16、Verweile doch, du bist so schön!
帰り道もやっぱりヴァンは静かで、無言のまま屋敷までの道のりを歩いた。
どうして急にお墓参りがしたいなんて言い出したの?
聞いてみようかと口を開き、結局聞けずに口を閉じる。隣にいるのに、ヴァンが少し遠くに感じる。
無言のままでいるとヴァンの手がメリルローザの指に絡められた。
「……何だよ」
「え?」
「言いたいこと、あるなら言えばいいだろ」
いつもみたいに。
そう言ったヴァンはメリルローザと手を繋いだまま、前を見て歩きだす。うん、と頷いたメリルローザは繋いだ手をぎゅっと握った。
「どうして急にお墓参りなんて言い出したの?」
「……何となく。お前と一緒なら、って思って。……お前と一緒なら、ナターリエに会ってもいいかって思って」
石なんか見たってしょうもないと思ってた、とヴァンは言う。
何の思い出もない地で名前だけ刻まれた墓石を見るよりも、彼女との思い出が詰まった薔薇園にいたほうがヴァンにとっては有意義だったのだろう。
「……そっか」
「けど……行って良かった。あいつは今、幸せなんだな」
婚約者と二人並んで眠る姿に、ヴァンは大叔母の生の終着を見届けたのだろう。優しい顔をしてそっと微笑む。
「……寂しい思いをしてないなら、それでいいんだ」
「大叔母さまは寂しくなんかなかったわよ。生きている間、あなたがずっと側にいたんだもの」
「……そうか」
「そうよ、きっと」
ヴァンやフロウの話に出てくる大叔母は、彼らに愛されていたのだとよくわかる。そんな大叔母のことが、羨ましいと思った。
「……わたしの側にもいてくれる?」
ヴァンが振り向く。
「いるだろ。今も、これからも」
「……うん」
ずっと一緒にいられたらいい。
時が止まってしまえばいい。
メリルローザが老いて朽ちてしまう前に。今、共に歩ける時間を、ずっと。
メリルローザの隣にヴァンがいるという証のように、西陽が二つ並んだ影を長細く伸ばす。
ぽつりぽつりと歩いているうちに屋敷の門が見えた。繋いだ手を離すのが惜しいと思ってしまう。
「……もし、この先、俺がお前を傷付けるような時が来たら。その時は俺を壊してくれないか」
屋敷に入る前にヴァンが言う。その言葉に戸惑った。
「……どうしてそんなこと言うの?」
「ブラックダイヤモンドに言われたことを考えてたんだ。俺もそのうち血を求めるだけの存在になってもおかしくない。お前はあの時否定したけど……、あんな風に暴走して、いつかお前を傷付けたり、喰らい尽くすようになるかもしれない」
「そんなわけ……」
「……だから、もしそうなったら。俺のことは壊してくれ」
戸惑うメリルローザの前でヴァンは「俺は自分が怖い」と顔を背けた。
「ナターリエといたときはもっと毎日が穏やかで、必要以上に血が欲しいとか思うことはなかった。けど、お前といると違う。いつかお前を喰らい尽くすんじゃないかと思うと……、あのダイヤみたいになりそうで怖いんだ」
「ヴァン……」
メリルローザはヴァンの手をとった。両手であたためるようにぎゅっと包みこむ。
「ヴァンはあんな風にならないわ」
「言い切れないだろ」
「言い切れる。信じてるもの」
ヴァンは優しい精霊だ。
今でも大叔母のことを大切に思っているし、メリルローザのことも守ってくれている。そんなひとが、ブラックダイヤモンドのように人を傷付けたり破滅に追いやったりなんてするはずがない。
大叔母のように、ヴァンを穏やかな気持ちにさせてあげることは出来ないかもしれないけれど、メリルローザに出来ることがあるのならしたいと思う。
壊すなんてそれこそ、最後の最後の選択みたいなもので――仮にそんな状況に陥ったとしても、きっとメリルローザはレッドスピネルを壊すなんてできない。
