2、レッドスピネル
「……どういう意味? あなたは誰?」
この人がグレンが会わせたかった人なのだろうか。
知らない場所。知らない男と二人きりで、部屋に閉じ込められている。
警戒心から後ずさりするメリルローザの背に、入ってきた扉が当たった。
男は不躾にじろじろとメリルローザを眺め回す。負けじと睨み返すと、赤い瞳と目が合った。
その真っ赤な瞳に魅入られる。まるで催眠術にかけられているかのように、メリルローザの瞼はとろんと半分落ちた。
「お前の名は?」
「…………。……メリルローザ……」
「いいだろう、メリルローザ。お前と契約してやる。……それでいいんだろう? グレン」
背中にある扉の向こう側からグレンの気配がする。
契約ってなんのこと、と問いたいのに頭に靄がかかる。赤い瞳から目が離せない。身体が――動かない。
男の手がメリルローザの肩にかかり、首筋に顔を寄せた男の吐息がかかる。次の瞬間、メリルローザの身体は大きくビクンと跳ねた。
「や、あああああああっ」
男がメリルローザの首に歯をたてたのだ。
身体に雷が落ちたかのような衝撃。だが、これは痛みではない。痛みと間違うほどの――快感だ。
甘く疼く腰を押さえるように男がメリルローザの身体を抱く。抵抗したいのに力が入らないメリルローザは、すがりつくように男に手を回してしまう。
「や……いや……っ」
首筋に噛みついた男が飲んでいるのはメリルローザの血だった。
生き血を啜るなんて、まるで――恐怖小説に出てくるドラキュラではないか。
恐怖心から頭が冷え、男の呪縛から解かれたメリルローザは力いっぱい男を突き飛ばした。
食事を中断させられた男の口からは血が滴っている。その目からは先ほどのような妖しい光は消えていた。
「……俺の魔力に抗うとはな。まあ、それくらいの気概がないと困る」
「……あ、なた、一体……何?」
人ではない。
滴る血を舌でぺろりと舐めとった男は、メリルローザの前にネックレスをかがげた。
女性もののシンプルなデザイン。使われている宝石はたったひとつだけだが、大粒の深紅が存在感を放つ。
「俺の名はヴァン。このレッドスピネルに宿る精霊だ」
精霊?
事態を飲み込めないメリルローザの手に、男がネックレスを載せた。
「契約に必要な
「――おめでとう、メリルローザ。ようこそキースリング家へ」
背後の扉が開かれ、グレンがにこやかな声で二人に声をかけた。
「おや。君がヴァンかい? 声を聞いていたよりもずっと若々しい見た目だね」
「叔父さま……。一体これは……どういうことなんですか?」
「ああ、悪かったね。きちんと説明させてもらうよ。食事でもとりながら話そうか」
「……っ」
手を差し伸べたグレンから後ずさる。
契約に必要な処女の血、とヴァンは言った。グレンははじめからメリルローザをこの男に襲わせるつもりだったのではないか。
養女の話をちらつかせ、部屋に閉じ込めて――。
ヴァンとの了承済みのようなやりとりを思い返し、警戒心をあらわにしたメリルローザに、グレンは降参するとでも言いたげに両手のひらを上げた。
「養女の話は本当だよ? そのスピネルと契約出来る娘を探していたんだ。でも、僕が君を襲えと命じたわけじゃない。ヴァンが君を選んだのは彼の意志だ」
「……こんな風に閉じ込められたら、選択肢などないと思いますけれど」
「それがあるんだよ、メリルローザ。君のいとこたちは彼の姿が見えないようだったからね」
「姿が見えないって……、叔父さまは見えているんでしょう?」
ヴァンと会話しているし、きちんと目も合わせている。ヴァンの身体も透けているわけでもないし、足も――ちゃんとある。
「僕は今までずっと声しか聞こえていなくてね。君と契約してくれたお陰で、ヴァンは力を取り戻して実体化してくれたんだ。姿を見るのは今日が初めてだよ」
ねえ、ヴァン。とグレンが親しげに声をかけるが、ヴァンの方はどうでもいいとばかりにそっぽを向いた。
メリルローザは手の中にあるネックレスに目を落とす。
精霊がどうのという話も信じがたいし、二人で共謀してメリルローザを騙しているのではないか。
疑いが晴れないメリルローザの顔を見て、グレンは「では、ひとつヴァンに仕事をしてもらおう」と手を叩いた。
グレンは物置のようになっている中から、ジェラルミンケースを引っ張り出す。
中を開けると、古びた黄金の十字架が鎖で固定されていた。そのまわりには黒っぽいもやのようなものが漂っている。
「……これは? この黒い煙みたいなのは……何?」
「おや、君には視えるのかい? うらやましいな」
何がうらやましいだろう。このもやは、何だか不吉な感じがして気味が悪い。
「これは呪われた十字架と言われていてね。君とヴァンにやってもらいたいのは、こういった呪われた品の浄化だ。ヴァン、頼めるかい?」
「俺の主はお前じゃない」
「……だ、そうだから、メリルローザからヴァンに頼んでくれ」
やれやれと肩をすくめるグレンに、メリルローザは戸惑った。
「頼むって? どうすればいいの?」
「彼に命じればいい。この十字架を浄化してくれとね」
ちらりとヴァンの方を窺うと、ヴァンは真っ直ぐにメリルローザの方を見ていた。
叔父たちの話を信じているわけではないが、浄化というからには悪いことではないのだろう。……多分。
そう自分に言い聞かせて頷いた。
「……わかったわ。ヴァン、この十字架を浄化して」
「……いいだろう」
ヴァンの瞳が赤く輝く。
十字架に手を翳すと、いきなり十字架が炎に包まれた。メリルローザは小さく悲鳴をあげたが、グレンは動じることなく十字架から目を離さない。
揺らめく炎は自然と収まっていき、やがて消えた。ケースや十字架は溶けていない。だが、先ほど見えた黒いもやは消えていた。
「いやあ、どうもありがとう。これで売りに出せる」
グレンはほくほく顔でジェラルミンケースを閉じた。
「……売るんですか?」
呪われているとか言っていたのに?
「勿論。世の中にはこういった品を好む者は意外と多くいる。呪われた品と言うのは二種類あってね。ひとつは、あの品は呪われているらしい、なんて話をつけることで付加価値をあげようとしている品。それは無害だから問題はない」
もうひとつは、とグレンは十字架が入ったジェラルミンケースを撫でた。
「本当に呪われている品。持ち主を殺したり、不幸を呼び寄せる。呪われていると知らずに手にしてしまい、人から人の手に渡り歩く」
「……じゃあ、その十字架は……」
ごくりと生唾を飲んだメリルローザに、グレンの唇はニイと弧を描いた。
「聞きたいかい? この十字架がはじめて人を殺めたとされているのは、古代ギリシャの――」
「――結構ですっ!」
オカルト話など好んで聞きたいわけがない。ただですらメリルローザは怖い話が嫌いなのだ。
「……まあ、その呪いを浄化してくれるのが、君の手にあるレッドスピネルの精霊・ヴァンだ。司る力は『炎』と『浄化』」
話を聞いてくれる気になったかな? と問われ、メリルローザはしぶしぶ頷いた。
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