影がふたつ、寄り添って

 グループAに属する〈クラウ・ソラス〉と対戦するにあたって、グループB仕様の〈雄風〉も臨時のアップグレードが施されることとなった。


 人工筋肉、装甲、骨格は元より改造済みだ。

 今回はモーター周りのエネルギー伝達装置に手が加えられる。


 ブリギッド・モーター社がレーシング業界で技術を発展させてきたなら、ユーウェイン重工社は発電施設で技術を発展させてきた。

 巨体の〈ドレッドノート〉さえ軽やかに稼働させるシステムだ。〈雄風〉にその技術を投入すれば、〈クラウ・ソラス〉に勝るとも劣らないパワーを手に入れられる。


 導入後、何度も動作テストが行われた。

 各部へのエネルギー伝達がロスレスになされているか、計測装置で判断するのみではなく、搭乗する志之の感覚も問われた。


 感覚。

 よりクイックに。


 それはマシンにパワーを与えるだけではない。些細でも、志之に負荷をかける。ズレが生じる。


「佐伯さん、調子はいかがですか」


 外の試験場で、鹿住が声をかけてきた。


 試合まで、あと三日だ。

 マシンから降りて水分補給をしていた志之は、ストローから口を話して答える。


「調整はほぼ終わりました。〈雄風〉も、俺もです」


「そうですか……」


 鹿住は〈雄風〉をしばし眺めていた。今日は晴天だ。真夏の日差しを遮るため、彼女はタブレットを頭上にかざす。


「ハウンドがハイスペックになればなるほど、プレイヤーに苦痛を強いる。そういうものだと恭介から伺っております」


「俺は苦痛だなんて思ったことありませんよ」


 志之の軽口に、彼女もにこりとほほ笑む。


「あなたには『王道』を求めました。〈ハウンド・ア・バウト〉にこの人ありと呼ばれるようなプレイヤーとなることを」


「王道かどうかはわかりませんけど、中々のもんでしょう? 俺は」


「ええ。今や、日本競技界は佐伯さんとルゼット選手を中心として動いている。一歩外からあなたたちを見ていると、すごい熱気なのですよ、本当に」


 主にメディアや本社上層部を相手取って戦っている彼女の言うことだ。きっと、志之が感じている以上に急スピードで物事が進んでいるに違いない。


 プレッシャーを与えに来たか。

 そうではなさそうだ。鹿住の目は初対面のときのように冷たくない。厳しさはちょっとだけ漂わせているが。


「だとしても、戦いはあなたとルゼット選手のものです。もしもかせになるなら、今回は我々の要求を無視してもらっても構いません」


「言いなりになるな、ですね」


「最強を決める戦いで自縄自縛に陥って負けるなんて、ナンセンスでしょう?」


 鹿住は志之の激励に来たのだ。

 元よりプレイスタイルにこだわるつもりはなかったし、恐らくそんな余裕もないだろうが、ともかく鹿住の後押しを受けたことは非常に心強かった。


 絵馬を叩き潰す。

 チームの一体感に、志之は胸が熱くなる。ここが自分の居場所なのだと思える。宇宙開発機構でも高校教室の片隅でもなく、ここなのだ。


 志之は頷いた。


「こんな舞台、二度と経験できるかわかりませんし、全力で行きます」


「大変よろしい」


 鹿住はタブレットを操作して、スケジュールを確認した。

 彼女のデバイスには各部署からの報告が共有されていて、作業の進行度が一目瞭然になっている。


「では、私は会議があるので失礼します。シミュレーションもほどほどに、体力を温存してくださいね」


 そう言って、彼女は真夏の試験場から立ち去った。


 温存してくれ、と言われてもなあ……。

 志之は、休むよりも頭を使っているほうが気楽だった。だから、今までの試合と同じようにこのユーウェイン重工社で時間を過ごそうと考えていたのだった。


   〇


 気が変わったのは、翌日。


「どうしたの、志之」


 ガレージを訪れた志之に気づいて、理緒が歩み寄ってくる。

 いつもの作業着姿だが、右腕にはユーウェイン重工社の社章が貼りつけられている。志之よりもよっぽど社会人らしい振る舞いで、大勢の大人の中に混ざっていても物怖じするところがない。


