5、小さな呪い


「フロウ?」


 本の代金を支払い、フロウの元に近寄る。フロウが見ていたのはアクセサリーの店だ。簡易的な台に布を広げ、その上に指輪や耳飾りなどが並べてある。

 アクセサリーというにはかなり安価で、使われている石も質がいいものではないのだが、下町の子供やお土産がてら覗いている若いカップルがいる。


 フロウが見ていたのはそのひとつ。端の方にあるアンバーのイヤリングだ。良く見ると薄いもやがかかっているのが見えるが――


「ね、これも……そうなの?」


 隣にいるヴァンの袖をそっと引く。

 いまいち自信がないのは、そのもやをはっきりと捉えられないからだ。十字架やカードの時は、濃く、はっきりと黒いもやが見えていたのに、このアンバーのイヤリングからは薄く立ち上る程度にしか感じられない。


「ああ。弱い呪いだが、呪いにはかわりないな」

「弱いっていうのはどういうこと?」

「術のかけ方が完璧じゃないんだ。呪術師がかけるなり、ある程度の長い年月をかければ強い呪いになる。……あれは、素人が見よう見まねでかけたようなやつ、といえば分かりやすいか?」

「ああ、なるほど……」


 少し離れた位置でヴァンと二人でぼそぼそと話す。

 メリルローザは目視でしか確認できないが、フロウは離れた場所からでも気配を感じ取れていたのだろう。ヴァンとメリルローザが近寄ってきたのを見て、「気付いたようね」と振り返った。


 そのフロウの身体を、帽子を被った少年がすり抜ける。ちょうどフロウがいた位置と重なるように立ったため、メリルローザから見ると少年がフロウの身体に埋め込まれてしまっているようだ。


「あら。やーね」


 自身と重なっているのに気がついたのか、フロウは身体を捩る。

 少年がそこにいたのは僅かな時間で、すぐにどこかへ行ってしまう。するりとフロウをすり抜けていく様は幽霊のようだ。


「あれって、すり抜けたほうは感じるの?」

「いや、何も感じない」


 少年は気にしたふうでもなく、どこかへ走り去っていってしまった。


「……あらっ?」


 フロウが首を傾げる。メリルローザとヴァンからはフロウの背中しか見えないため、回りこんで見ると、先ほどまであったイヤリングが消えていた。


「え、うそっ!?」


 なくなっている?

 端にあったアンバーのイヤリングが見当たらない。あとは、色違いの赤や青なので見間違えようもない。

「……盗ったのか」とヴァンが顔を向けたのは先ほどの少年が走り去った方角だ。店主は別の客と金のやりとりをしているため、気付いていないようだった。


「大変、追いかけなきゃ!」


 駆け出そうとして足をもつれさせたメリルローザの身体をヴァンが支える。


「落ち着け。お前の足じゃ追いつかない」

「なんですって?」


 むっとするが、確かに子供とはいえ少年のスピードに、スカートのメリルローザが追いつけそうにはない。


「でも、放っておけないでしょ」

「……さっきの子供、帽子の下は黒髪だった。この辺りでは珍しいんじゃないのか?」

「ええ……。よく見てたのね」


 深く帽子を被っていたし、服装も黒っぽかったのであまり印象に残っていなかった。

 冷静なヴァンに、メリルローザは素直に感心する。確かに、黒髪は珍しい。情報収集していけば、いつかは少年にたどり着くかもしれないが……。


「ただ、この辺りの子じゃない可能性もあるわよね」


 祭りに合わせて遊びに来ているだけかもしれない。そうすると探し出すのは非常に困難だ。


『僕は僕に出来ることしかしない』


 グレンはそう言っていたが、メリルローザに出来ることとはなんだろう。


 出来ることがあるのに見て見ぬふりは出来ない。フロウの力を使えば、あの子供を見つけ出すことは容易いだろう。ぎゅっとメリルローザは服の裾を握った。


 さんざん悩んだけれど、結局はこういう決断をするだろうと自分でも分かっていた。


「……フロウ……。わたしに、力を貸してくれる?」

「貴女が望むなら」


 にっこり笑ったフロウが、でもいいの?と首を傾げた。


「泥棒なんてする子を救うために、ここで一大決心する必要はないのよ」

「……。泥棒がダメだってことを、叱る大人も必要なんじゃないかしら?」

「アハハ、そうね。その通りだわ」


 豪快に笑ったフロウが、すっとメリルローザの顎に手を添えた。

 いつも冗談混じりの口調でばかり話しているが、切れ長の瞳にじっと見つめられると急に色めいたものを感じてしまう。

 黙って顔を寄せるフロウに、メリルローザは「ちょっと待って」と慌てて制止した。


「フロウ、、血が必要なの……?」


 これから先、ヴァンとフロウを吸血させ養い続けるとなるとさすがに自分の身体が心配だ。

 メリルローザの頭をフロウがぽんぽんと叩く。


「心配しなくていいわ。アタシが欲しいのは血じゃないし、ヴァンみたいに欲張りじゃないから契約の時の一回で十分よ」

「欲張ってるわけじゃない」

「もー。そこ突っかからないでちょうだいよ」


 浄化の力を使うのに消耗が激しいから、そのぶん契約者の血が必要なんだ。と、ヴァンが真面目な顔で付け足す。


「ええと、じゃあ、フロウの契約に必要なものって何?」


 訊ねたメリルローザに、フロウは極上の笑顔で微笑んだ。


「アタシが欲しいのはあなたの涙。それも、とびきり美味しいのをちょうだい?」

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