7、まがい物の薔薇

 中は外と同じく手入れが行き届いていないため、少し埃っぽかった。大きな屋敷なのに姉弟二人で住んでいるせいで、使っていない部屋も多いのだろう。

「随分古い屋敷なのね」と言うと、マリウスが壁にかかった大きな絵を示した。


「僕の一族は芸術家が多くて、この屋敷もひいおじいちゃんのものだったんだ。あの絵もひいおじいちゃんの作品だよ」


 この頃はお手伝いさんもいっぱいいたんだって、とマリウスが肩を竦める。


「じゃあ、お姉さんも画家なの?」

「そうだよ。僕たち二人とも、絵を書いてると時間を忘れちゃって……。生活リズムもバラバラなんだ」


 こっちだよ、とマリウスは二階へと案内した。姿を消したフロウが「呪われた品は下よ」とメリルローザに囁く。


「……マリウス。この家、地下もあるの?」

「そうだけど……、よくわかったね」

「これだけ立派なお屋敷だから、もしかしてって思ったの。良かったら屋敷の中を案内してもらってもいい?」

「うーん……。そうすると絵を描く時間がなくなっちゃうよ。先に絵を描いてからね」


 変にごねると怪しまれそうなので、メリルローザのほうも「わかったわ」と言って引き下がる。

「アタシが見てくるわ」とフロウがするりとメリルローザから離れる。


 三階の日当たりのいい角部屋がマリウスがアトリエとして使っている部屋らしく、籠った絵の具の匂いがした。


「ごめんね、散らかってて。窓を開けるね」


 窓の外にはハイデルベルク城が見える。どこかで見たような風景だな、と既視感を覚えた。

 城を背景にするようにマリウスが椅子を置く。


「あの……一応聞くけど、裸婦画じゃないわよね」

「ええ!?」かあっとマリウスが顔を赤らめる。「お、おねえさんが裸婦画がいいっていうなら、僕は構わないけど……」

「ち、違うの! 一応確認っていうか、そういうつもりじゃないから!」


 ほら、やっぱり違うじゃない! と姿を消しているヴァンに怒りたくなった。

 ここに座ってくれる? と言われた椅子に座る。そこから部屋の中を見渡すとだいぶ散らかっていた。空になった絵の具が床に落ちていたり、新品の絵筆も袋に入ったまま、壁際に適当に放り出されている。


「お香、焚いてもいい? この匂いも少しはマシになるかな」


 すん、とマリウスが鼻を動かす。

 窓から入ってくる風で絵の具の匂いはだいぶ薄れたが、本人としては気になるところらしい。


「わたしはそんなに気にならないわよ?」

「そう? でもこういうのはムードとか気分とかが大事でしょ?」


 マリウスがお香に火をつけると、薔薇の花のような香りがした。

 毎日、本物の薔薇の香りを嗅いでいるせいか、あくまで薔薇に似せてあるだけの香りだと思う。


「じゃあ、えっと、ちょっと斜めに座ってもらってもいいかな」

「こう?」

「そう、で視線はこの辺りに。顎をひいて、ちょっと微笑んでくれる?」

「え、ええ……」


 なかなかに難しい。指示通りのポーズで身体がカチカチになる。

 ちらりとマリウスを窺うと、すっかり絵描きの表情になってキャンバスに下書きをはじめていた。クロッキーがキャンバスの表面を撫でるざらついた音が聞こえる。


(呪われた品について聞き出さなきゃ)


 そう思うのに、何だか急激に眠気が襲ってきた。長い道のりを歩いてきたせいで疲れているのか、それともお香にリラックス効果でもあるのか、瞼が重い。


「おねえさん、ちょっとネックレスの位置を直してもらってもいい?」

「え、ええ……」

「んー……、ちょっとごめんね?」


 立ち上がったマリウスが、メリルローザの後ろに手を回す。ネックレスの金具を外したマリウスが、赤い宝石を掲げるように持った。

 その時ふと思い出したのは、街で見た女性の肖像画だ。あの絵にも窓から見えるハイデルベルク城が描かれていた。頬杖をつき、眺める窓の形もこの部屋のものとよく似ている――。


「本当にきれいな宝石だね」

「ええ……。ありがと……」


 ぼんやりするメリルローザの前でレッドスピネルが揺れる。

 にい、と笑ったマリウスの目が妖しげに光った。


「きれいな宝石に呪われて死んだ、きれいなおねえさん。――とっても悲劇的じゃない?」


 マリウスは素早い動きでメリルローザの首に手をかけた。

 苦しい、と思う前にマリウスの身体は横に吹き飛ぶ。一瞬詰まった喉に一気に空気が流れ込み、メリルローザは椅子から落ちて思い切り噎せた。


「ヴァン……」

「大丈夫か」


 実体化したヴァンに助け起こされる。マリウスは殴られた右頬を押さえながら、ゆっくりと立ち上がる。その手に、レッドスピネルは握られたままだ。


「ふうん、精霊付きか。珍しい」


 マリウスは突然現れたヴァンにも驚かず、すぐに精霊だと見破った。ヴァンはメリルローザを後ろに庇うように立つ。


「お前、ただの子供じゃないな。何するつもりだ」

「精霊付きでも、呪いって効くと思う?」


 朗らかに笑ったマリウスの瞳の色が黒く濁る。マリウスがレッドスピネルに触れると、ヴァンが膝をついた。


「ヴァン!?」

「っ、こいつ……」


 苦しそうにヴァンが胸元を押さえた。

 マリウスの手にあるレッドスピネルに濃いもやがかかっている。――これまで見てきた、呪われた品と同じように。


「マリウス、何をしたの!?」

「呪いをかけたんだよ、このレッドスピネルにね。このままおねえさんが死んだら、おねえさんはレッドスピネルに呪い殺された悲劇のヒロインになれる」

「メリルローザ! ヴァン! 本体は地下にあるブラックダイヤモンドよ!」


 部屋に飛び込んできたフロウが、苦しむヴァンを見て驚いている。

 ――逃げなきゃ。

 多分、今の状態のヴァンでは浄化の力を使うことは難しいだろう。


「マリウス。ネックレスを返して!」


 メリルローザがマリウスに掴みかかろうとすると、背後から現れた人物が少年の華奢な身体を羽交い締めにした。

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