「おかえり、不如帰。」
1. おかえり、不如帰
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大学の卒業式。美大生にタブーはない。壇上にあがる卒業生には派手な格好や手作りのドレス、十二単みたいなやつもいた。
俺はいたって平凡なスーツだけれど、式典だからといって着たい服も浮かばないし、目立ちたい願望も無かったからこれでいい。
去年。成木総が十年ぶりに日本に帰ってきた。
それからしばらく週刊誌には同じような文句が並んで、ゴシップに興味がない美術界隈は辟易としていた。
なんてことはない。彼は自分に実は子どもがいたことを最近初めて知って、慌てて帰ってきただけだ。
隠し子の存在、内縁の妻、女子高生と同棲中。
真否飛び交う噂をまったく気にせず、成木総は日本を荒らしに荒らし、つい最近ようやく静まってきたところ。
成木総本人が、とある女性に贈る連作絵画を発表したからだ。
俺はカコとともに、というより殆ど無理やり引きずって、東京のギャラリーまで見に行った。
ギャラリーといっても二階建ての雰囲気がある老舗画廊で、実力のある作家たちが展示する小規模な美術館のようなところ。今回の作品は売る気はそもそもないらしく、値札を書いたファイルなんかは何もない。
カコは深々と帽子を被って、いつもの美少年ぶりが台無しの挙動不審な様子で会場を不安げに見回していたけれど、絵を見ていくにつれて、リードを離した犬みたいに俺との距離は開けていった。
額縁の窓の向こうには、意志の強そうな視線、いつも固く結んだ口元、思いがけず緩んだような瞬間、本棚に寄りかかる女神の寝顔。美しいけれど、それ以上に生々しく、命をもって語られる人の姿。
エーコさん。加古衛子さんは、息子のカコと本当にそっくりだった。
いつまでも出てこないカコを待つ間に、受付で俺は作品集を一冊手に入れた。2000円の出費は大きいけれどその甲斐はある。
図録の解説ページには、成木総本人が語るカコとエーコさんの物語があった。
十数年前、彼は日本である女性と恋に落ちた。
当時、彼がまだ無名の美大生だった時に、資料を探しに来ていた本屋でバイトをしていた彼女は、無口ですこし変わっていて、呆れるくらい美術書が好きな人だった。
カコさん。彼が知っていた彼女の呼びかたはそれだけだった。彼はそれを彼女の情報のすべてだと思っていたし、彼女は彼の情報をソウという名前以外なにも知らずにいた。
彼女はとにかく変わっていて、彼すらも負けるほど気ままで、独立して、誰にも縛られない人だった。関係を持った理由はお互いに無防備な好奇心。それと成木総の話によれば「彼女の空気に僕も混ぜてもらった」らしい。
交際は二年間だったという。その後すぐに彼は海外の大きな賞をとり、その後はずっと海外で個展を開き続け、各方面から称賛の雨を浴びることになる。
日本の美術界隈じゃよくある話だが、海外で有名になった日本人のアーティストが自国に帰ってくるには時間がかかる。
まず海外ではひとつの国でヒットすると数ヵ国からオファーが連鎖する場合が多く、ひたすら次々と世界を飛び回ることになる。その時に日本からのオファーは残念なことに少ないか、まったく無い場合が多い。
成木総は20代でデビューしてからヨーロッパやアメリカを中心に活躍し、40歳になるまで帰ることは叶わなかった。いまは中堅といったところだが、彼は若い頃から知名度と評価が止まらない稀有な作家だ。
不安定で流動的な作家という活動。目まぐるしく世界を回る日々のなかで、彼は毎年一枚ずつ、一人の女性の絵画を描いていた。
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