台風の目に声は届かない

 フィールドに両チームの回収車が入ってくる。

 ユーウェイン重工のスタッフを、志之はハッチを開放して迎えた。


 最初に飛び込んできたのは理緒だった。通常、人が入らない場所なので、ヘルメットを着用している。


「志之! 大丈夫!?」


「ああ……」


 志之はシートにぐったりともたれかかっていた。肋骨に違和感がある。試合中に感じ始めた苦痛は、最後のクラッシュで激痛へと変わった。ゲームが終了したとわかった途端に無視できないものとなって、志之に襲いかかってきたのだ。


「勝ったぞ」


 差し伸べた手を理緒が掴まえてくれる。


「うん。おめでとう。でも、お祝いする前に医務室よ」


 医療チームがコクピットへと入ってきて、志之を担ぎ出した。

 回収車はハウンド搭載機能のみならず、ハウンド昇降用のカーゴも搭載している。志之たちが乗ると、ゆっくりと地上へと下ろされた。


 志之は脂汗を浮かべながら、〈雄風〉を振り返る。


 自機の状態はほとんどディスプレイ内の表示でしか確認していない。だが、こうして見れば、装甲はスプレーを吹きつけられたような傷が深く穿たれていた。失った左腕からはオイルが滴り落ちている。


 よく戦ってくれた。誇らしさが苦しみを和らげてくれる。

 志之は満足感を得ながら回収車に戻ろうとして――


 何かがおかしい。

 大破した〈クラウ・ソラス〉の前で、ブリギッド・モーターのスタッフたちが右往左往している。機体回収作業が完全にストップしているようだった。


 志之は、ふと、不吉な想像を思い浮かべてしまう。


〈雄風〉に乗り慣れている自分がこれだけの反動を受けているのだ。〈クラウ・ソラス〉に乗っている絵馬は、あのクラッシュの衝撃を、なんの身構えもなく受けてしまったのではないか。


 小柄な体はコクピットの中で激しく揺さぶられ、最悪、シートに後頭部を強打――


 きびすを返し、〈クラウ・ソラス〉へ向かおうとする。

 呻く志之を、理緒が支えた。


「どうしたの? 早く診てもらわないと――」


「俺より先に、あいつだ」


 志之の視線の先を辿った理緒も、すぐに察したようだ。


「まさか……そんなこと……」


 志之と理緒は顔を見合わせる。〈ハウンド・ア・バウト〉の銃撃戦で死人が出たことはない。だが、事故による死者がいないわけでも、ない。


 ふたりは〈クラウ・ソラス〉に近づいていき、スタッフのひとりを捕まえた。


「絵馬は……大丈夫なんですか!?」


 志之の鬼気迫る表情に気圧けおされたか、スタッフの男性は戸惑いながらも、


「それは……」


 と、首を横に振る。他チームの人間に答えられない、という意志を感じた。


 彼らは〈クラウ・ソラス〉のコクピットのみを切り離し、地面に下ろす作業を始めていた。そのそばで、女性スタッフがヘッドセットに手を当てて何か喋っている。


 彼女は志之たちの接近に気づいて、目をすっと細める。


「フィールドから速やかに退場するのが規則でしょう?」


 志之はまたも強い語気で返した。


「絵馬の容態は!?」


「ようたい……」


 棒読みの口調で繰り返した女性スタッフは「あー……」と何度も頷く。

 なんだか妙な反応だった。危機感がないというか。


 彼女はしばらく考え込んだ末、


「どうぞ」


 ヘッドセットを手渡してきた。

 志之はそれを受け取り、必死に呼びかけ――ようとする直前、


《えくっ……ひくっ……》


 絵馬の嗚咽おえつが聞こえてきた。


 思わず前のめりに倒れそうになる。絵馬は無事だった。志之はひとり勝手に想像を膨らませて、焦っていたようだ。

 理緒が横目でじっとりと睨んでくる。志之は無言で『いやお前も同じこと考えただろ?』と抗議した。


 安心したのもつかの間、コクピットの中で絵馬が泣きじゃくっているのだという事実に胃が重くなる。


 戦いである以上、勝ち負けは避けられない。

 志之が勝って、絵馬は負けた。


 だけど、絵馬にとっては黒星がひとつついたというだけの話ではない。この戦いに特別な意味を見出そうとしていた彼女は、深い傷を負っているはずだ。〈クラウ・ソラス〉のように、ばらばらになってしまいそうなほどの、心の傷を。


 志之はしばし思い悩んで、


「絵馬」


 呼びかけた。

 嗚咽が押し殺される。


「お前は強かった。倒せそうな気がしても、錯覚だって思い知らされた。目的のためには回り道をしても構わないって意志がお前の動きから見えた。俺は怖いと思った。何度も後ろに下がりそうになって、でも、お前と戦うにはそんなんじゃダメだと言い聞かせてたんだ」


 すっと息を吸って、


「それが俺にとっての絵馬・ルゼットだ。ここで戦えて、初めてそれがわかった。俺はお前を尊敬してる。心から。それだけ言っておきたかった」


 最後に、そっとつけ加える。


「今度は俺が待つ番だ」


 そう告げて、志之はヘッドセットを女性スタッフに返した。


「ありがとうございました」


「心配してくれたんでしょう?」


「……ちょっと勘違いだったみたいですけど」


 スタッフは苦笑を浮かべ、肩を竦めてみせる。


 志之は理緒に頷いて、ユーウェイン重工のスタッフのもとへと帰還した。外の騒ぎには気がつかず、一切、振り向かないまま。


   〇


 観客席は歓声の渦が巻き起こっていた。


《なんと! なんとの結末! 試合を制したのはユーウェイン重工社、チーム立川整工所属の佐伯志之選手と〈雄風〉でした! おめでとうございます!》


 絵馬を応援していた者。志之を応援していた者。全員が入り乱れて、目の前で起きた戦いについて語っている。


 まさにビッグバンだった。ふたりの戦いは光速を超えて世界中に伝播し、リアルタイムで最も語られている事象と化した。それは単なる一過性の熱ではなく、やがて歴史となるだろう。



 だが、今はまだ、『歴史』なんて言葉で語るには早すぎて――

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