2、手がかりはどこ?
「モデル?」
「うん。おねえさんも綺麗だし、このネックレスの宝石も、とても綺麗……」
マリウスが魅入られたかのようにレッドスピネルを見つめる。
その視線を遮るように、そっと胸に手を当ててレッドスピネルに触れる。「ごめんね」とメリルローザは微笑んだ。
「わたしたち、用事があってこの街に滞在しているだけなの」
「あ、そ、そうなんだ……。ごめんなさい、困らせるようなことを言って。とても絵になるなぁと思ったから、つい」
マリウスは照れたように笑って、手を差し出した。
「じゃあ、この街を楽しんでいってね」
「ええ、ありがとう。あなたも絵の勉強、頑張ってね」
握手をして別れる。ヴァンは「モデル?」と不思議そうな顔をしていた。
「会ったばかりのやつに頼むものなのか?」
「さあ? あなたのレッドスピネルを随分見ていたし、何かいいインスピレーションでも浮かんだんじゃないの」
「……ふうん。前に行った美術展でも見たぞ。宝石を身につけた女の裸婦画」
「裸っ……」
そんなわけないでしょ! と赤くなって言い返す。あの子はまだ子供だ。もっと健全な、
「こ、こういう絵のモデルよ!」
通りかかった店の軒先に、頬杖をつく女性の油絵が飾られていたのを指差す。テーブルに肘をつき、窓の外に憂える視線をおくる女性。窓から見えているのはハイデルベルク城だ。
テーブルの上にはトランプのようなものが広げられており――何枚かに見覚えのある柄が描きこまれていた。既視感を覚え、メリルローザはアラベスクのカードを取り出す。 ユリアが持っていたほうではなく、古本に挟まれていたものだ。
絵と手元のカードとを見比べる。
「ねえ、少し似てない?」
「似ているといえば似ているが……」
「ん……。そうよね、さすがに判別できないわね」
絵の具が重なっているので、一致するとは言い切れない。が、やっぱりこの模様はこの街で広く出回っているものなのだろうか。
店主に聞いてみてもわからないという。この絵は、この街に住む画家が描いたものらしい。
「フロウがあんなふうにいう呪いがこの街にあるんだとしたら、この模様を追いかけてきたのは間違いじゃなかったのかもね」
叔父さまも何か知っているようだったし、と呟く。
ただ、グレンが探したがっているものがその呪いなのかははっきり分からない。
グレンはメリルローザの質問にはきちんと答えてくれるが、言いたくないことは言わない主義だ。先ほど内緒だと言われたこともそうだし、ヴァンと引き合わされた時もそうだった。何か別に目的があるときはうまくはぐらかされてしまう。
ふう、と息をついたメリルローザに、「怖くないのか」とヴァンが尋ねた。
「どうして?」
「お前、会ったばかりの頃は、呪いなんて怖いだの気味悪いだの言ってただろ」
「……そりゃ、喜んで関わり合いになりたいわけじゃないけど」
ヴァンから視線を外す。
「あなたがいるから。……大丈夫よ」
ヴァンが自分と契約している限り、きっと彼は守ってくれる。ふわりと笑ったメリルローザの両肩をヴァンが掴む。突然ヴァンの方を向かされて、きょとんとしてしまった。
「な、なに……?」
「……いや」
なんでもないと言ってヴァンが手を離す。
「ちゃんと……守る。だから、一人で突っ走るなよ」
「……分かってるわよ。子供じゃないんだし」
肩をすくめて笑う。笑いながら、メリルローザの心は揺れた。
ヴァンが先ほどの一瞬見せた表情は、置いていかれることへの不安のようなものだった。ナターリエ大叔母さまがヴァンを置いて逝ってしまった時のように、メリルローザも同じようにあっけなくいなくなってしまうとでも思っているような。
生き急ぐつもりも、無茶する気もない。
(でも、叶わない恋だからってどこか自暴自棄にでもなっているように見えたのかしら)
隣を歩くヴァンの服の裾を掴む。
「ね、ヴァン。ホテルに戻ったら……血、吸っておく?」
「……急にどうしたんだ?」
「だって、この街にあるの、すごい呪いかもしれないんでしょ? 何かあった時にすぐ力が使える状態のほうが安心だし」
いつも嫌々吸血させているメリルローザが自分から言い出したことに、ヴァンは少なからず驚いているようだった。が、やはりヴァンも納得したのか頷く。準備はしておくに越したことはないだろう。
「そうだな。欲しい」
「じゃ、戻ったらね」と言うと、ヴァンは「今」と短く答える。
「今?」
「ああ。戻ろう」
ぐいっと手を引かれる。元きた道を引き返し、ホテルの方へと歩いていく。
「え、ちょっと……。今って、本当に今?」
メリルローザが吸血の許可を出すのも珍しいことだが、ヴァンがこんなに急かすことも珍しい。まだろくに散策もしていないのに、ヴァンに引っ張られるがまま、メリルローザも従ってしまう。
だが、ヴァンはホテルの前を早足で通り抜け、狭い路地の方へと入っていく。スピードはどんどん上がり、早足というよりは駆け足だ。
「ねえ、どこ行くの!?」
「付けられてる」
「え? だ、誰に……?」
振り返りたい衝動をぐっとこらえ、メリルローザは懸命にヴァンのスピードに合わせた。
角を曲がったタイミングで建物と建物の間に引っ張り込まれる。追跡者は反対側に向かったらしく、こちら側の道には誰も来なかった。軽い足音がぱたぱたと遠ざかっていく。
「……何だったの?」
「さっきの子供だ」
「子供って……マリウスのこと? それなら、何か用事があってついてきてたんじゃないの?」
「……だったら普通、声かけるだろ。別れたあとからずっと付いてきてた。店に立ち寄った時も、離れた場所からこっちを伺ってたからおかしいと思ったんだ」
確かに、用事があるなり、いい忘れたことがあるなりするのなら、わざわざ付け回す必要もないだろう。
「……よっぽどおまえの裸婦画が描きたかったのか?」
「まさか。っていうか、そんなわけないでしょ!」
しかし追いかけ回される理由もよくわからない。
今日はもう出歩くのはやめようということになり、ヴァンとメリルローザは大通りを避けて、早足でホテルまで戻った。
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