薬莢、廃墟、スクラップ

 冷や汗が志之の頬を伝う。

〈クラウ・ソラス〉が離脱してくれた隙に、呼吸を整える。


 実際のところ、咄嗟の行動だった。

 三鷹が言っていた『三段階上の速さ』についてはシミュレーターで体験したはずだった。対策もあれこれ考えていたのだ。


 だが、現実は違った。もっと切羽詰まっていて、心に余裕がない。

 そんな状況で接近してきた〈クラウ・ソラス〉は、まるでこちらをロックオンして向かってくるホーミングレーザーのようだった。


 基本的に『硬い』動きをするハウンドが、ぐにゃりと歪んで見えるのである。

 マシンガンの弾はすり抜けるし、ひと息で手の届く距離に近づいてくる。


 バックステップを合わせて迎撃、なんて対策は、志之の無意識が無理だと叫んだ。


 だから、前進した。体当たりをしたのだ。

 結果からいえば正解だった。


 後ろに下がるのではない。前へ踏み込むべきだ。〈クラウ・ソラス〉からは逃げられない。ならば、立ち向かうべきだ。


 方針を変更するにあたって、自機の状態を確認する。


 左腕に攻撃が集中しているが、動作に不安はない。マシンガンの残弾はまだ一個のマガジンボックスが残っている。今、交換。残りゼロ。ディスプレイの表示が更新される。


 足は――大丈夫だ。さっきから酷使しているマシンガンストック――これ以上は射撃に支障が出るかもしれない。


〈クラウ・ソラス〉は顔を出さない。警戒されているのか?

 身構えた矢先、ビルの中を跳ねる物音がした。咄嗟にそちらへ銃口を向けて連射する。


 今回も反応はない。そこに相手はいない。

 なのに、物音は今も鉄板の床を滑っている――


 違う。マシンじゃない。

 絵馬もマガジンを捨てたんだ!


 彼女はもう次の行動に出ている。志之は耳を澄ます。が、自らの銃撃によって反響する騒音が邪魔をした。位置を特定できない。


 どこだ。

 メインカメラとサブカメラ、全てを駆使して周囲を見渡す――


 がつん、と。何かが鉄板に突き刺さる音がかすかに聞こえた。

 後方だ。志之はサブカメラで至近距離に敵がいないことを確認してから、振り向いてメインカメラに切り替える。


 が、やはり敵はいない。

 聞き間違え、でもない。


 ナイトゲームで自然光のない世界。フィールドを照らすスポットライトが、路面を動く影を浮き彫りにしていた。


 志之ははっとなって頭上を見上げる。

 敵は空にいた。


 ビルの三階から勢いよく飛び出した〈クラウ・ソラス〉が、アンカーガンを向かいの壁に撃ち込んでいた。通りにはワイヤーロープが張られている。


 三鷹が敗北したときの、壁走りだ。


 あのとき、志之は観客席で目撃していた。


 ハウンドは足を着けて戦うものだという固定観念を破った機動。

 誰もが呆け、そして熱狂した。

 絶対に忘れられないシーンだ。


 志之は反射的に後ずさろうとして――その場に踏み留まる。

 地上の〈雄風〉と空中の〈クラウ・ソラス〉とで、視線が交錯するのを感じた。

 時間が止まったような錯覚に陥る。



 宇宙開発機構の研修で最も得意としたプログラムが、事故処理だった。


 宇宙ステーションに小隕石が衝突。気密ブロックに風穴が空き、圧力の変化でフレームに異常発生、崩壊が始まる。

 施設内には大勢の人員が滞在しており、どれだけ多くの命を救出することができるか。また、どれだけ少ない犠牲に留めることができるか。


 そういうシミュレーションだ。


 不謹慎かもしれないが、志之はそのプログラムが楽しかった。その感情はステーション建設や資源採掘といったプログラムでは湧くことのないものだった。


 秒で変わる状況。

 どこを死守し、どこを破壊するか。

 自分でもはっきりとわかる集中力の限界。そこからの挑戦。想像力の駆使。

 更新されていく生存者数。それでもなお出る犠牲者に、もしかしたら自分の大切な人が含まれるかもという胃の重さ。現実、そんな覚悟ができるのかという苦悩。


 すべてが、楽しかった。

 要するに、志之のセンスの源は、そこにあったのだ。



 止まった時間が加速する。


 後ろに下がるな。下がったら狙い撃ちにされる!

 志之は自分に言い聞かせ、マシンガンを構える。


〈クラウ・ソラス〉を狙う? ダメだ。絵馬の行動と、自分の認識に、ラグが生じている。動きに銃口を合わせようとするとワンテンポ遅れるという自覚がある。もっと思い切らないと一方的にやられる。


