6、代償


「涙……?」

「そう、な・み・だ」


 なんてことのないようにフロウは言うが、メリルローザは眉根を寄せた。


「……えっと……今すぐに泣けっていうのは難しいわね……」


 思い出し笑いをするかのように、思い出し泣き、とでも言えばいいのだろうか。残念ながら急に泣き出せるような技術はメリルローザにはない。

 せめて感情移入できるような話を聞くとか、悲しい物語を読むとか……。どうにか方法を考えないと簡単に涙は流せない。


 そんなメリルローザの様子を見たフロウも「分かってるわよ」と頷く。


「メリルローザさえ良ければ、お屋敷に帰ってヴァンに協力してもらいましょ」

「ヴァンに……?」


 どうしてそこにヴァンが出てくるのか……。

 ちらりとヴァンを窺うと、露骨に「反対だ」という顔をしていた。


「……なんでそんな顔してるのよ?」

「どうせロクなことじゃない」

「まっ、ひどーい!」


 フロウが頬を膨らませる。


「メリルローザは、すっごく気持ちいいコトか、すっごく痛いコト。どっちがいいかしら?」

「ええ……? 何その質問……」


 メリルローザのほうもなんとなく嫌な予感がした。ヴァンに協力してもらって涙を流す方法。それって……。


「ヴァンに血を吸ってもらうとき、物理的に痛いか気持ちいいかしたら、涙、でるでしょ?」


 やっぱり。

 でも、とメリルローザは反論した。吸血されるとき、それなりに痛いし変な気分になったりするが、泣くほどのことではない気がする。

 そう言うと、「それはヴァンが調節してるからよ」とあっけらかんと言われた。ヴァンの眉間に皺が寄る。


「ヴァンは血を吸うとき、あなたが痛くないように術をかけて手加減してあげてるのよ。ま、ヴァンが全力で術を使ったら、どんな相手でも骨抜きになっちゃうでしょうから……ほどほどにいい気分にさせてあげてるくらいかしら?」

「ほどほどって……」


 あれで? とメリルローザは赤くなる。

 吸いたくて吸ってるわけじゃないとか言っていたくせに、人を変な気分にさせてたなんて……、しかもヴァンの匙加減だったなんて……、「……破廉恥精霊」とぼそりと呟くと「誰が破廉恥精霊だ!」とヴァンが目を剥いて怒った。


「痛くするっていうのは、その……変な術をかけないで噛まれるってことなんでしょ?」

「変な術って言うな」

「そうなるわねぇ。アタシはどっちでもいいのよ? 痛いのが嫌だったら、快楽の涙でも美味しいし」


 痛みか快楽か。メリルローザの答えは一択だ。


「痛くしてちょうだい」


 きっぱり言ったメリルローザに、ヴァンはますます難しい顔をした。


「……やめとけ。本当に痛いぞ」

「……そんなこと言って、変な術を使いたいだけなんじゃないの」

「だから、違うって言ってるだろ!」


 疑わしいとジト目のメリルローザに、フロウが取り成すように口を挟んだ。


「ヴァンは血をもらわないと力が使えないからねぇ。契約者が痛みに耐えきれなくて嫌がったら困るから、必要な能力なのよ?」

「…………」


 その理屈は分からなくもないけれど。


「いいわ、痛いほうで。だって、涙を流さないといけないんでしょ?」


 あら潔い、とフロウが拍手する。ヴァンはため息をついた。


「……マジで泣かせるからな」

「ええ。泣かせられるものならどうぞ?」

「……言ったな?」


 低く呟くヴァンに、メリルローザも臨戦態勢で応じる。

 涙は必要だ。でも、痛くてわんわん泣くとでも思ったら大間違いよ、と自分のプライドをかけてヴァンの目を見据えた。



 *



 場所をメリルローザの部屋に移す。

 朝も思ったが、メリルローザの部屋にヴァンとフロウという成人男性二人が入ってくるとやや手狭だ。

 フロウは見学する気満々らしく、椅子に座って「さあどうぞ」と二人の成り行きを見守っていた。


「……あの、フロウ……」

「いいのよ。アタシのことは気にしないで」


 そう言われても、ものすごく居心地悪い。まあ『痛い方』なのだから、見られて困るというほどでもないか、と気持ちを切り替えた。


「……本当にいいんだな」

「ええ。女に二言はないわ」


 ヴァンの手がいつもと同じように肩にかかる。大丈夫、猫に噛まれるとでも思えばいいんだわ――ぎゅっと目を閉じて衝撃に備えた。


 ヴァンの唇が首筋に触れる。歯が皮膚にあたる硬質な感触、そして、


「ッ――!!!」


 ぶつんと皮膚が切られる感覚に、目の前に火花が散った。痛い。すごく。痛い。が、泣き言を言ってたまるものかと唇を噛みしめた。それでもメリルローザの手はすがりつくものを探して、ヴァンのシャツを握りしめる。


 ヴァンが血を飲むために口を動かすと、傷口が広げられて鋭い痛みが走った。強く唇を噛んだせいで口の中に血の味が広がったが、唇が切れた痛みさえ感じない。


 猫に噛まれるようなもの、ではなくて、獰猛な猛獣に首筋を噛みちぎられているような痛みだ。そして、痛くて痛くて身体に力をいれ続けているせいで――涙なんて一滴も出てこない。声も出せずに硬直する。


 じっと息を詰めて身動ぎしないメリルローザの身体は、ふいにヴァンに抱き抱えあげられ、ベッドへと落とされた。

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