第7話 お仲間
音楽室は戸だけでなく窓も閉め切って密室状態で練習しているのだろう、吹奏楽部の音は微かにしか聞こえてこなかった。吹奏楽部のみなさまも暑い中、閉め切った部屋で練習お疲れ様です。脱水症状で倒れない程度に頑張ってもらいたいものだと思う。でも吹奏楽部は、夏の甲子園を目指す野球部の応援演奏で、楽器や頭に白いタオルをかけながら炎天下のスタンドで応援することになる。文化系の部活ではあっても暑さとの闘いがあり、体力勝負であるのは事実だろう。もっとも今年は、夏の甲子園を目指す地方大会は終わってしまっていて、ウチの学校の野球部は当然ながらもうとっくに敗退しているけど。来年の夏に向けて、今の内から暑さに慣れることも必要だ。
こっちも青春だ。
私はというと、無味乾燥な脳内詰め込み式の勉強だけだ。
でもその勉強も、モチベーションが上がらないときている。
いつもの私は、勉強をするだけのこの校舎に飲み込まれている。今は、そんな巨大コンクリートの塊を上から見下ろしている。屋上には転落防止の柵は設置されていないようだ。だったら出入り口の扉はきちんと施錠しておくべきなのに。視聴覚教室はしっかり施錠されていたにもかかわらず、屋上に鍵がかけられていないなんて。屋上に自由に出入りできる、という話は、この高校に入学して以来一年半ほど、全く聞いた覚えが無いから、今日だけなのだろうか?
そんな些細な疑問は、屋上からの眺めの気持ちよさの前に、呆気なく風に吹き消されてしまった。この高校自体が高台にあるので、屋上からだと完全に街を見下ろす格好だ。
グラウンドの反対側に目を転じると、ボイラー室の前に、白いワゴン車が停めてあって、運転席、助手席、横のスライドドア、後部ハッチと、全てが開けられていた。地球温暖化が叫ばれている今どきエアコンのついていない車は大変そうだ。エアコンもついていないような古い車は、排気ガス中に含まれる二酸化炭素によって更に地球温室効果を高めていそうだけど。
ダイレクトの直射日光は眩しいけれども、廊下とは違って屋上は広くて開放感もあるし、地上より自由に飛び回る風がスカートの裾を揺らしながら通り抜けるので気持ちよかった。
街中とはいえ小高い位置にある高校なので、風が遠くの山から森の香りを運んでくれているのだろうか。一見した感じでは、緑も多い。
更に周囲を見渡してみると、夏の空は少しの雲以外はただただ青く、入道雲は見当たらなかった。
それと同時に、私は意外なことに気付いた。
† † †
「……誰が来たのかと思ったよ。西川か」
先客がいたのだ。
私と同じクラスの日焼けが目立つ男子生徒、小田だった。髪の毛は短めに刈り込んでいて、痩せているけど筋肉質の体格も含めてスポーツマンっぽく見える。教室内で親しく話す機会は無いが、たしか陸上部に所属しているはずだ。成績はそこそこ良い方、私よりは上だったと思う。
着ているワイシャツの第二ボタンまで外して襟を大きく開いている小田は、パネルを組み合わせたような形状をしている四角いプラスチック製の構造物の上に乗り、円形の蓋を開けて中を興味深げに覗き込んでいた。
「……何やってるの? 小田」
小田も夏期講習を受けているのではなかっただろうか。あの四人か五人くらいの空席の内の一人だったのか。もうとっくに授業は始まっているはずなのに、何故、こんな所にいるのだろう?
「あ……かったるいから夏期講習フケてそこらへんを適当にブラブラ散歩してたらさ、屋上の鍵が開いていることにたまたま気付いてさ。……もしかして西川も?」
全く同じだ。私は大きく一つ頷いた。ショートボブの毛先が顎を優しくくすぐる。校内をあてもなく彷徨した結果屋上に辿り着いたのはあくまでも偶然だけれども、講習をサボっているのは、親や先生の言いなりになるだけじゃないんだ、と主張するちょっとしたレジスタンス行為、意思表示だ。喫煙も同じで、いけないと分かっていても、いや、いけないことだからこそ、あえてやっているわけだし。
お仲間を発見したからか、小田は日焼けした褐色の顔に人懐っこそうな笑みを浮かべた。ムースで立てているらしい黒々としたツンツンヘアが、天に向かって吠えている虎の牙のように尖っていた。日焼けした皮膚は更にダメ押しのような直射日光にさらされて、ヒリヒリしないのだろうかと他人事ながら心配になってしまう。
大学へ行きたいとは思うけど受験戦争に疑問を感じ、憂鬱な気分に浸っていたのは私一人ではなかったのだ。
共犯者意識とはこういうものなのか。今までは特に親しくなかった小田に対し、急速に親近感が湧いてきた。
「なあ西川。『檸檬』っていう小説知ってる?」
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