17、秘め事


 好きだと言ってくれたヴァンの言葉の重みに心が締め付けられる。


 行き場のない感情をぶつけ合うかのように、何度も、何度も口付けを交わしあう。

 息をするのも忘れるくらいに。そんな僅かな時間さえ惜しいと思うほど。


「わたしだって、あなたを置いていきたくない」


 頬を伝う涙を、ヴァンの手のひらが拭った。

 二つ仲良く並んだ大叔母の墓。精霊として生きているヴァンに終わりはこない。残していくほうも、残されるほうもきっとつらい。


 想いが通い合ったことよりも、いつか来る終わりのことを考えてしまう。


「だったら、お前が死ぬときまでずっと側にいて……。死んだら俺も、宝石としての生を終える」


 レッドスピネルを壊せばヴァンは消えると言った。


「わたしのわがままで、ヴァンは消えることになっちゃうの?」

「俺のわがままだ。それなら一緒にいられる」

「……わたしが、しわしわのおばあちゃんになっても、笑わないでいてくれる?」

「そうしたら、この姿もしわしわのジジイに変えてやるよ」


 それなら変じゃないだろう、と笑う。


「精霊がこんな風に人間に固執するなんて。……あのダイヤが言うように、おかしくなってるんじゃないかって思ってる。血よりももっと、お前が欲しい。お前の、心が欲しいんだ」


 メリルローザの胸元に輝くレッドスピネル。その下の、鼓動を打つ場所にヴァンが手のひらを置く。

 ブラックダイヤモンドは心を喰らって人間を破滅させてきた。躊躇いがちに触れるその手は、メリルローザを傷付けるものではないと言い切れる。


「わたしの心なんて、もうとっくにあなたのものよ」


 はじめて会った時から、ヴァンに囚われ続けている。

 壊れ物を扱うような口付けをひとつ落とされると、胸元に置かれたヴァンの手が意思をもって動き出す。膨らみにそっと触れられて、メリルローザは潤んだ瞳でヴァンを見上げた。


「……“何されてもいい”んだよな?」

「……っ……」


 確認されるように訊ねられて、赤くなる。言わんとしている意味は正確に理解できた。

 術ひとつかけられていないのに、ヴァンに見つめられるだけで身体の奥が熱い。触れ合って、抱き合って、互いの存在を確かめ合いたい。


 小さく頷くと、急くようにヴァンの唇が重なる。

 息もつけないような激しいキス。苦しいのは先ほどと同じなのに、苦しさの中身はまるで違う。

 締め付けられるような胸の痛みは、キスによって甘やかな痺れへと変わる。


 せがむようにヴァンの首に手を回したメリルローザに、ヴァンは「かわいい」と小さく笑って。それから、胸元のリボンがしゅるりとほどかれた。


「人間の書く本もあながち間違ってないんだな」

「どういう意味?」

「――キスしてみればわかるとかって、フロウが言ってただろ。ハイデルベルクで」


 あとで俺にも貸してくれと真顔で言われて、メリルローザは真っ赤になった。


「か、貸せるわけがないでしょ! そもそも、フロウが勝手に読んだだけなんだってば」

「じゃあいい。……このあとは? キスしたあとはどうなるんだ?」


 教えてくれ、と囁かれて眩暈がする。確信犯だ。分かっているくせに……。

 悪戯っぽく笑ったヴァンに、メリルローザからキスをする。そうしてしまえばもう、軽口も出てこない。求め合うまま衝動に身を任せ、二つの魂は重なりあった。





 *****





「あーらー? それっていけないヤツじゃないかしらぁ~」


 フロウの声を背中に受けて、ぎっくーん、と分かりやすくナターリエは背中を強張らせた。

 年をとっても少女のようなところがある人間だった。振り返ったナターリエは「いけなくないわよ?」とつんと澄ました顔で胸を張る。


「ちゃーんと、偉い人に偽造してもらった書類だもの。呪いを浄化したお礼として作ってもらったやつなんだから、いけないものじゃないわ」

「……偽造してもらった、って言ってる時点でいけないものだって認めているようなものよ?」


 フロウはわざとらしく肩を竦める。

 別にナターリエが悪いことをしようが責め立てるつもりはまったくない。

 ちらりと紙に視線を走らせると、「ヴァンは愛されてるわね」と笑った。


「……わたしが出来ることってこれくらいしかないからね。それに、考えようによっては、とても残酷な生き方を強いているのかもしれないわ」

「そうね。アタシたち精霊は何者にも縛られない存在。人のように生きるのは、それなりに不便がつきまとうものだもの」

「ふふっ、そうよね。だからこれは、わたしとフロウの秘密だけにしておいてちょうだい」


 唇に人差し指を当てたナターリエは、鍵付きの引き出しにその書類をしまった。小さな鍵に革紐を通し、フロウの首にそっとかける。


「……アタシが預かっていいの?」

「ええ。フロウが、必要だって思ったときにヴァンに渡してちょうだい」

「必要じゃなかったらどうするの?」

「それならそれでいいの。でも、きっとあの子は必要になる。そんな気がするの」

「ナターリエの言うことは当たるものねぇ……。いいわ、アタシが預かる」


 ナターリエにかけられた鍵を、フロウはドレスの襟元へとしまった。

 秘密の約束、という響きは嫌いじゃない。ナターリエはフロウの扱いをよくわかっている。


「……ちなみに、アタシの分はないの?」

「あら、だってフロウはそんなこと望んでないでしょ?」


 悪戯っぽく笑う主に「よく分かっているじゃない」とフロウも微笑む。


 かつてフロウにも愛した少女がいた。


 彼女の世界はとても狭くて、代わりにフロウはたくさんの世界と出会いを見てこようと約束したのだ。


 仲良くなった人間を見送るのはさみしいことだ。でも、悪いことばかりじゃない。

 ……別れのあとには、出会いがあるものだから。

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