 そんな彼女に、志之は「いやまあ」と切り出した。


「こっちの作業もそろそろ終わるって聞いてさ」


「うん、ちょうどね」


 理緒は〈雄風〉を仰ぎ見る。


 全高五メートルの巨人は橙色と墨色に彩られた新品の装甲を纏い、次の戦いを今か今かと待っていた。ガレージの照明を反射し、全身から燐光を発しているようでもあった。


 もう、途方もなく昔のことのように思える。

 スタジアムでたまたま目撃した、ブリギッド・モーター社の〈クラウ・ソラス〉。あのハウンドは一般人を近づけさせない神々しさを放っていた。


 初めて見たときの〈雄風〉は、特徴的な人工筋肉と骨格だけのグロテスクなマシンだった。まるでスクラップ山から這い出てきた怪物のようだった。


 それがどうだろう。

 志之は感慨深くマシンを見つめる。


 いつしか、自分の愛機はあの神像と立ち並ぶハウンドとなっていた。戦うために生まれたことが一目瞭然の威嚇的マシンと化していた。


「見学?」


 理緒に問われ、志之は我に返った。用件を思い出す。


「この後、暇か?」


「え? うん、特に用事はないけど……」


「近くらしいんだ。海」


 理緒はしばらくきょとんとしてから、真顔で首を傾げる。


「そりゃあるでしょ。海なんて」


「ちょっと行かないか」


「……ビルのラウンジからよく見えるらしいわよ」


 こいつ、俺と同じ反応だな。志之は思わず笑いそうになった。


「じゃなくて、砂浜だよ。なんか理緒と一緒に行きたくて……イヤか?」


 理緒は『砂浜?』と理解に至らない表情だったが、すぐに志之の誘いがどういうものなのかに思い至ったらしい。


「ええ……それって、ええっと……」


 急に帽子の向きを正し始め、視線をあちらこちらに飛ばし、


「いい、けど」


「よかった。ここで待ってるからな」


「うん」


 理緒はそそくさと立川たち社員のもとへと帰っていった。



 それから三十分後、ふたりはバスに乗って海岸線を訪れた。

 夕方。日が傾きかけて、空も海も赤く輝いている。


 三鷹の言うとおり、志之たちの認識である『海』と実際の『海』は少し違った。


 臨海公園はほとんど波がない。だからさざ波はあっても、特別、意識を向けるような音はない。

 ここは違った。水面のうねりが大きく、ざあざあと音を立てる。泡立った波が砂浜を濡らしては、すぐに海へと引いていた。


 埋立地なので、人工の砂浜である。

 それでも遊びに来た人の影がちらほらと見える。家族連れは少なく、恋人、犬の散歩、ランナー、そんなところだ。


 砂浜に入れば、靴が砂まみれになる。志之も理緒もレジャー用の靴を履いているわけではない。

 だから、ふたりは防波堤に腰かけることにした。


「急にどうしたの?」


「いや、本当になんとなくなんだけど……夏だしさ」


「……じゃあ、日を改めればよかったじゃない。水着とか用意して」


「え!」


 志之は大げさに驚いて振り向く。


「お前……持ってるのか!? こういうトコに着てくるようなの!?」


 理緒は目を細めて志之を睨む。


「持ってませんけど?」


「……だよな。滅茶苦茶びっくりした」


「買うのよ」


 そう言って、理緒はこちらへ向けた視線を外そうとしない。


 志之は急に恥ずかしくなって、顔を逸らした。


「ど、どういうのを買うワケ?」


「それ訊く? 志之はどういうのが似合うと思うの?」


「質問を質問で――」


 志之は横目で理緒を見た。イメージを膨らませようとして、


「いや、またの機会のお楽しみってことで」


 妄想をシャットアウトした。当分はまともに顔を見れなさそうな気がしたからだ。


 理緒は口元をにやっと緩ませ、志之の肩を軽く押す。


「『またの機会』なんてあるの?」


「三鷹さんがみんなで来たがってたぞ」


「なんだか、修学旅行の計画みたい」


「楽しいだろうな。みんなで騒ぐのは」


「色々あったけど――」


 理緒は目の上に手で傘を作り、海を見つめる。眼鏡がきらきらと輝く。


「いいチームよね、私たち」


「ああ」


「ずっと一緒にやれたらいいなって、私、思うの」


「俺もそう思う」


 もちろん、願いが絶対に叶うとは限らない。

 かつて志之は居場所を失っているし、理緒は数年間も志之と疎遠になっていた。


 だとしても、今いるチームはかけがえのない場所だと感じている。この先どんなことがあっても、忘れられない時間を過ごしている。そう思えることが幸せなのだった。


 志之は長く息を吐いて、


「少し前に絵馬と会ったんだ」


「うん」


「あいつは将来のことを不安に感じてたよ。ずっと走っていって、その先に何があるんだろうって」


「志之はなんて答えたの?」


「何も。俺には答えることができなかった」


 自分の誇りも、技術も、名声も、今いる場所でしか通用しないかもしれない。

 ここから一歩外に出たら、自分自身は無価値な存在になるかもしれない。

 不安に取りつかれれば、恐怖に変わるのはあっという間だ。


 だけど、


「理緒」


 志之は衝動的に、防波堤に置いた理緒の手に自分の手を重ねた。


「俺はこのチームで、それを見つけたいと思ってる。お前と、一緒に」


 彼女が接触に驚いたのは一瞬だった。志之の言葉を、真剣な眼差しを、すんなりと受け入れてほほ笑む。


「もちろん。最初からそのつもりだよ、志之」


 夕日が目に見えて水平線の向こうへと沈んでいく。

 代わりに月が空に昇って、辺りを照らす物が街路灯だけになるまで、ふたりはそこで波音を聞き続けていた。

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