そして来たりし未来の五分前

 ガレージの入り口には理緒が立っていた。

 ステージ上のやり取りを見ていたのだろうか、彼女は安堵の表情である。


「やれそうね」


「〈雄風〉に乗ればもっと落ち着くよ」


「ルゼットさんのほうはどうだった?」


「さすがに慣れたもんだ。俺を踏み台にする気、満々って感じだった」


「……志之とルゼットさんって面白いわね。仲いいのよね?」


「いいからこそだ。お互い、フィールドで撃ち合うのが一番な人種なんだよ」


「なるほどね」


 理緒が微笑むと同時に、会場のアナウンスが入った。


《試合開始、三十分前となりました。ブリギッド・モーター、ユーウェインの両チームは待機をお願いします》


 いつもの、アイリス・クロムウェルの声色をもとにした人工音声である。

 今日は『プレイヤーのみなさん』と呼ばれないんだな、と志之はスピーカーを仰いだ。


 このスタジアムでは数多あまたのチームが銃火器を構え、無数の銃弾を消費している。しかしこの日は、ふたつのチームのために用意された特別なフィールドなのだということを意識する。


 ともすれば『名前』を持たずに一生を終えていただろう人間が、『佐伯志之』という大勢の人間の認知によって形作られた『名前』を抱えて、ここに立っているのだ。


 人工音声は夜空に遠く遠く響く。月の光よりも眩しい世界に、星はひとつも見えやしない。

 感慨に浸っていた志之の手を、そっと理緒が引いた。


「行きましょ、志之。みんなが待ってる」


「ああ」


 ガレージに戻ると、スタッフ全員がふたりを出迎えた。

 立川整工の社員も、ユーウェイン重工の社員も、鹿住も三鷹もいる。


 ふらふらさまよっていた自分をここまで支えてくれた人々だ。心の底から感謝を述べたいが、志之は伝えるに十分な言葉を知らない。


 鹿住が集団から進み出て、こくりと頷く。


「後はあなたの裁量です、佐伯さん」


「ありがとうございます、鹿住さん。――その、俺にチャンスを与えてくれたことも含めて」


 彼女は小首をかしげて、


「そういう言葉はまだ早いのでは? この試合はあなたのキャリアの通過点に過ぎませんよ」


 もっともなことを言ってから、ほほ笑む。


「我々は求めた。あなたは応えた。それだけの話です」


 いつもと変わらない彼女に、志之は冷静さをもらったような気がした。初めて会ったときは冷たい人だと思っていたが、しかし、こういう人こそがチームには欠かせないのだと今ならわかる。


 次に、三鷹が大げさに志之の背中を叩きに来た。


「今日はお前のために最高級のシャンパンを用意したぜ。俺の自腹だ! お前が帰ってきたら派手にぶちまけるぞ!」


「いいですね。盛大にやりましょう、三鷹さん」


「よし。やってこい!」


 この大舞台で縮こまっていては一方的にやられるだけだろう。鍛錬と理論に裏づけられた勢いは勝利に必要不可欠だ。志之は彼からその豪胆さを受け取った。互いに腕を持ち上げてぶつける。


