第2話 ウザいからサボる

 私が教室に入らないのは、窒息しそうなほどに堅苦しい空間に反発して、一歩でも離れていたいから。

 大きい目を少し細めて、戸口のところから教室内をぐるりと見回す。大部分の生徒は既に着席して参考書と格闘を繰り広げている。私の席以外でいまだに空席なのは五つほど。そもそも夏期講習に申し込まなかった人は四人か五人くらいだったはずなので、私以外は出席率一〇〇パーセントだろうか。学校での講習を受けていない残りの四人ないし五人にしても、自宅とか予備校とか塾とかで勉強に勤しんでいるのだろう。部活動のさほど盛んではない学校とはいえ、部活の練習に参加している生徒もいるのだろう。私は帰宅部なので詳しいことは分からないが、部活の練習時間は講習となるべく重ならないように組まれているはずだ。

 やる気も起きないのに、出席率ほぼ一〇〇パーセントという数字に従って、次の講習にも参加するのか。ただ席に着いてぼーっと講義を眺めているだけで成果が上がるのか。

 とにかく、気詰まりだ。

 そこへ、この暑さが拍車をかける。冬には冷え症に悩まされるが、だからといって夏の暑さに耐性があるわけではない。

 私は決断した。

 ウザいから、夏期講習はサボる。

 授業とは別途の費用を支払って受けている夏期講習ではあるが、一回くらいならサボってもいいだろう。講習を受ける理由は、端的に言えば学力アップを目指すためだ。やる気が著しく足りない集中力欠如時に無理をして講習を受けても、どうせ頭には入らず時間の無駄に終わるだけだ。一時的な停滞に見えたとしても、大局を見下ろせば、ちょっと気分転換をしてから改めて勉強に臨んだ方が、最終的には学力アップへの近道だったということも場合によってはあるかもしれない。

 張り詰めすぎたら、いつか反動で切れるだけ。暑い暑い夏休みなのだし息抜きも必要だ。朝っぱらから陽光が出血大サービスで降り注ぐ中を登校して来た時、生徒玄関のガラス戸にセロテープで何か貼り紙がされていたのを見たが、この熱気でバテてしまったかのように、上の角のテープが剥がれていて、紙が丸まって垂れかけていた。現在の私は、気力体力ともにそんな状態だ。貼り紙には水がどうのこうのと書いてあったような気がするが、直射日光が当たる日向にわざわざ足を止めて読むという根性は無かった。

「サボるくらいなら、最初から学校に来なければ良かった……」

 と愚痴って後悔しても、もう来てしまっているのだから遅い。それに今日の講習を全てサボってしまうのは、さすがに問題があるだろう。一つだけ中抜けして、残りの講習は何とか頑張って受けた方がいい。そうでなければ、同級生たちの流れに乗り遅れて学力差が大きくなってしまう。

 同じクラス、あるいは他のクラスでも、私と仲の良い友達も夏期講習に多数参加している。でも友人達も周囲の空気に流されてか、休み時間の寸暇を惜しんで黙々と勉強している。生真面目に講習に参加している大部分の生徒たちは、まだ休み時間なのにもう席に着いてテキストを開いて熱心に読んでいる。それが普通の光景。この異世界では、あくまでも私こそが例外的存在。異端だった。

 勉強の大切さは十分承知している。英語や数学なんかは特に毎日の積み重ねが必要なのも分かっている。英語は一日サボったら、その遅れを取り戻すのに三日かかる、と言われていることも。

 継続は力なり。

 昔の人が言っていた格言……というのか諺というのか。時代の波の洗礼に負けず、的確に普遍の真実を言い表している。

 だけどその「力」を放棄すると決意した私は、努力し続ける級友たちを横目に、四角いバトルロワイヤル・フィールドである教室から離れ、先生が来る前にトイレに入った。

 普通の公立高校ではあるが、予算をケチらずに使っているためか、トイレは清掃が行き届いていて、きれいだ。薄い水色のタイルが敷き詰められた床。アイボリーホワイトの壁。落書きなどの汚れも無い。芳香剤としてラベンダーの香りが幽かに漂っていて清潔感を演出し、換気扇も回っているので悪臭は残らない。紫外線殺菌付きのエアータオルが設置されている手洗い場には、ゴミ箱も置かれている。生理用品は個室にそれぞれ置かれているエチケットボックスに入れることになっているが、生理用品の包装ゴミはそのゴミ箱に入れなければならないことになっているのだ。男子トイレにゴミ箱があるかどうかは私は知らない。

 トイレといえば……。中学校や高校あたりの女子生徒はいわゆる「連れション」をする習性を持っている生き物だが、もうすぐ次の授業が始まるためか、今はもうみんな教室に戻っているらしく、誰もいない。

 私はというと、連れションには行かない。別に、人とつるまず孤高を装っている一匹狼ではない。親しい友人は何人もいるが、梅雨時の蒸し暑さのようなベタベタとした馴れ合いは好まないだけだ。タバコを吸うにしても、本来の用事にせよ、トイレに行く時は常に一人だ。


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