第19話 内情

 小田は、さっき「毒」を入れる時に、蓋を開けて貯水槽の中をのぞいていた。でも私はチラっとしか中の様子は見ていない。水が入っていることを確認しただけだ。中の構造まで細かく注意して見たわけではない。ボールなんとかとか電極なんとかという物が内部にあるというのは気付かなかった。せっかくの機会だから、槽内も見てみたかった。

「あ……まあ、いいですよ。中に髪の毛が入ったら困るから、このヘルメットを被ってのぞいてください」

 私は貯水槽の外側についている金属のハシゴに取りついた。先程もそうだったが、炎天下であるにもかかわらず、掌に伝わる金属の感触は冷たい。

 ハシゴの一番上で、パンチパーマ作業員がかぶっていたヘルメットを受け取って自分の頭に載せ、そのまま腰を曲げて円いマンホール内を覗き込んだ。

 中は……当たり前だけど、さっきは満タンだった水が一切無くなっていた。タンクの中は、構造物が密集しているわけではないので、外観とほぼ同じくらいの大きさだ。つまり、縦横高さともに約一メートル五〇センチ強くらいの、サイコロ状に近い直方体だ。中に人が入ったならば、少し屈まなければならないが、比較的自由に動くことができるようだ。

 槽内は、照明があるわけではないが、燦々と照りつける太陽の光がマンホールから降り注いでいるし、タンクの材質自体が明るいレモンイエローなため、暗くはなかった。

 マンホールの真下、壁際に沿って、灰色のプラスチック製ハシゴがある。人が出入りすることを最初から想定して製造されている、ということだ。

 小柄な作業員は、ちょっと前屈み状態になって、ナイロンタワシで壁面をこすっていた。男性にしては小柄な人だけど、狭い場所で作業をするから、小柄な人物こそが槽内清掃作業員として適任で選ばれたのかもしれない。

 床、というかクリームイエローのパネルの底面には、黒っぽい粒々がいくつかあるのが見える。砂のように見えるが、あれが、踏んだらダメだと言っていたサビだろうか。

 灰色のハシゴの横には、金属製アームの先端に取り付けられた、小さめのメロンくらいの大きさをした白いボールがあった。ボールタップというやつか。その更に横には、針金よりも少し太い程度の金属棒が三本ほど、天井から床の近くまで下がっている。

「へえー……」

 やはりこの言葉しか出てこなかった。

 普段、体育の授業の後などは何気なく水を飲んでいたけど、こういう風に貯水槽として設備が維持されていたとは。初めて知った新しい世界だ。いや、貯水槽ではなく、高置水槽なのか。

「そういえばこのタンクって、高置水槽っていうのか、貯水槽っていうのか、どっちが正しい名前なんですか?」

「どっちも正しい言い方ですよ」

「えっ!」

 予想外の答えだった。どちらかが正解で、どちらかが間違っていると思っていた。受験勉強のマークシート方式に慣れていると、どれかが正解でどれかが間違い、というのが当たり前になっていて、両方正解という可能性はすっぽり抜け落ちていた私である。

「この高校は高台にあるし、四階建てだから、浄水場から来る普通の水道圧だと二階くらいまでしか水を送ることができないんですよ。それでどうするかというと、ボイラー室の地下にある受水槽という大きなタンクに一度水を貯めて、それをポンプでこの高置水槽というやや小さめの槽へ送って、高置水槽からは重力による自然流下で各階へ水を送っているんです。貯水槽というのは、受水槽や高置水槽をひっくるめた、広い意味で水を貯めるタンク設備の総称です」

「……高置水槽は清掃するのに、受水槽は清掃しなくていいんですか?」

「いえ、もちろんしますよ。もう既に受水槽の清掃は終わらしてありますよ」

 地下と屋上にタンクを設置し、毎年清掃をしていたのだ。はじめて垣間見たが、自分が通う高校の給水設備にこんな秘密があったとは。

 タンクの中をのぞくことができて満足したので、パンチパーマ作業員にヘルメットを返し、私はハシゴを伝ってタンクから降りた。

「おい、壁ふき、一通り終わったか? じゃあ、あとは、さっきのバケツに汲んだ水をぶっかけて、汚れをざっと流してくれや。間違ってナイロンタワシをドレンに流すなよ」

 ザバザバと音が聞こえてきた。バケツに汲んでおいた水を壁面にかけて、汚れを流しているらしいことは、容易に想像がついた。

「……じゃ、先に清掃後の写真撮っとくから、どけててくれ」

 台詞から判断すると「先に」と言っているからには、まだ清掃は終了していないようだ。そういえば、さっき言っていた仕上げ用の塩素消毒剤入り噴霧器は未使用のままだ。それなのに、先に清掃終了後の写真を撮ってしまうらしい。業者の内情というやつか。

 電池が残り少ないことを意識してか、「清掃後」の写真撮影は手早く行われた。

「よし。それじゃ、噴霧器降ろすぞ」


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