 スタッフたちにも順番に『挨拶』をしていくと、最後に待っていたのは立川と宇喜多だった。

 ずっと〈雄風〉のシステムエンジニアを務めてきた宇喜多が、控えめに腕を持ち上げる。


「がんばってね、佐伯くん」


「はい!」


 温和な彼は、志之の細かい注文を全て叶えてくれた仕事人だ。期待に応えたい。

 最後に立川が言葉を交わす。


「子供だと思っていたのが、すっかり一人前だな」


「おじさんのおかげですよ」


「こいつを任せたぞ、志之」


「了解です」


 志之は頷いて、ハウンド搭乗用の昇降機を上がった。

 コクピットに体を滑り込ませると、理緒が外でタブレットを操作する。


「チェック」


 彼女の合図に応じて、EEGバンド、コントローラー・グローブ、フットペダルを操作する。信号が正しく送られているかの最終チェックだ。


「オーケー」


 タブレットを脇に抱えた理緒は、ハッチに手をかけて笑う。


「私からは特になし。けど、強いて言えば……」


「言えば?」


「もしルゼットさんに勝ったら、ご褒美があるかも」


「じゃ、勝たなきゃな」


「ここで見てる。ハッチ閉鎖」


「閉鎖了解」


 理緒が離れるのを確認してから、コクピットハッチを閉じる。


 ディスプレイの光で内部が明るくなる。志之はそこに送り出してくれるスタッフの姿を見出した。

 充電ケーブルが切断、バッテリーの消費が開始。絵馬との戦闘は苛烈なものとなるだろう。志之はスタッフに何かハンドサインを出したかったが、控えることにした。それにもう十分、感謝は伝わっているはずだった。


 立川の操作でリフトが下りる。

 やがて人々の顔は見えなくなり、志之はひとり、戦場へと足を踏み入れた。


   〇


《いよいよ始まります! 〈ハウンド・ア・バぁぁウト〉! 〈ビリオネア・チャっレぇぇンジ〉!》


 スタジアムに音楽と実況の声が響く。


《実況はワタクシ! 鳴戸響と! おなじみ競技界の重鎮、六条宗晴さんの解説でお送りします! よろしくお願いしますッ》


《はい、よろしくお願いします》


 観客席もネットストリームも、一気に湧く。

 こういう場での盛り上がりというのは面白いもので、人の話を聞くために黙るのではなく、逆に歓声を上げて熱を伝えようとするのだ。


《みなさんご存知でしょう。〈ビリオネア・チャレンジ〉は一対一のタイマン試合を七連勝した者に賞金が授与される特別企画となっております。権利者ホルダーの絵馬・ルゼット選手は現在四連勝中! 六条さん、ルゼット選手のご活躍、いかがでしょうか》


《毎回綱渡りの勝負です。よくやっている、というのがコーチとしての感想です。多くの挑戦者は第四回戦で脱落しているので、いわばひとつの山を越えたと見ていいでしょう》


《勝ち続けているということは、プレイを研究され続けているということでもありますものね》


《そのとおり。初めはいいんです。自分が持っている強みを出していけばいいんですから。ところが勝者であり続けると、動きに変化を与えなければならない。それがひずみとなって、敗北に繋がることもあります》


《さあ、ここでルゼット選手の前に新たな山が立ち塞がります。チーム・タチカワ、ユーウェイン重工社所属――》


 Cゲートに影が現れるのと同時に、フィールド上空にホログラムが投影される。

 人工筋肉を軋ませながら歩いてくる橙色と墨色に彩られた中量級ハウンド。


《〈雄風〉佐伯志之選手です!》


 ハウンドの前に人の姿がフェードインする。

 競技界の新星にして弱冠十七歳の少年、佐伯志之である。


 他の選手がなんらかのポーズを披露するのに対し、彼はただ〈雄風〉の前で立っているだけだ。じっとカメラを見ている。それこそが佐伯志之という人物を表すパフォーマンスだと観客は勝手に受け取っていた。


 若手にして、冷静沈着。必殺の機動を持つプレイヤーとハウンド。

 そういうイメージなのである。


《六条さん。佐伯選手がデビューしたのは今年の四月――まだ四か月のキャリアしかありません! ものすごいスピードで成長してきた選手ですね!》


《生存能力の高いプレイヤーは、それだけ多くの試合をこなすことができます。ハウンドの修理に時間と経費を取られませんからね》


《初めの頃は医務室の常連になっていましたが、最近はそうでもありませんよね》


《ユーウェイン重工社のバックアップがついてからですね。三鷹選手のコーチングによって操縦技術が向上したことがはっきり見て取れました》


《特殊な経歴の持ち主でもあります。宇宙開発機構のパイロット養成所に在籍していたとか……?》


《遠隔操縦機の、ですね。その経験があったおかげで、競技への順応が早かったのだと思われます》


《佐伯選手の乗る〈雄風〉は新技術の人工筋肉を搭載した、中量級ながら軽量級の機動を実現できるハウンドとなっております。六条さんの評価はいかがでしょう》


《クイックさは確かに目を見張るものがあります。しかし、先ほども言ったように、プレイヤーは負荷に苦しめられることとなります。積めば積むだけ強化される、万能の技術ではありませんよ》


