6、対岸の屋敷


「おはよう、メリルローザ。昨日はすまなかったね」


 翌朝起きると、グレンはいつも通りの様子だった。朝食を食べながら「何か収穫はあったかい?」と問われる。

 グレンの方は――昨日の夜の様子については触れて欲しくない、というオーラが漂っているので、メリルローザも敢えて何も触れない。人間誰しも触れられたくないことはあるものだ。


「実は、この街に大きな呪いがあるってフロウが言っていて」

「そうか。フロウなら、場所はどこかわかるんだろう?」

「ええ。ただ、すごく嫌な予感がするからやめたほうがいいってフロウは言ってるんですけど……」


 それを聞いてグレンは僅かに間を置いたが「行ってみるべきじゃないかな」と言った。


「フロウは精霊だから、そういう嫌な気配に敏感になって警戒しているんだろう? 一度現地に行って確認するだけしてみてもいいんじゃないかな」

「……もし危なかったらどうします?」

「あはは。そうだねぇ……。いざとなったら、僕を置いて逃げてくれたって構わないよ」


 グレンは珍しく強硬な姿勢だ。自分に出来ることだけする、といっていた人なのに少々違和感がある。やはりグレンは、何かその呪いについて知っているのではないだろうか。


「置いて逃げ出してしまうようなものが何なのか、叔父さまはご存知なんですか?」

「ふふ。搦め手が上手くなったね、メリルローザ」


 探りを入れたメリルローザにグレンがにやりと笑う。


「あいにく僕もそれが何なのかは知らない。僕は呪われた品よりも、そこにいる人物に会いたくてね」

「人、ですか……」

「うん。その呪いを所有しているのは、僕の想像している人物なのか、それとも別人なのか。……確認したいんだ」


 その相手というのは、昨日グレンが遅くなったことと関係しているのだろうか。野次馬心が少し疼いたが、確認してみればわかることかもしれない。


「まあ、フロウが君を案じる気持ちも分かる。場所だけ教えてくれれば、僕一人で確認してきてもいいけど」

「いえ……。一緒に行きます。何かあったらすぐに浄化出来たほうがいいですよね?」


 フロウがあれだけ警戒しているのに、グレン一人を向かわせるわけにはいかない。グレンは小さく笑った。


「それは頼もしいね。それじゃあ、フロウとヴァンにも宜しく伝えてくれ」


 グレンはゆったりと珈琲カップを口に運んでいたが、メリルローザの目にはどこか急いているようにも見えた。




 フロウの言う対岸に向かうには、東のアルテ橋を渡っていく方法と、西のテオドール・ホイス橋を渡っていく方法がある。

 ホテルからだと東の橋のほうが近いのだが、かなり急な坂道を登ることになるため、西側から回っていくことになった。

 晴れていれば絶景だったのだろうが、曇った空がどんよりとハイデルベルクの町並みを覆っているのが見える。


「この先ね。すごい力だわ。ここまで来るとヴァンにもわかるでしょ」


 フロウが問うと、ヴァンが「ああ」と険しい顔で頷く。

 小道を下っていった先に古い屋敷があるのが見えた。キースリング邸が手入れの行き届いた古めかしい屋敷だとするなら、この屋敷はかなり荒れている。二階と三階の窓を覆うように蔦が蔓延り、いかにも何か出そうな、おどろおどろしい佇まいだ。


「こ、ここ……?」

「すごいところだね」


 グレンも苦笑している。周囲には他の家もなく、ぽつんと建つ屋敷には呼び鈴もない。

 何と言って訪ねるべきか、グレンと門の前で頭を悩ませていると、玄関の戸が僅かに開いた。


「……誰か出てきたみたいだね」


 その姿に、グレンは拍子抜けした顔を、メリルローザとヴァンは驚きの表情を浮かべた。


「あいつ……」

「マリウス……!?」


 スケッチブックを抱えてぴょこぴょこと出てきた人影は昨日出会った少年だ。マリウスも門の外にいる人影に不審な顔をしていたが、そこにいるのがメリルローザだとわかると驚いた顔をして駆けてきた。


「おねえさん? どうしたの? 僕の家に用事?」

「マリウス、ここ、あなたの家なの?」

「うん、そうだよ」


 ヴァンとは昨日会っているが、初対面のグレンのほうを窺うように視線を上げた。


「えっと、今、うちには僕しかいないんだけど……」

「ええと、マリウス君?」グレンが腰を折ってマリウスと視線を合わせた。


「失礼なようだけど、ここには誰が暮らしているのかな? お父さんやお母さんは? 君に、きょうだいはいないかい?」

「お父さんもお母さんもいない。今、ここにいるのは僕とお姉ちゃんだけだよ」

「そう。じゃあ、お姉さんが帰ってくるまで中で待たせてもらうことは出来るかな」


 グレンが真摯に頼んだが、マリウスは首を振った。


「ごめんなさい。知らない人は中に入れちゃいけないって言われているから」


 でも、とマリウスは視線をメリルローザの方に向けた。


「おねえさんだけならいいよ。待っている間、僕の絵のモデルになってくれるならね」

「わたしだけ?」

「うん。さすがに僕も、知らない男の人二人を招き入れるのは、ちょっと……」

「お前とメリルローザが二人きりになるのもどうかと思うぞ」


 ヴァンが口を挟むと、マリウスは可笑しそうに笑った。くりくりとした目をヴァンに向ける。


「おにいさん、昨日も一緒だったけど……おねえさんの恋人? 心配しなくても変なことなんてしないよ」

「どうだか。お前、昨日俺たちの後をつけてただろう」

「……? なんのこと?」


 きょとんとした顔をされる。まったく身に覚えがないといった様子で、演技や嘘をついているようには見えない。

 こちらの勘違いだったのだろうか。その様子にヴァンも毒気を抜かれた顔をしていた。


「絵のモデルになるだけ、なのよね?」

「うん」


 それなら、うまくマリウスを誘導して、呪いの品のことを聞き出せないだろうか。その品がなんなのか分からないままでは、こちらも対策が考えられない。

 それに、ヴァンは姿を消せるのだ。マリウスに気付かれずに一緒に来てもらって、この場で浄化してしまうという手もある。


「わかったわ。じゃあ、モデルになる」

「本当? やったあ!」

「マリウス君。君のお姉さんはいつ帰ってくるのかな?」


 グレンの問いに、マリウスはうーんと天を仰ぎ見た。


「わかんない。雨が降りそうだからなぁ……。いつも夕方には帰ってくるけど、昨日は夜遅かったし」

「そうか。じゃあ、僕はまた出直すとするよ」


 グレンが引き下がるとマリウスもほっとした顔をした。


「じゃあ、おねえさん。中へどうぞ?」

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