8、ヒルシュベルガー士爵邸
ヒルシュベルガー士爵邸は、貴族の屋敷が建ち並ぶヘレンガッセ通りにある。
同じ士爵位のシェルマン家が利便性や住み心地にこだわるのに対し、ヒルシュベルガー家はこの通りに名を連ねることがステイタスであると考えているタイプだ。
成り上がり貴族であることにコンプレックスがあるため、より貴族らしくあろうとしているのだろう。
ヒルシュベルガー士爵とは数えるほどしか会ったことはないが、娘のユリアの言動の端々からはそんな様子が窺えた。
グレンが士爵に手紙を出し、屋敷に招かれたのは、レントリヒ子爵が亡くなって十日ほど経つ頃だった。
「ようこそ、キースリング男爵。狭い我が家ですが……」
メリルローザとヴァンをお供にヒルシュベルガー邸に入ったグレンは、玄関ホールに飾られた水晶のオブジェを見て、「ほう」と感心した声を上げた。
「立派な水晶ですね」
「いやいや、お恥ずかしい。精霊の宿る水晶なんて言われているそうで、ご利益があればと飾ってあるのですよ」
金細工の妖精が丸い水晶に寄り添うようなデザインだ。「……宿っているの?」とヴァンに小声で聞くと「そんな訳ないだろ」と呆れた声で返される。
二人のぼそぼそしたやり取りを小耳に挟んだグレンは咳払いをした。幸いにもヒルシュベルガー士爵の耳には届かなかったらしい。
「それにしても驚きました。まさか、レントリヒ子爵から譲り受けた指輪が呪われていたなんて……」
「ご家族はご存知なかったのでしょう。生前、私も内々に相談を受けていたのです」
レントリヒ子爵が呪われていると訴えていた“サラスヴァティの涙”を売ってもらいたい。
グレンがヒルシュベルガー士爵に送った手紙の内容は簡潔だった。
開運グッズが好きな士爵にしてみれば、気づかぬまま引き取ることになった呪われた品なんて不要だろう。しかも、レントリヒ子爵が急死してしまっただけに信憑性が高い。
要らないものを買い取ると言えば、すんなり屋敷に入れてくれるだろうとグレンは考えたのだ。
ついでに子爵から譲り受けた品も見せて欲しいと言えば、一通りチェック出来るはずだ。もし呪われた品が見つかって、グレンが買い取るか、ヴァンにその場で浄化してもらって終わりにするかはその場の成り行き次第である。
グレンが「子爵から珍しいものを譲り受けられたそうですね」と水を向けると、ヒルシュベルガー士爵はまんざらでもない様子で、メイドに持ってくるように指示をした。
ブラックオニキス、アンバー、ローズクォーツ……リストにあった品々だ。
「これはまた美しいアンバーですね」
ブローチを手にとったグレンが、お世辞を口にする。
「ええ。富と健康を引き寄せるんだとか」
「ははは。士爵は十分ご自身の力で富を引き寄せているではありませんか」
「いえいえ、とんでもない……」
お世辞と謙遜のキャッチボールを聞きながらメリルローザもテーブルに並べられた品に視線を走らせる。呪いの品に見える黒いもやはどれにも見当たらなかった。
(やっぱり、レントリヒ子爵が亡くなったのは偶然なの……?)
「このローズクォーツの耳飾りは、娘が欲しいとねだっていましてね」
「ああ、確かに女性が好みそうだ。そうは思わないかい、メリルローザ」
グレンに話を向けられて、メリルローザも「素敵だわ」と微笑む。グレンにしか見えない位置で小さくバツ印を作った。どの品も呪われていない。
横目で確認したグレンは小さく頷いた。これならば予定通り、サラスヴァティの涙の偽物を回収して終わりだ。
「子爵から譲り受けられた品はこれで全部ですか?」
「ええ。ああ、いや、肝心の指輪を出していませんでしたな。呪われているという話を聞いてから気味が悪くて、屋根裏にしまってあるんですよ」
少しお待ち下さい、とヒルシュベルガー士爵は使用人を呼ぶ。場がくだけたところで、丁度階段を降りてきたのは、巻き髪の少女――士爵の娘・ユリアだった。
メリルローザは内心で「げっ」と顔をひきつらせる。出来ればこのまま会うことなく帰りたかった……。
「お父さま、お客様かしら?」
「ああ、こちらはキースリング男爵と娘さんだよ」
「こんにちは、キースリング男爵。ユリア・ヒルシュベルガーと申します」
可愛らしく微笑んだユリアだが、グレンに隠れるように座っていたメリルローザを見て声を上げた。
「メリルローザ・シェルマン!? ……どうしてここに?」
ヒルシュベルガー士爵は娘に指摘されて、メリルローザの顔を思い出したらしい。
「あれ、そう言えば君はシェルマン士爵のお嬢さんじゃないか」
「……ごきげんよう、ユリアさん。わたくし、叔父の養女に迎え入れられてメリルローザ・キースリングとなりましたの」
「まああ、聞いていませんでしたわ!」
そりゃ、わざわざ知らせていないもの。
想像通り、ユリアは「キースリング
「あなたは……」
ヴァンにも冷たい視線を向けたユリアだったが、整ったヴァンの顔立ちを見ると言葉を詰まらせた。
「あ、あなたはどなた?」
頬を赤らめてヴァンの顔を見つめる。
ヴァンが口を開く前に、メリルローザは言葉を滑り込ませた。「叔父さまの仕事の助手をしているヴァンよ」……姿を消しておいてもらえば良かったと思ったが後の祭りだ。
ユリアは、お前には聞いていないという目をメリルローザに向けたが、気を取り直したようにヴァンに熱い視線を向けた。
「ヴァンさん、って仰るのね。ファミリーネームは? 黒髪は珍しいわね。どちらの出身なのかしら」
矢継ぎ早に質問するユリアに、ヴァンは「メリルローザに聞いてくれ」とそっぽを向いた。
「あら、どうして彼女の許可がいるのかしら」
ぞんざいな態度にユリアがむっとした顔をするが、ヴァンに適当に女性をいなすのは難しいだろう。自分は精霊だとか言い出さないだけマシである。
グレンが助け船を出そうとしたが、ヴァンはきっぱりと言い放った。
「俺は、メリルローザのものだから」
「まっ、まあ……っ!」
何を想像したのか、ユリアは顔を赤らめる。
余計なこと言わないで! とヴァンを怒ろうとしたメリルローザだが、ユリアのポケットを見てハッとする。
ディアンドルのスカートに重ねたエプロンから、あの黒いもやが漂っていた。
※ディアンドル……めちゃくちゃ可愛らしい南ドイツの民族衣装です。元は作業着ですが、1800年代末~生地を高価にして上流の女性も着ていたということから、この作品では普段着として書いています。
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