15、薔薇の守り人

「よしっ、やるわよ!」


 髪をしばり、スカートの裾をからげ、作業用のつば広の帽子と手袋をはめたメリルローザは、格好だけはばっちり園芸スタイルだ。

 すれ違ったフロウには「あら、カワイイカワイイ」と笑われたが何事も形からである。


 薔薇園はこまめにグレンが手入れしているため、数週間屋敷を空けたところで雑草が大繁殖しているなんて事態にはなっていない。

 それでも、緑色の葉っぱがぴょこぴょこと地面から顔を出している。

 引っ張ると簡単に抜けたが、乾いた土も大きくぼこっとついてきてしまった。


「先に水をまいたほうがとりやすいぞ」

「ヴァン」


 銀色のジョウロに水をくんだヴァンが地面を濡らす。柔らかくなった土のおかげで確かに抜きやすい。


 ヴァンの服装はいつもと同じシャツ一枚で、手袋だけ嵌めている。精霊に日焼けも虫刺されも関係ないらしい。いいわよねー、身軽で、なんていいながら、メリルローザはせっせと草取りの手を動かした。

 やり出したら徹底的にやりたくなってくるもので、端から順に抜いていく。


 こんもりと緑の山が出来上がる頃にはだいぶ日も高くなってきた。立ち上がって背中の筋肉をぐっと反らす。


「ちょっと休憩しましょ」


 テラス席に用意した冷たいレモネードをグラスに注ぐ。

 あなたも飲む? とヴァンの分も注いだ。食事や飲み物は必要ないというものの、こうして用意するとヴァンは付き合ってくれる。

 グレンがいないときは、一人で食事をしても味気ないのでヴァンに付き合ってもらっていた。


「ねえ、秋に咲く薔薇は何色なの?」

「ここにあるのは全部赤色だぞ」

「そうなの? 大叔母さまが好きだったのかしら」


 ピンクや白の薔薇というのも可愛いが、赤薔薇だけで統一されているというのも品があっていいと思う。

 ヴァンははじめて飲むものだからか、不思議そうな顔でレモネードを口にしていた。


「……いや、何色がいいかってナターリエが聞くから……」

「えっ? まさか、あなたが選んだの?」

「ああ。赤しか思い付かないっていったら、赤薔薇だけになった」

「ええー……」


 そんな理由なの? と絶句してしまう。レッドスピネルだから赤。単純だ。


「じゃ、薔薇にしたのはどうしてなの?」


 それもヴァンが決めたのかと聞くと、「違う」と返ってきた。


「姪っ子の名前と同じだから、薔薇にすると決めたのはナターリエだ」

「姪っ子……?」

「……お前のことだろう?」


 確かに、親族の中で薔薇の名前が入っているのはメリルローザしかいない。


「わたし?」


 亡くなった母と大叔母は交流があったと聞いている。メリルローザは覚えていないが、小さかった頃にこの屋敷にも遊びにきているはずなのだ。

 薔薇はきれいなだけじゃなく、品があって、強い花だから。それがメリルローザの名前の由来だ。


「この屋敷に遊びにきた時に、自分の名前が素敵だって思えるような庭を作るんだって。そう言って育て始めたんだ」

「そう、だったの……」


 大叔母が元気な時にこの薔薇園に遊びに来ることは叶わなかったけれど、今こうして大叔母の遺した屋敷に住んでいるというのは不思議な縁を感じる。


「じゃあ、ヴァンはわたしがここに来るまで、この薔薇園を守っていてくれていたのね」


 ヴァンは虚を突かれたような顔をした。

 ヴァンがこの薔薇園に執着したから、グレンも薔薇の世話を引き継いでくれたのだろう。いくら大叔母の頼みでも、維持するのは大変だったはずだ。

 大叔母が育て、グレンに引き継がれ、ヴァンが守ってくれていた薔薇園は、メリルローザにとっても特別な場所になる。


 雲間から顔を出した太陽が、レッドスピネルをきらりと反射させた。


「あの時、赤薔薇にして正解だったな」

「……なんで?」

「お前には、赤が似合うから」


 そう言ってヴァンの手がレッドスピネルに触れる。ヴァンが似合う、と言われたみたいで、メリルローザの頬はかあっと熱くなった。


「あ、ありがと……」

「別に気に入らなかったら違う色を植えてもいいぞ」

「い、いいわ。このままで」


 ほら、続きをしましょ、と照れ隠しでレモネードをごくごく飲む。

 ヴァンもグラスをテーブルに置いたが、真面目な顔をして「頼みがある」とメリルローザの手をとった。


「何?」

「……ナターリエの墓参りに行きたい。お前と、ふたりで」



 *



 翌日の夕方、二人は花を携えて街を出た。

 大叔母の眠る墓はローテンブルクから歩いて二十分ほどの場所にある。

 メリルローザは幼い頃に行ったきりで、ヴァンははじめて行くのだと言った。


「叔父さまと一緒に行かなかったの?」


 声は聞こえていたというのだから、頼めばグレンがレッドスピネルを連れ出してくれただろう。

 ヴァンから行きたいということもなかったし、グレンも一緒に行こうかと言うこともなかったという。


 ヴァンは静かだった。メリルローザのほうも、あれこれ聞くのは憚られて口をつぐむ。夏の虫が鳴く間延びした声と、踏み固められた道を歩く足音だけが、のどかな光景に響く。

 緑の多い、開けた場所に整然と並んだ墓石が見えた。十字架と、大叔母の名前が刻まれた墓石。手向ける花はヴァンが花屋で選んだ。白い花だ。


「隣」


 ヴァンが大叔母の墓の隣を示す。


「ナターリエの婚約者の名前だ。……こうやって、隣にいたんだな」


 生前、婚姻を結ぶことが出来なかった二人だが、遺族の意向で隣合わせに埋葬することにしたのだろうか。大叔母は今、愛した人の隣で眠っている。


「あ、だったら……」


 持ってきた花を二つに分けて、二人の墓前に飾る。仲良く同じ色の花が揺れているさまは、寄り添う夫婦のようだ。メリルローザは墓前でそっと瞳を閉じる。


(大叔母さま……)


 もしも大叔母が生きていたら、今のメリルローザを見てなんというだろう。

 赤薔薇の庭園と、レッドスピネルを継ぐことになったのも大叔母の不思議な引き合わせのように感じる。


 ヴァンの方を見ると、じっと墓石に刻まれた大叔母の名前を見つめていた。永遠に置いていかれた、と言っていたフロウの言葉を思い出して切なくなる。


 メリルローザがいなくなったときにも、ヴァンはそんな顔をしてくれるのだろうか。


 ヴァンとナターリエの声なき会話を、メリルローザは隣で静かに見守った。

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