「……わたしと一緒にいたくない、って意味じゃないのよね」
「一緒にいたいから頼んでるんだ」
「今も、」とヴァンは息を吐く。
「苦しい。傷付けたくないんだ、お前のことを」
「わたし、そんなにヤワじゃないわ。そんなに簡単に壊れたり傷付いたりしない」
側にいてくれるんでしょう? と言うと、ヴァンはぐっと拳を握った。
「側に、いる。……だけじゃ足りない」
強く腕を引かれ、噛みつくように唇を奪われた。は、と息を吐いたヴァンが唇を離しただけの距離で顔を歪ませる。
「傷付けたくないのに、めちゃくちゃにしたい。……変な気持ちなんだ、ずっと」
「ヴァン……」
「矛盾してるだろ。だからおかしいんだ」
離れていこうとしたヴァンに手を伸ばす。シャツを握りしめ、メリルローザはヴァンを引きとどめた。
「もう一回」
消え入りそうな声で懇願する。
「もう一回、して。……お願い」
躊躇いがちにヴァンの顔が近付き、唇に触れる。触れてしまえば、堰を切ったように激しい感情がのたうち回った。僅かに開いた唇の間からヴァンの舌が入り込み、舌先が触れるだけでどろどろに溶けていきそうになる。
もっと、もっとと、息を継ぐ暇もなく唇を重ねるうちに、メリルローザの瞳から涙がこぼれた。
「メリルローザ……?」
側にいられるだけでいい、なんて。
報われなくてもいいなんて。
ジークハルトに言った言葉が蘇る。
綺麗事だ。触れあえば欲望が止まらない。
ヴァンが矛盾しているというのなら、メリルローザのほうがもっと矛盾している。
「傷付けられたっていい。何されたって平気だから。……だからお願い、側にいて」
「……何されても?」
ヴァンの瞳の奥に燃えるような炎が灯る。手を引かれるまま屋敷の中へ入り、一番近い、ヴァンが客室として使っている部屋へと連れ込まれた。
机とベッドだけの空っぽの空間で、押し倒されたメリルローザをベッドのスプリングが受け止める。
「ヴァ……」
すぐに唇を塞がれてメリルローザの呼吸も思考も奪われた。
「ヴァン……っ……」
「っ、は……」
ちゅく、と唾液の混じる音が響く。うまく息が出来ずに苦しいはずなのに、その苦しささえ快楽に変わっていく。すがるようにヴァンの背中に手を回したメリルローザに応えるように、ヴァンもメリルローザの身体に触れる。
「何されてもいいって、こういうことだろ?」
スカートの裾から入る手に、メリルローザが身体を強張らせた。
いつもなら「どこ触ってるのよ!」と怒っているはずで、ヴァンもそう言われるのを待っているかのようだった。メリルローザが怒って、去っていくのを待つように、その先へは決して進まない。
「言ったでしょう? 何されても平気だって」
「馬鹿か。そんな風に、軽々しく言うな」
「本気よ」
ヴァンから目を逸らさず、メリルローザは手を伸ばす。乞うようにヴァンの頬に触れると、それが合図になったかのようにヴァンの口付けが落とされた。
「好き」
キスとキスの合間に、言葉を紡ぐ。
「好きなの、ヴァン。わたし、あなたが……」
「メリルローザ……」
ぎゅっとヴァンの眉間に皺が寄る。
ああ、困らせたかな。口走ってしまった後悔はあったけれど、苦しくて苦しくて、一人ではもうどうしようもなかった。
「忘れて、いいから。今だけでいいから。だからお願い。こうしていて……」
「忘れられるわけないだろ」
メリルローザのおとがいから首筋にかけて、ヴァンの手のひらが移動する。泣きそうに歪んだヴァンの瞳の中に、同じく泣きそうな顔をした自分の姿が映っていた。
「忘れない。俺だって側にいたい。……お前に置いていかれるくらいなら、壊して欲しい」
好きだ、と苦しそうな声でヴァンが囁いた。
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