囲気があるのでは」


 こいつは本当に自分の執事なのだろうか、とフェリクスはため息をつく。


「あるいは、フェリクス様がローズマリー様に好意を持っていらっしゃると、ノヴァ様は思ったのでは」

「はぁ!?」

「レディの家に出入りする男がいたら、そう思ってもおかしくないかと」


 世間的にはそうかもしれないが、フェリクスにそんなつもりはまったくない。すべては成り行きなのだ。


「いや、それはないよクロード」

「そうですか」

「そうそう」

「…フェリクス様がおっしゃるのなら、そういうことにいたします」

「そういうこともなにも、別に僕はローズマリーを…」


 フェリクスは言い訳を続けようとしたが、クロードの方は「お茶を入れてきます」といってさっさと下がってしまった。


(ノヴァという幼馴染といい、うちの執事といい…)


 中途半端に意味深なことばかり言って途中で放り出す。ノヴァは他人なので仕方ないとして、同い年の無表情なこの執事にはローズマリーの素直さの1割でも与えてやりたいくらいだ。


(好意を持つ…ねぇ…)


 フェリクスはソファに座る。ふと、ローズマリーが言っていた本の内容を思い出す。最初は好きだと気づいていなかったが、途中で「もしかして、恋?」と気づくやつだ。


(もしかして…………いや、ないない)


 フェリクスはもやもやしたものを振り払うように首を横に振り、テーブルの上に置いてある何通かの封筒を目にする。


「これは…」

「パーティーの招待状です、伯爵。陛下からと、先日お越しいただいた公爵夫妻からと、先月お会いした伯爵令嬢からと、今度出資した貿易商との商談と…」


 フェリクスが数通の封筒を手にする前に、どこからともなく現れたクロヴィスがその内容をすらすらと教えてくれる。


「いずれも今月と来月の祭日ですね」

「あー…」


 順序を付けて、招待に応じるかを考えなければならない。日が被らなければ基本的に全部行けばいいが、そうでないなら話は別だ。断るにしても、角の立たない断り方を考え埋め合わせもしないといけない。貴族というのは、こういうことが面倒なのだ。


 だが、こういう面倒なことほどクロヴィスに任せればまず間違いない。いつものように「任せる」と言おうとしたとき、ふと彼の目にテーブルの上に積み重なっている本が目に入った。


「…ローズマリーと会うかもしれないし」


 自分でもどうしてそんな発想になったのかは分からない。けれど「休みの日はローズマリーに会うかもしれない」と思ったのだ。


「…なるほど。ご友人と会うことを優先したい、と」


 クロヴィスがクロードそっくりの淡々とした口調でフェリクスに確認をする。子供の頃から自分を一人前の貴族として振る舞えるよう教育してきた執事だ。伯爵家の務めより私情を優先したフェリクスに対し、いつものようにさぞや厳しい説教が待っていると身構えたのだが…。


「かしこまりました。では、そのように手配いたしましょう」


 意外にも、怒られなかった。彼は封筒をすべて手に取り、一礼して部屋を出ていく。入れ違いでクロードがお茶を持って入ってきた。


「フェリクス様、最新情報を手に入れてきました。最近はやっている『モチーフ』というものについて」

「…聞いておこう」


 執事からモチーフについての解説を聞きつつ、そういえばとフェリクスは思う。


(ローズマリーの趣味を知っている二人のうちひとりはノヴァだとして…もうひとりは誰なんだ?)


「どうかされましたか」

「いや…なんでもない。あぁ、そういえばパーティーの予定を後回しにしたのに、珍しくクロヴィスに怒られなかったよ」

「…父上のことですから、フェリクス様にとって、それが一番よいと判断されたのでしょう」


 このときフェリクスはまだ気づいていなかった。

 この優秀な執事たちのほうが、フェリクスよりもフェリクス自身のことを、よく理解していたのだと。




「ところでさぁ、ローズ」


 伯爵が帰ったあと、ローズマリーの家のテーブルに骨を並べて鑑賞していたノヴァは、それを見ないようにしながら読書に勤しむローズマリーに話しかける。


「なに」

「噂になってるの、知ってる?絶対知らなそうだけど」

「噂って…なんの?」


 ローズマリーが本から顔をあげてノヴァを見る。まさか、ローズマリーがオタクかもしれない…という噂でも流れているのだろうか?


「何かやらかした…?もしかして、オタク友達ができた喜びで舞い上がって隠れきれていなかったとか…?」


 最悪な予想を勝手にして悶々と悩む彼女に、ノヴァは「そうじゃなくて」と続ける。


「フェリクス伯爵がローズの家に出入りしてるって噂」

「…誰だって人の家に寄ることくらいあるのに、伯爵ともなるとそんなことが噂になるの?」


 貴族というのは大変だなとローズマリーは同情した。そして自分がオタクかもという噂じゃないのであれば、なんでもいいやと再び本に視線を落とす。


「ローズがフェリクス伯爵の恋人だって思われてるんだけど」

「へぇ、伯爵ともなると………え?」


 誰が誰の恋人?ローズマリーは持っていた本を思わず落としてしまった。


「ここに来る途中、街で噂になっててさー。伯爵は今日もエイヴァリーさんの家でなにしてるんだろね~…的な」


 それでノヴァはフェリクス伯爵を見て「彼氏」と言ったのだと、ローズマリーは納得した。


「な、な、な、なんで!?二度しか会ってないのに!」

「一度目の時点でそうとう噂になってたと思うけどね…社交界とか縁がないから俺は知らないけど」


 骨をいじくりまわしながら、ノヴァはのんびりとした口調で言う。


「冗談でしょ!伯爵は貴族じゃない!ありえないって分かりそうなもんなのに…」

「だって普通は特別な用事がなきゃ貴族がこんなとこ出入りしたりしないだろうし」

「どうしよう…」

「二人ともオタクですって言えば解決するよ。ただのオタク趣味の会合だって言えば」

「ぜっっっっっったい無理」


 ローズマリーは頭を抱えた。せっかくできたオタク友達。でも恋人疑惑なんてとんでもない。しかし、貴重な仲間を失いたくはない。


「伯爵も迷惑に思ってるに違いないわ…でも、でもオタク友達は他にいないのよ…!」

「迷惑っていうか、むしろそういうの好きそうだけどなーあの骨の感じだと…」


 ノヴァが呟いた言葉は、ローズマリーの耳には入らない。


 とりあえず自分を落ち着けよう。考えても今は仕方ない。

 ローズマリーは落とした本を拾って読み始める。


 しかしその話はちょうど、平民の女の子が王子様と恋人同士だと勘違いされ婚約するはめになったというシーンで、ローズマリーはまったく集中して読めなかった。


 …もっとも、五分後には女の子と王子の天然でズレた会話の応酬に悶え、足をバタつかせてうっかりテーブルにひっかけ、テーブルの上の骨をしこたま落としてノヴァから嫌味を言われた。

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