《なるほど? メリットもデメリットもあると》


《動きが派手になるので観る側としては楽しいものですが、運用する側としては緻密ちみつな調整を要されるでしょう。チーム・タチカワは、プレイヤーとスタッフの連携がうまくいっていることがわかります》


《ありがとうございます! さあ、続きまして――》


 鳴戸が手を振る動きに合わせて、Cゲートを映していたカメラがAゲートを向く。空中投影映像も入れ替わる。


《もはや紹介不要でしょう! ブリギッド・モーター社〈クラウ・ソラス〉を華麗に操る、絵馬・ルゼット選手の登場です!》


 空中で、白銀の〈クラウ・ソラス〉を背後に絵馬・ルゼットが踊る。まるで妖精のように。あるいははしゃぐ子犬のように。


 しかし、誰も気がつかない。

 ゲートの奥で、だらりと腕を下げて待機している実物の〈クラウ・ソラス〉に。


   〇


 絵馬・ルゼットはコクピットの中で自分の体を抱きしめていた。


 寒い。怖い。行きたくない。

 いつからだろう。こんなネガティブな感情に囚われるようになったのは。


 最初のうちはよかった。レースよりもバウトに才能があるとわかって、ちやほやされて、幸せだった。世界がひらけたようで、心に余裕があった。何もかもが新しかった。


 それが次第に変わっていく。

 色々なメディアで伝えられる自分のイメージが、膨張と乖離かいりを繰り返していった。どんどんスポンサーがついて、重責を背負わされていった。


 もしも負けて、人々のイメージが失われたら、自分には何が残るのだろう。

 自由でもなんでもない。ひたすら楽しくない。


 この〈ビリオネア・チャレンジ〉は克服の旅だ。恐怖をひとつずつ片づけていって、安心できる世界を築く。


 佐伯志之は強敵だ。『お前を倒す』という意志をはっきり前面に押し出すことができるプレイヤーである。

 彼の動きには、フィールド外の懸念など見えない。純粋な、ともすれば機械のような戦闘意識の持ち主だ。


 だから、対戦相手に選んだ。

 彼と戦えば、きっと自分も、外のことなんて忘れられる。

 有象無象を置き去りにできる。


 カウントダウンが始まった。コントローラー・グローブに手を戻す。


「……うん」


 絵馬の目に光が戻る。

 意識がひとたびスイッチすると、いかにして〈雄風〉を追い詰めるかという思考に集中できるようになる。


「行くよ、〈クラウ・ソラス〉」


   〇


 薄暗いコクピットの中で、佐伯志之は静かな高揚感に包まれていた。


 この期に及んで疑問は山積みのままである。

 競技に参加する理由。この先に待ち受けるもの。可能性。その全てがわかったとき、どんな気持ちでここに立っているのだろう。


 何もわからない。

 それでも確かなことだってある。


 今の志之には手を繋いでくれる人がいる。導いてくれる人たちがいる。先を競い合う人がいる。

 前へ進むことに、なんのためらいも、ない。


 呼吸のリズムを整える。

 つい力みすぎていた手を緩め、コントローラー・グローブを軽く動かす。ディスプレイに映るマニピュレーターの関節がぎちぎちと音を立てて、拳を開閉する。


 自分の感覚をマシンの挙動に同調させていると、カウントダウンが明滅した。試合開始まで、あと一分。


 これからやることは単純明快だ。

 走って、殴って、撃って、戦う。


 刻々と移り変わる数字がゆっくりとゼロに近づいて――


「行くぞ、〈雄風〉」


   〇


 そして、ゲームが始まる。

 ふたつのゲート開け放たれ、二頭の猟犬がフィールドにおどり出た。

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