 刹那のうちに思考を巡らせ、結論を導き出す。

 志之は浅く息を吸い、銃口を〈クラウ・ソラス〉から外した。


 狙うべきは敵のマシンではない。

 敵の足場だ。


〈クラウ・ソラス〉は対面の壁へ移動後、振り子の機動で地上へと舞い戻ってくる。超高速九十度ターンとでもいうべきか。見上げるこちら側は、振り向くことさえ不可能。


 だから、その機動に入るよりも先に足場を崩せばいい、と志之は考えたのだ。


 果たして――

〈雄風〉の構えたマシンガンから猛火が吹き上がる。吐き散らされた無数の弾丸がビル三階の壁面をハチの巣に作り変える。


 そこへ勢いよく衝突した〈クラウ・ソラス〉は、鉄板を突き破って消えた。

 今まで聞いたことがないような摩擦音をマイクが拾う。


 転倒したのだ。絵馬が。トッププレイヤーが。


 ここしかない。志之はビルに向かって連射を続ける。今度こそ、複数の命中音が聞こえる。間違いなく損傷を与えている。

 ディスプレイから絵馬の表示は消えていない。まだ生きている。容赦などするものか。


 転げ落ちるような音に合わせ、平行に照準を置く。今日以前の試合で、一階の壁は外れている。向こうまで筒抜けだ。敵が落ちてくれば狙える。


 だが、志之は気づいていない。

 アンカーガンがまだ壁に突き刺さっていることに。

 絵馬はむしろ落下スピードをも利用しようとしていることに。


 志之の予想に反し、〈クラウ・ソラス〉は俊敏に姿を現した。落下ではなく降下といったほうが正確だろう。

〈クラウ・ソラス〉は繋がったままのアンカーを使い、ターザンのように着地したのだ。


 アンカーガンの射出機構が切り離され、〈クラウ・ソラス〉の後方にすっ飛んでいく。


 相手の装甲はこの十数秒でボロボロになっていた。

 左肩破損、胸部破損、右大腿破損。


 だからといって、相手は機動性も武器も失ってはいない。まだサブマシンガンを一挺所持している。右腕には内臓式ダガーが残っている。


 両者の距離は十数メートル。

 この近さならマシンガンの威力は十二分に炸裂する。


 狙っている余裕はない。志之は薙ぎ払うように連射しながら〈クラウ・ソラス〉を迎え撃とうとした。


 ほぼ同時に、〈クラウ・ソラス〉もサブマシンガンを撃つ。

 もう少しで敵に弾が当たると思った直前、いきなりマシンガンの銃身が跳ね上がって、まともに狙いがつけられなくなった。


 警告音。

 志之は自分でも驚くほどの速さで、左腕の肘関節から先が千切れ飛んだことを確認する。試合序盤からずっと狙われてきた部位が、ついに破壊されたのだった。


 息が止まる。

 暴れるマシンガンの射線を掻い潜ってきた〈クラウ・ソラス〉が、目前にまで迫ってきた。こちらに突き出すのは右腕。


 サブマシンガンは弾切れを起こしたようだ。

 残るはダガー!


 急いでマシンガンを捨て、右腕のナイフ射出装置を作動。手に近接武器を持とうとする。

 間に合わない。〈クラウ・ソラス〉が飛び込んでくる。


「……――」


 そこからはほぼ無意識の行動だった。


 志之は千切れた左腕を動かし、ダガーの前に差し出す。

 二機のハウンドは正面衝突し、スポットライトの当たる通りの真ん中で抱き合うような形となった。


〈クラウ・ソラス〉のほうから離れようとしたが、右手のダガーが抜けないようだ。


 鋭利な刃は〈雄風〉の装甲を切断し、深々と突き刺さっていた。


 その状態を維持すべく、志之は左手のコントローラー・グローブを力いっぱいに握り締める。人工筋肉は操縦者の命令に従い、収縮――刃を圧迫しているのだ。


 さらに志之は体を前のめり気味にして右手を動かす。

 ナイフの持ち替えは完了している。後は真っすぐに振り下ろすだけ!


 だが、〈クラウ・ソラス〉はこちらの手首を掴んで防ぐ。繊細なフォルムからは信じられないほどのパワーで〈雄風〉に対抗してくる。


「だっ、たらァ!」


 志之は叫び、ペダルを踏み込む。

〈雄風〉が一歩踏み出す。〈クラウ・ソラス〉は踏ん張るが、わずかに押し出される。


 また一歩。ディスプレイに映る風景が少しずつ動き始める。

 さらに一歩。〈クラウ・ソラス〉の踵に装着されたタイヤが悲鳴を上げる。

 一気に走り出す。タイヤが限界を迎えて破裂。〈クラウ・ソラス〉の抵抗が弱まる。ホイールや足裏から火花が散る。


 爆ぜたゴムを踏みつけて〈雄風〉は進む。もっと前へ。もっと先へ。


〈クラウ・ソラス〉は下半身の力を利用できなくなったまま、上半身だけで〈雄風〉の暴力から逃れようとする。

 だけど、無駄だ。その姿はもう、大人に押さえつけられる駄々っ子のようだった。


 二機のハウンドは路面を駆け抜け、フィールドの外周まで一気に辿り着いた。

 それでも志之はスピードを緩めない。残されたパワー全てを使い果たす勢いで――


 外周隔壁に〈クラウ・ソラス〉を叩きつけた。


 バッテリー溶液が血飛沫のように飛び散り、回転中のモーターが押し潰される。

 メカニックたちが組み上げた名機の装甲が、ケーブルが、レンズが、フレームが、ネジが、木っ端微塵に弾け飛ぶ。


 ナイフを阻止する腕から力が失われる。

 ダガーを引き抜こうとしていた腕から力が失われる。

 大空を飛び立とうと躍動していた両足から力が失われる。


 ずっとこちらを見つめていた頭部が――ゆっくりと|項垂(うなだ)れる。


 志之はそれでもナイフを叩きつけようとして、

 ディスプレイいっぱいに表示された文字で我に返った。


《ゲームオーバー》


《ウィナー、〈雄風〉佐伯志之》


 試合中ずっと画面端にあったはずの『絵馬・ルゼット』の名は、輝きを失っていた。


 勝った――


「……のか?」


 まだ信じられない。目の前の〈クラウ・ソラス〉は大破している。これを、自分がやったのだろうか。数か月前は触れることのできなかった、マシンを倒したというのか。


 半信半疑のまま全身から力を抜く。


〈クラウ・ソラス〉はもはや自力で立つことすら不可能だった。〈雄風〉に下ろされても、へたり込んだきり動かなかった。


 だから、これでゲームは終わりだ。

 佐伯志之が勝者となって、絵馬・ルゼットが敗者となった。


 戦いに決着が、ついてしまったのだった。

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