3、上手い話には裏がある

 レッドスピネル。

 美しい深紅はルビーと酷似しており、採掘される鉱床も近かったため、長きに渡りルビーと混同されてきた。

 イギリス王家に伝わるルビーでさえ、実はスピネルだったと言われており、スピネルに歴史上の記述はほとんどない。


 近年、屈折度の違いにより判別されるようになってきたスピネルは、ルビーよりも混じりけのない凛とした濃い赤が美しく、今メリルローザの手にあるレッドスピネルも希少性の高いものだという。


 グレンの蘊蓄うんちくを聞きながら、メリルローザは昼食の手を動かす。


 レバーの挽肉を肉団子にしたスープレーバークネーデルズッペホウレン草が練り込まれたパスタ料理マウルタッシェンなど、やたら鉄分豊富な食事なのは気になるところだが、味は美味しい。


 ヴァンは食事は必要ないらしいが、彼には赤ワインが振る舞われた。椅子に座ってグラスを傾ける様子はごく普通の人間のようにしか見えない。


「……元々、そのレッドスピネルは大叔母のものだったんだ。いわくつきの品を買い取って、浄化をするっていうのは彼女が始めたことでね。大叔母亡き後、この屋敷を引き継いだのはいいものの、ヴァンの力を借りられずに困っていたというわけさ」


 ネックレスは今、メリルローザが身に付けている。ヴァンの主になった以上、所有権はメリルローザにあるらしい。


「叔父さまが養女を探していたのは、そのためだったんですね?」

「そういうこと。さっきも言ったけれど、僕にはヴァンの声だけは聞こえていたから、契約できる娘を探していたのさ」

「……大半は話にもならなかったがな」


 フン、とヴァンが小馬鹿にしたように鼻で笑う。だが、「そうなんだよ、彼、女性の選り好みが激しくて」とグレンに言われるとワインを吹き出した。


「誤解を招くような言い方をするな! 俺が視えもしないような女では話にならんと言ったんだ!」

「そういえばメリルローザ、君はどことなく若い頃の大叔母に似ている気がするよ。そういうところもヴァンは気に入ったのかな」


 グレンはヴァンに怒鳴られても平然としている。

 大叔母のレッドスピネル……。メリルローザは胸元に輝く大粒の深紅に目を落とした。


「呪われた品を探し出し、浄化して害の無いものにする。それが僕が引き継いだ仕事なんだ。そのためにヴァンの力は必要不可欠――ヴァンに力を与えることが出来る君を僕の養女として迎え入れ、この仕事を手伝ってもらいたいと思っている。……どうかな、メリルローザ?」

「ヴァンに力を与えるというのは、……血、ですか?」

「そう。彼が力を使うために必要なものは契約者の血だ。でも、君が協力してくれれば、危険な宝石によって起こる不幸から持ち主を助けることが出来るんだよ」


 そうですか、とメリルローザはナイフとフォークを置いた。


「せっかくの養女のお話ですけど、お断りします」

「……おや」


 断られると思っていなかったのか、グレンは不思議そうな顔をした。どうしてそんな顔をするのか、メリルローザの方が不思議である。

 何の説明も無しにいきなり知らない男に襲われて、これから先も血を提供してくれと言われて、ハイそうですかと頷くわけがない。


「血を貰うって言ったって、干からびるほど飲むわけじゃないだろう? ヴァンは精霊だから、君に噛み付いたって傷が残ったりしないよ」

「そういう問題じゃありません。わたしだって一応……嫁入り前の娘なんです!」


 ヴァンに噛まれた時に感じた強い快楽――身体じゅうが甘く痺れるような感覚を思いだして赤面する。


「あんな、は、破廉恥なこと、何回も許容できませんっ!」

「んなっ、破廉恥だと!?」


 メリルローザの言葉に、なぜかヴァンのほうも赤面した。


「……こっちだって別に飲みたくて飲んでるわけじゃない。力を使うために仕方なく飲んでるんだ」

「仕方なくですって!? 合意もなく無理矢理襲っておいてっ」

「妙な言い回しをするな!」


 ムキになって言い返したメリルローザに、ヴァンも食ってかかる。精霊なんだからもっとおとぎ話に出てくるような見た目の――たとえば妖精のような可愛らしい姿だったら良かったのに。

 若い人間の男の姿で怒るものだから、メリルローザのほうも余計に恥ずかしい。


「うーん……。そのへんはヴァンと相談して何とかしてもらったらどうだい?」


 破廉恥ねぇ、とグレンはぼやく。乙女心を理解してもらえそうにはない。


「と、とにかく! わたしには受け入れられません。このレッドスピネルもお返しします」

「そうか。それは残念だ。……僕が懇意にしている貴族の方がいらしてね。君の父上の仕事に興味をお持ちらしいと聞いたんだが……」


 卑怯だ。

 叔父のちらつかせた話に、メリルローザはぐっとつまる。

 父が貴族との繋がりが欲しいとわかっていて言っているのだ。


「社交的で顔の広い方だから、きっと君の父上のお役にたてると思ったんだけどね。残念だよ」


 ちっとも残念そうに見えない顔で、苦悩するメリルローザの顔をにこやかに――そう、表面上はにこやかだが、内心では勝利を確信しているに違いない様子で見ている。


 ヴァンもグレンの腹の内が読めたらしく「お前、いいように踊らされてるぞ」と有り難くもない助言をくれた。


 ダメ押しとばかりに、グレンは封筒に入った手紙をメリルローザの前に出す。


「実は来週、その伯爵家の園遊会に招待されていてね。もし君と仕事に出て参加できないということであれば、どなたか代わりを探していたんだけれど……」


 ここまで言われてメリルローザの心は折れた。家にいる妹弟のことを考えると、父の打算と叔父の思惑通りに承諾するしかない。


「……わかりました……。養女の話、お受けします……」

「おや? いいのかい?」


 白々しい。

 が、メリルローザの方もここまで来て手ぶらでは帰れないので、グレンの持つ人脈とやらは我が家のために徹底的に利用させてもらおうと心に決める。


「……そちらの園遊会の話は、父が大変興味を持つと思いますわ」

「ではこれは君の父上に」


 笑顔のグレンが手紙をメリルローザの方へ滑らせた。


 いやあ、可愛い娘が出来て嬉しいなあ。


 思惑通りに事が運んで上機嫌の叔父に、メリルローザは言いくるめられた敗北感を赤ワインで流し込んだ。

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