エーデルシュタインの恋人

深見アキ

第一章 赤い宝石と薔薇の名を持つ少女

1、父の打算と叔父の思惑

「頼む、メリルローザ! どうか我が家を救うと思って行ってくれないか」


 父親に両手を合わせて拝まれ、メリルローザは「わかったわよ」と肩をすくめた。十六歳のメリルローザにとって、これが大きな転機になるとは思いもよらずに。


 ――我が家・シェルマン家は金で爵位を買った、いわゆる成り上がり貴族だ。


 貴族と言っても準貴族と言って、あくまで貴族に準じる扱いは受けられるものの、生まれながらにして高貴な身分の人々とは線引きされている。


 貿易商として成功し、一代で財を築いた父・ハーゲンは士爵位を授かり、伯爵家の令嬢だった母を娶った。

 母の方が身分は上だったが、没落していく名家も多い近今、別段珍しい話でもない。


 シェルマン家は三人の子供に恵まれたが、母・フローラはメリルローザが幼い時に病気で他界。

 伯爵家は母の兄が継ぎ、以降、母の実家との関係は年々希薄になりつつあった。


 貴族というのは相手の身分を重視する。


 例え金で買った爵位でも、ないよりはあったほうがずっと信用を得やすいし、母の生家であった伯爵家の名前を出したほうがスムーズに商談は進む。


 そんな中、母の弟であるグレン男爵が養女を探しているらしいという話を耳にした父が、この話に飛び付いたというわけだ。


 メリルローザが男爵家の養女となれば、貴族との繋がりが増える。あわよくば男爵から良い人脈の紹介を……という父の下心だ。上手くいけば我が家の収入になり、妹弟たちのためにもなる。


「でも……養女なの? 養子ではなく?」


 グレン男爵は独身だ。自分の跡継ぎにと考えるのなら子息を迎えるのではないだろうか。


「さあ、少々変わり者の方だと聞いているが……。もしかしたら、別な貴族との縁談でも考えているのかもしれん。もしそうなったら――頼むぞ、メリルローザ」

「やめてよ、父さま。仮に縁談があったとしても、きっとわたしは選ばれないわ」

「大丈夫。お前は母さまに似て、美人だし教養もある。黙っていれば可憐な令嬢に見えるよ」

「黙っていれば、は余計です」


 母譲りのブロンドと青い瞳を父は褒めてくれるが、早くに母を亡くし、忙しい父に代わって弟妹の面倒を見てきたメリルローザは、気の強いしっかり者に育ってしまった。

 見た目だけは可憐だが、はっきりと物申す性格のため、どうにも良縁には恵まれない。


 それに、聞いた話では伯爵家のいとこたちにもこの話がいったそうだが、グレンの眼鏡にかなう者はいなかったらしい。どういう基準で選んでいるのかはわからないが、誰でもいいというわけではないようだ。


「……そもそも、叔父さまはわたしのことを覚えているのかしら?」


 幼い頃に会ったきりでメリルローザの記憶も怪しい。


「覚えていらしたよ。ぜひ一度遊びに来るといい、って。ほら」


 父がメリルローザの手に手紙を握らせる。そこには、確かに流麗な文字で「会えるのを楽しみに待っている」と書かれてあった。


「呆れた。父さまったら、わたしに頼む前に叔父さまに話を通してたのね」

「そりゃあ、アポイントメントは必要だろう? というわけで、週末にでも遊びに行ってくるといい」


 あんなに拝み倒してきたくせに、なんだかんだで父の思惑通りというわけだ。

「この話はなかったことに」なんて言われても責任持てないからね、と釘を刺すと、


「ダメもとだから大丈夫。当たれば千金、外れても我が家に損はないからね」


 と何とも失礼な言葉が返ってきた。



 *



 早速返事を書かされ、メリルローザは週末に叔父の住む屋敷へと伺うことになった。

 馬車でローテンブルク郊外へと向かうと、窓の外からレンガ色の立派な屋敷が見えてきた。その存在感に圧倒される。


 壁には蔦が絡み、風格を感じさせるのに一役買っていた。好き勝手に蔓延っているわけではなく、庭先はきちんと手入れが施されており、持ち主のセンスが感じられる。


(母さまも来たことがあるのかしら……)


 今日のメリルローザの髪型は、生前の母がよくしていたハーフアップだ。形見のバレッタにそっと触れる。


 屋敷の前に降り立つと、門の向こう側からすらりとした男性が歩いてくるのが見えた。


 グレン・キースリング男爵。


 母の弟、メリルローザから見ると叔父に当たる男性は、今年で三十四歳になると聞いていたがとてもそうは見えないほど若々しい。


 母やメリルローザと同じブロンドの髪を後ろに撫で付け、フロックコートを着こなす姿は、身内の欲目を差し引いてもなかなかに格好良かった。香水でもつけているのか、花のようなあまい香りがふわりと漂う。


