4. カッコーと底無し


安くてまずいコーヒーの煙がくゆる。

ただカフェインを摂取する目的で置いてあるそれは、浅い風味が口腔に薫り、堂々とした雑味が舌に焦げ付く。


カコと俺は話しまくった。子どものようにはしゃぐカコと、変態チックにぷすぷす興奮する俺は、おそらく傍目の印象に雲泥の差があるけれど、俺とカコは驚くほどのシンパシーと、鏡のような投影をお互いに感じてた。


実はカコの口を介して俺が喋ってるんじゃないかと思うほど同じ事を喋っているのに、まるで違う表現や見方をしていたりして、その差異がまた、違う角度から自分自身を掘り起こされるように楽しかった。


カコは俺よりも感覚的で、手の動きや擬音を多用して俺に体感させようとしてくる。俺はカコよりも理論的で、比喩を使ってカコに具体的に想像させようとする。


まるで違うように見えるそれは、どちらも同じく表現だった。



指揮者みたいな動きで雲の話をしているカコを、あぐらの上に乗せたクロッキー帳に描き込む。


輪郭だけを即座に把握するクロッキーは、デッサンよりも生きた線を画面に刻む。筋肉がのばされた時の一瞬の緊張、話を繰り出す喉のぼこぼことした脈動。


見た目がいいってことは裏を返せば特徴的じゃないということで、余計な情報で気を散らされずに輪郭をすいすいと探索できる。

もしも俺がモデルだったら、妙に垂れた大きな耳朶や鼻から顎のEラインを異形に感じて、たちまち筆がそこばかりに囚われてしまうから。


画面一杯に描いたところで、ちらりと画面に目を向けたカコが感心するようにまばたきを繰り返す。


「コージの絵はクロッキーすら重たいんだね」

「重い?」

「どうしてそんなによく見えてるの?」



昔からこの目はあまりにも見えすぎた。

光には過敏で、朝は早く来すぎるし、夜はいつまでも来ない。電灯や照明は嫌いだし、フレームレートが少ない動画は静止画みたいに見えてしまう。


俺の目は高精細で解像度が高すぎる。見えるものが膨大なんだ。

それは光が網膜に当たって神経に変換された情報のことじゃなく、全身で得てるもの?観てるもの?うん、なんて言ったらいいんだろうな。


「あ、触角?」


絵を描こうと眼を使うと、眼球が長ーく伸びて、針よりも髪の一本よりも蜘蛛の糸よりも細くなって、対象を手探りでなぞりだす。


「それか触手?みたいなのが、たぶん目玉にくっついてるんだよ」

「なにそれ、怖い」

「見えすぎるんだ。それで、余分なものを置いていきたくて絵を描いてた」


輪郭線なんて危ういものに、無理やりぎゅうぎゅうに詰め込もうとして、亀裂が走った途端にはみ出していく感じ。


「俺は底無し沼に絵を描いてる」


まるで限界のないような深い絵の具の層が、目の前で口を開けている。俺はそこに見えるものを次から次へと放り込んでいく。光、塵、傷、影、裏、それとなによりも真実を。

描きこめば描きこむほど、俺自身の視界はシンプルに、息がしやすくなっていく気がした。


「ああ、だからコージの絵は重たいんだ」

「そう。でもそれじゃ作品にならない」


老廃物を固めて吐き出したような俺の油絵。

見せるためにやってない。それだけで苦しんでいく。絵で生きていくには他人も必要なんだ。

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