10、ブラックダイヤモンド


 開けっ放しのカーテンから朝の光が注ぐ。

 昨夜はあのままヴァンの腕の中で眠ってしまったらしい。目の前にヴァンの鎖骨が飛び込んできて狼狽えたものの、穏やかに眠るヴァンの表情を見て安心した。


 このままヴァンの腕の中で微睡んでいたいがそういうわけにもいかない。

 マリウスやディアナがどうなったのか心配だし、叔父とも話さなくてはいけない。


 身体に回るヴァンの手から抜け出そうとしていると、ヴァンのほうも目が覚めたようだった。


「お、おはよう……」

「……ああ」


 ヴァンが身体を起こしたので、メリルローザも一緒に抜け出す。ヴァンの手がメリルローザの頬を撫でた。


「体調は?」

「もう平気。あなたは?」

「力も戻ってる。……お前はしっかり朝飯を食べておけよ」


 昨夜はだいぶ血を貰ったから、と言われて頷く。寝床を共にした恋人のようなやり取りは何だか気恥ずかしかった。

 脱ぎ散らかしたままの服を片付け、シャワーを浴びてさっぱりすると、身支度を整えたタイミングを見計らってフロウが現れる。


「おはよ、メリルローザ。うん、顔色はいいわね」

「フロウ、昨日はありがとう」

「いいのよ。主のピンチだもの、当然よ」


 それより、と唇に手を当てる。


「昨日の子、心配ね。ブラックダイヤモンドにかなり心を喰われているわ」


 本体は地下にあるブラックダイヤモンドだとフロウは言っていた。それが、この街に漂う嫌な気配の根元らしい。


「心を喰う?」

「ええ。ヴァンが血、アタシが涙を必要とするように、あのダイヤの力を使うための対価は契約者の心だわ」

「ダイヤの力……。それが、呪いをかけることなの?」


 マリウスは触れただけでヴァンに呪いをかけた。ヴァンが浄化をするのとは正反対だ。


 呪術師というと、もっと祈祷めいたことや、まじないによって呪いを生み出しているのかと思っていた。あんな風に触れるだけで呪いがかけられてしまうなんて信じられない。

 ふつうの人間なら不可能だろうが、不思議な力を持つダイヤの力を使えば可能なのだろうか。


「多分ね。でも、あの子の意思というより、ダイヤが彼の心を乗っ取っているようにも見えたわ」

「じゃあ、ダイヤがマリウスを操っているっていうこと?」

「――メリルローザ、起きているかい?」


 こつん、とドアをノックされる。あまり眠れなかったらしいグレンが部屋の前にいた。


「ごめん、話し声が聞こえたから。僕も混ぜてもらってもいいかな?」

「ええ」


 グレンにも後で話すつもりだったが、ディアナのことが心配なのだろう。一刻も早く情報が欲しい気持ちも分かる。

 ブラックダイヤモンドの話をすると、グレンは疲労の濃い顔を険しくした。


「……ブラックダイヤモンドは強い力を秘めた石だ。征服や力を象徴する石で、悪魔が魅入られる石とも言われているね」

「悪魔……」


 不穏な単語にごくりと息を飲む。


「もしマリウスが操られているんだとしたら、ダイヤを浄化すれば元に戻るの?」

「どうだろう。それなら難しい話じゃないんだけどね」

「……難しいだろうな。俺とお前は昨日の一件でダイヤに『敵』と見なされただろうし、そんなに易々と近付かせてくれないだろう」


 マリウスを使ってどこかへ隠されてしまったらどうしようもない。屋敷を訪ねても警戒して会ってくれないかもしれない。


「……ディアナさんに持ってきてもらうことは出来ないのかしら」


 彼女なら自由に屋敷に出入り出来るし、マリウスも警戒しないだろう。ブラックダイヤモンドに心を乗っ取られている弟を救うことも出来る。単純にそう考えたのだが、グレンは眉間に皺を寄せた。


「僕もそれがいいと思うけれど……、ディアナが応じてくれるとは思えないな」

「どうしてですか?」

「彼女は、僕の仕事がいわくつきの品を取り扱っていると知っているんだ。浄化うんぬんに関しては知らなくとも、呪われた品を所持していることを秘密にしていたわけだろう?」


 立ち入って欲しくない、触れて欲しくないとディアナは線引きしている。

 三年前、何も言わずにグレンの前から姿を消し、昨夜も「助けて」ではなく「出ていって欲しい」と言った。

 グレンが弱気なのは、ディアナに拒絶されているせいなのだろう。想いを寄せた相手に拒絶されているせいで踏み込めないでいる。


「……ディアナさんにはディアナさんの事情があるんだと思います。でも、マリウスのこともこのままにしておけないわ」

「……そうだね。君の言う通りだ」

「わたし、ディアナさんと話をしてみます。話せば協力してくれるかもしれない」

「待て。無策であの屋敷に行くのは俺は反対だぞ」


 ヴァンが止める。

 フロウも「そうね」と同意した。


「いつまた彼が暴走するかわからないのに、下手にあのダイヤに近づくのは危険だわ」

「じゃ、ディアナさんをどこかに呼び出す?」


 会話の最中で、ドアがノックされた。「――失礼、ミス・キースリング?」ホテルマンの声だ。


「はい?」

「女性からお電話で言伝てを預かっているのですが」

「言伝て?」

「ええ。お名前はおっしゃられませんでしたが、キースリング男爵のお連れの方へ伝えてもらえばわかるから、と」


 メモを渡したホテルマンは、それでは、と一礼して去っていく。

 中を開くと「今日の十三時、大学図書館前にて会えませんか?」と短く一言書かれていた。


「ディアナさん……?」

「だろうね」


 グレンが苦笑する。自分宛ではないことに多少傷付いているらしい。


「マリウスのことも心配だし……。何とかしてディアナさんを説得しましょう」

「ああ……、頼むよ」

「何言ってるんですか、叔父さまも一緒ですよ。一人で来いとはどこにも書いてませんもの」


 いつになく弱気なグレンを叱咤してメリルローザは立ち上がった。

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