「メリルローザだね、いらっしゃい」

「お久しぶりです、叔父さま。今日はお招きありがとうございます」

「最後に会ったのは……姉さんの葬式の時か。すっかり大人になって、見違えたよ」


 スカートをつまんで挨拶をするメリルローザを、グレンは眩しそうに見つめる。


 屋敷の中に入ると、これまた高そうな骨董品の類がさりげなく置かれている。

 玄関ホールの階段を上がったダイニングルームには暖炉があり、その上にはゴブラン織のタペストリーがかけられていた。屋敷の外観に相応しく、古めかしくて落ち着きのある調度品だ。

 シェルマン家は一度火事が起きた時に修繕しているので真新しく、父は成金らしく流行りのものを取り入れたがるので対称的だ。


 つい、きょろきょろと視線を動かしてしまうメリルローザをグレンは可笑しそうに見ていた。


「ここは僕の叔母――君からしたら大叔母さんにあたるのかな。大叔母が亡くなった時に、僕が引き継いだんだ。伯爵家は兄が継いでいるし、僕は名ばかり男爵なんだ。本業は宝石商 兼 美術収集家」

「宝石商……」

「僕はどちらかというといわくつきの美術品であれば宝石には拘らないんだけどね。叔母の仕事を継いだから、一応肩書きは宝石商ってことになっちゃうのかなぁ」


 世間話をするようにグレンは語る。

 それで仕事の助手を探していたんだよね、と笑顔のまま続けた。


「ええと、叔父さまはお仕事の助手を探していらしたのですか? 父からは養女を探していると聞いたのですが……」


 話が行き違っていやしないかと不安になったメリルローザに、「大丈夫。間違っていないよ」とグレンは笑う。


「助手というと大げさだけど、養女になって僕の仕事を手伝ってくれないかなぁと思っているんだ」

「差し出がましいですが……お仕事を手伝うのなら、養子の方がよろしいのでは?」

「それが困ったことに、女性でないといけないわけがあるんだ」


 こっちへ来てくれるかい、と言われて階段を上がる。前を歩くグレンの背中を見ながら、メリルローザは頭の中で状況を整理した。


(つまり、叔父さまが欲しいのは商売事に知識がある娘ってことなのかしら)


 伯爵家のいとこたちはお嬢さまばかりだろうし、そういうことならメリルローザが養女に迎え入れられる確率はぐんと上がる。

 あるいは父の言った通り縁談がらみ――例えば、仕事を継がせたい男がいて、メリルローザの婿養子としてこの家に迎え入れようとしているとか……。


「メリルローザ、君に会ってもらいたい人がいるんだ」


 そう言って足を止めたグレンに、やっぱり縁談かと身構えた。


「分かりましたわ。どなたです?」

「会えばわかる。この部屋にいるんだ。入ってもらってもいいかな?」


 え? 今?

 いきなりすぎる展開に戸惑う。

 せめて叔父が先に入り仲介してくれるのかと思いきや、「さあどうぞ」とメリルローザを促すだけ。一人で行けと言いたいらしい。


「あの……」

「僕はここで待っているからね」


 にこにこ笑っていても譲る気はないらしい。事前情報も何もなし。変わり者と言われている理由はこの辺りかも……と思う。


 わかりました、と覚悟を決めてメリルローザはドアをノックした。


「失礼します……」


 中は倉庫のようだった。

 絵画や美術品の類らしきものが壁際に並び、布で覆われている。作り付けの大きな戸棚には頑丈そうな鍵がかかり、磨りガラスの向こうに箱がたくさん詰め込まれているのが見える。


 部屋の中には誰もいない。


「あの、叔父さ」


 言い終わる前に背後でバタンと扉がしまる。そして鍵のかかる音――。叔父さま!と扉を叩いても返事はない。

 どうして閉じ込められないといけないのか、訳がわからない。拳でドンドンと扉を叩き、グレンの名を呼ぶと――


「あの男も懲りないな」


 背後から突然男の声が聞こえ、メリルローザはぎょっと振り向いた。


(どうして? 誰もいなかったはず)


 そこにいたのは若い男だ。メリルローザよりは年上だろう。漆黒の髪に、彫刻のように整った端整な顔立ち。その瞳の色は燃えるような深紅――。


 音もなく現れた男は、メリルローザが振り返ったのを見て意外そうな顔をした。



「へえ……。お前、俺が見えるのか」

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