9、腕の中で
「ヴァン!」
ぐったりとしているヴァンに触れる。熱を持ったように身体が熱かった。
「どうしよう、さっきの呪いのせいよね……」
レッドスピネルを握りしめる。
浄化の能力を持つヴァンが呪われていては、治してあげることも出来ない。風邪や怪我とは違うのだ。
うろたえるメリルローザの前に、フロウが現れた。
「呪いのせいでかなり力を削がれてるわね。それでも、ヴァンの能力のほうが強いから、回復すればこの呪いも消せるとは思うわ」
「どうすればいいの?」
「アタシたちは契約者から力を貰っているわ。だから……」
「血ね。わかったわ」
と言っても、今のヴァンに噛みつけるほどの体力が残っているようには見えない。
メリルローザは備え付けのデスクからペーパーナイフを取り出すと、左手の人差し指にぶすりと刺した。深く刺した傷口からすぐに赤い血が流れる。
「ヴァン」
「ん……」
口元に近づけると、ヴァンの舌がメリルローザの血を拭う。そのままメリルローザの指を噛むと口の中に含んだ。時間をかけて血を吸われるとようやくヴァンが瞼を持ち上げる。
「……馬鹿、こんなに深く、傷つけやがって……」
「だって……」
少し身を起こしたヴァンに、メリルローザは自らの首を差し出した。指先からの血なんて気休め程度で、全然足りていないはずだ。
「……術、使えないぞ……」
「いいわよ。平気だから」
はやく、とメリルローザが急かすと、ヴァンも余裕がないのか首筋に顔を埋める。
肌を食い破られ、一度味わったことのある痛みに歯をくいしばる。飛びそうになる意識を必死で手繰りよせた。
「う……」
術なしで噛まれるのは二度目だ。痛い、とは言わない。
痛がったら、きっとヴァンはやめてしまうだろう。今は一刻も早くヴァンに回復して欲しかった。ヴァンにのし掛かられるまま、メリルローザの身体はベッドに沈む。
ぐっと身体に力を入れて耐えていると、だんだんヴァンが噛んでいるところの感覚が痛みで麻痺していく。
舌が肌を撫でてもほとんど温度を感じず、時折ちゅっと吸われる音や、ヴァンの荒い息づかいが静かな部屋に響く。
短いような長い時間の後、ヴァンはゆっくりと唇を離した。
「……レッドスピネルは……」
「ここよ」
握っていたレッドスピネルを出す。
ヴァンが触れると黒いもやは一気に霧散した。いつも通りの美しい赤い光を取り戻す。
は、と息をついたヴァンは再びベッドに倒れこんだ。
「浄化……できたの?」
「……ああ……けど、今日はもうだめだ……」
疲れきった様子で目を瞑っているが、先ほどまでの苦しそうな様子はなくなってほっとする。
良かった、と息をつくメリルローザのほうも限界だった。疲れと、お香の影響と、貧血のせいで身体がふらつく。
ヴァンに手首を引かれて、そのまま彼の腕の中に倒れこんだ。
「ヴァン……?」
抗うほどの力も残っていない身体はすっぽりとヴァンの腕の中に収まる。抱きしめられると、冷えた身体にヴァンの熱が移っていくようだ。恥ずかしさや照れよりも、心地よさが上回る。
「髪が濡れてる」
「外、雨だったから……」
「風邪ひくぞ」
そう言いつつもヴァンはメリルローザの身体を離さないので動けない。もし動けたとしても、億劫で立ち上がる気力もなかっただろうが。
メリルローザはそのままヴァンの胸に顔を埋めた。筋肉質なかたい身体は、自分の女の身体とはやはり違う。
この肉体はヴァンによって「造り出された」もので、彼にとってはただの容れ物にしか過ぎなくても、ヴァンが男で、自分が女で良かったと思う。
抱きしめられると守られているような気持ちだ。疲労と安堵で身体の力が抜けた。とろとろとした眠りが、メリルローザの瞼をおろしていく。
「……ヴァン、消えちゃうのかと思って……怖かった」
ぽつりと漏らしたメリルローザの髪をヴァンが撫でる。
「そんなに簡単に消えてたまるか。本体が砕けでもしない限り、消えたりしない」
「そう……良かった……」
ぎゅっとヴァンのシャツを握りしめる。
「……側にいてね……」
「……ああ。ちゃんといる」
触れられる手が心地よくて、メリルローザの意識はゆっくりと溶けていった。
穏やかな寝息をたてるメリルローザの額に口づけを落とすとヴァンも目を閉じる。しとしとと降る雨の音が良いノイズとなって眠気を誘った。
そんな二人を離れた場所で見ていたフロウは「二人ともお疲れさま」と微笑む。
そっと起こさないように布団をかけてやると、自身もフローライトの中へと戻っていった。
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