3、いびつな感情


 フロウの言っていた呪いの存在や、メリルローザの後をつけてきていたマリウス。

 店に飾られた絵。カードの模様。


 手がかりになるような、そうでないような。

 点と点のままでどれも結びつかない事柄が頭の中を通り過ぎていく。考えが纏まらないのは長旅の疲れもあった。


 ホテルに戻ってもグレンはまだ戻っていない。……遅くなるような口ぶりだったのだし、当然か。

 フロントから鍵をもらい、メリルローザはヴァンと共に部屋に入る。


「……いいのか? 血、貰って」

「ええ」


 いつでもどうぞとばかりにメリルローザが待っていると、ヴァンが「やっぱりお前、なんかおかしいぞ」と呟いた。


「前まであんなにごねてたくせに……」

「……慣れたのよ。人は慣れるものなの」

「そうかよ。……リクエストは?」

「いいわよ、首で」


 ほら、と首を傾けて噛みやすいようにしてやる。ヴァンはやっぱり解せないという顔をした。


「何?」

「……お前が怒ってないと調子が狂う」

「失礼ね。そんなに怒ってばっかりじゃないわ」


 ――メリルローザが血を与える限り、ヴァンは側にいてくれる。


 吸血という代償行為と引き換えに、自分のことを必要としてくれるから。ほんの一時でも自分を求めてくれるのなら嬉しいと思ってしまう。


 屈折した感情だ。


 言葉では何でもないことのように振る舞いながら、心の中では複雑な感情が渦を巻いている。

 側にいたい。触れて欲しいのに、触れられる理由は血を与えるためだけ。

 一時でも恋人のようにヴァンに手を伸ばしても許される時間は嬉しくて、そこに愛がないことは悲しい。


 だからヴァンを意識しないように、

 人間が定期的に食事をとるみたいに、

 嵐が過ぎ去るのをじっと待つ旅人のように、

 ――ただ静かに受け入れるだけの存在にならなくてはいけない。


「……じゃあ、怒らせるようなことをしてやる」


 は? と声をあげる前にベッドに押し倒された。ヴァンの唇が触れたのは首ではなく耳だ。耳朶を噛まれ、ピリリとした痛みが走る。


「っ……、やだ、また、指の時みたいなっ……」


 少しずつ吸われるのは時間がかかる。抵抗してみせたが、ちゅっと音をたてて耳を甘噛みされ、びくんと身体が跳ねた。


「ちょっと……! わざとやってるの……」

「ああ、わざとやってる」

「や、耳元で喋らないでっ……」


 囁くような低い声に背筋が震える。

 術はほんの僅かしか使われていないはずなのに、直に鼓膜を震わす声音と唾液の水音に腰が抜けそうになった。

 のし掛かってくるヴァンの胸板を押し返しながら、この破廉恥精霊、と悪態をつく。

 そこでようやくヴァンが身体を離した。


「そうやって怒ってるほうがずっといい」

「……怒られるのが嬉しいの? 変なやつ……」

「ずっと様子がおかしかっただろ。祭りの後くらいから」


 それは、ヴァンとフロウの会話を立ち聞きしてしまったからだ。ヴァンが今でも大叔母のことを忘れられないと知ったから。


「この間の、男と一緒にいたときだって……」


 がり、と首筋に噛みつかれる。血を吸うためではなく、肌を傷付けるような噛み方だ。歯で傷付けた部分をヴァンの舌が這う。小さく息を漏らしたメリルローザを追い詰めるように、再び肌を噛まれた。


「泣いてた」

「あれは、……なんでもない、から……」

「今も、泣きそうな顔してる」


 そんなことない、という声が掠れた。恋人のようにヴァンの手がメリルローザの頬に触れれば胸が切なく疼く。

 もしもヴァンのことを好きだと伝えたら、ヴァンはきっと困るだろう。この先、ぎくしゃくした関係になってしまうのは嫌だ。

 顔を背けたメリルローザに苛立ったかのように、ヴァンの手がメリルローザの肩を強く掴んだ。


「……そうやって俺を突っぱねるから、いらいらする」

「い、た……っ!」


 強く歯が差し込まれた。どっと血が出る感覚と、何度も味わってきた快感。待ちわびていた痛みに身体が震え、ヴァンの身体にしがみついた。


「別に突っぱねてな、っ、あ……!」


 上がりそうになった声を手の甲で塞ぐ。喋っていると、変な声を出してしまいそうだ。

 メリルローザが固く口を結んだのを知ってか知らずか、ヴァンが傷口を強く吸う。ヴァンのかける術によって、痛みは強い快感へと変わった。

 急激に身体を侵食していく痺れは、暴力的なまでにメリルローザを快楽の淵へ叩き落とす。


「や、やだ、やだっ、ヴァンっ……」


 身体がおかしい。

 肌がぶわりと泡立ち、身体中の筋肉がぎゅっと収縮する。高いところから突き落とされそうな感覚に、必死にヴァンにしがみつく。


「ねえ! 変、なの、やだ、こわい……!」


 自分が自分でなくなってしまいそうだ。メリルローザの意思に反して、身体ががくがくと痙攣した。かけられている術が強すぎるのだ。ぢゅ、と音をたてて血を吸われ、メリルローザの瞳から涙がこぼれた。


「ヴァンっ、おねが……」


 ぴんと背中が仰け反り、頭の中が真っ白になる。

 のぼりつめたら、あとは落ちるだけだ。

 息を吐いたメリルローザは急激に襲ってくる眠気に耐えきれず意識を手放した。



 *



 ――やりすぎた。


 ぐったりとしたメリルローザの顔を眺めながら、ヴァンが息を吐く。

 こんな風に強い術を使ったのは初めてかもしれない。フロウとの時ですら、ヴァンは調節して術をかけていたし、ナターリエの時は……。


 痛いのは嫌よ、というナターリエのために、なるべく痛みがないように手短に済ませていた。

 間違っても、怒らせたいとか泣かせたいとか――意識がなくなるまで追い詰めたいとか思ったことはない。


 メリルローザが自分にすがりつく瞬間、感じたのは強い征服欲だった。

 一人で平気だからと言ったメリルローザがヴァンにすがりつくなんて、吸血しないとこうでもしないとありえないだろう。

 必死になってヴァンに手を伸ばし、名前を呼ぶ姿に、自分でもおかしいと思うほどの満足感を得る。術をかけているのはヴァンのはずなのに、メリルローザの鳴き声に身体が疼いた。


 ……様子がおかしいのはメリルローザだけでなく、自分もだ。精霊である自分が、人間に惑わされるなんてどうかしている。


 目を覚ましたらまた怒られるだろうか。


 乱れた金髪を掬いながら、赤くなった顔を想像する。

 怒ってくれたほうがいい。思い詰めた顔をしているよりは、ずっと。


 涙に濡れた頬を、ヴァンは指でそっと撫でた。

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