第4章 走る。戦う。

この道どの道?

 真昼の陽光で地面が焼かれている。

 志之はユーウェイン重工の食堂から、蜃気楼の立つ訓練フィールドを眺めていた。


 全自動メンテナンスマシンが地面を右往左往する姿を見ているだけでも楽しい。破損箇所を見つけるたびに立ち止まり、タンクから補修材を捻り出してローラーで伸ばす。通り過ぎた後にはフラットな路面が残される。可愛らしささえ覚える機械だ。


「いいのか? 夏だぞ夏」


 トレイに定食を乗せた三鷹が向かいの席に座った。今日のメニューはヒレカツ定食だった。揚げたてのカツと味噌汁の香りが空腹を加速させる。


 志之の選んだメニューはオムライスだ。半熟の卵がバターライスの上にふわっと広がっている。デミグラスソースに合うポテトと人参もついているのが嬉しい。


 スプーンを手に取った志之は三鷹に尋ねる。


「なんの話です?」


「お前、夏休みなんだろ? 海に遊びに行かんのか。理緒ちゃんとか誘ってさ」


「……俺も理緒もそういうトコに行くタイプじゃないんですけど」


「タイプじゃねーからいいんだろーが」


「それに海ならどこからでも見れますし」


「海に行くっつったら波が寄せる砂浜に、だろ。こっからすぐ近くだ」


 呆れた様子の三鷹はカツを一切れ口に放り込んだ。


 八月上旬。ひと月の間に、志之はグループBでの試合を何戦かこなしていた。三鷹の改良型〈ドレッドノート〉も復帰し、ユーウェイン重工はふたりのスタープレイヤーを抱える形となった。


 とりわけ志之は絵馬・ルゼットとの試合も発表されているので、メディアや観客の注目の的である。

 押しかけの来る家にいるよりも、ユーウェイン重工社の敷地に滞在しているほうが気が楽だった。


 絵馬のほうは、六月に第四回戦を勝利している。

 グループBに上がったばかりの志之、〈ビリオネア・チャレンジ〉に集中している絵馬。両者の都合から、試合は八月半ばにセッティングされたのだ。


 試合に向けて、志之はできる準備を着々と進めていた。人が自分の歩幅以上に歩くことができないように、志之は一歩ずつ踏み締めるしかない。時には戻ることもあるだろうけど。


 むしろ過熱気味に突っ走っているのは外野だ。

 メディア、競技ファン、情報を聞きかじるだけの野次馬。自分のプロフィールが自分とは無関係な場所で垂れ流しにされるのは、さすがにうんざりしてしまう。一体、彼らは自分の何を知っているのだろう。


 そういうギャップの渦に、今まで絵馬は立っていたのか。あの小柄な体で吹き飛ばされることなく、心まで引き裂かれることなく。


 外野の声など無視してしまえばいい?

 それは許されない。だって、これはショーなのだから。


 カメラを向ければ表情を取り繕い、意気込みを問われれば強気を装う。

 そんな慣れないことを強いられる日々の中で突然、三鷹が夏休みの予定を訊いたものだから、志之は自分が十七歳の高校生であることを思い出した。


「海に行って、何するんです?」


「そりゃあ……泳ぎ、スイカ割り、ビーチバレー、サーフィン、色々あるだろ」


 三鷹は言った後で名案を閃いたような顔になった。


「そうだな。お前の試合の後なら俺も暇だ。どうせならスタッフ全員でぱーっと遊びに行こうぜ」


「……それ、俺が負けてたら悲惨な雰囲気になりません?」


「アホか。負けたときのことなんて負けてから考えろよ。負ける気なんて欠片かけらもねえくせに」


 言われて、志之はそれもそうだと気がついた。


   〇


 実際のところ、対戦が決まったからといって、志之と絵馬の関係は険悪になどなっていなかった。

 試合を受けた次の日に、志之は絵馬と臨海公園で会っていた。


「マネージャーから聞いたよ。ありがとね、志之くん」


「こちらこそ。全力でやろう」


「……うん!」


 絵馬は勝気な笑顔で頷いた後で、海が見える柵のほうへと歩いていった。腕を手すりに乗せ、体重を預ける姿勢で志之を見つめる。


「志之くんとこうなるなんて思ってなかったな」


「俺もだよ」


 ふたりの後ろでは、少ないにしろ通行人が歩いている。

 老人、ベビーカーを押す母親、ジョギング中のスポーツマン、女子学生。


 志之はどうも地味らしく、どこを歩いていても呼び止められることがない。絵馬は帽子と伊達メガネで気休めの変装をしている。


 絵馬は、そんな通行人たちを見やってから、ぽつりと呟いた。


「志之くんで五人目かあ……」


 対戦相手の数だ。もしも志之を倒し、残る二戦も勝利すれば、絵馬とチームは膨大な賞金を手にすることになる。


 志之はからかうつもりで尋ねた。


「考えてあるのか? 賞金の使い道」


「うーん……もしもさ、志之くんが賞金ゲットできたら、どうする?」


 絵馬がこちらを見上げた。口元には微笑を浮かべているが、目は憂いの色が強かった。


「俺?」


 気配の変化に戸惑いながら、志之は考えてみる。


 たとえば、豪邸を買うとか。だが、一生遊んで暮らすことは無理だろう。

 たとえば、不動産を買って静かに暮らすとか。何もせずに収入を得られるシステムを構築して静かな暮らし。悪くはない。


 案は色々思いついたが、しかし、志之には『これだ』と絵馬に答えることはできなかった。想像上の自分にしっくり来ない。


「……さあ、何も思いつかないな」


「夢がないなあ」


 絵馬はころころと笑った。が、すぐに視線を海へと投げ入れた。揺れる波が光を反射し、彼女の瞳がきらきらと輝く。


「なんてね、私も同じなんだ。やりたいことなんて――」


 絵馬は手すりに乗せた手をぱたぱたと鳴らした。金属の感触を確かめるように。


「ときどき怖くなるよ。私、ハウンドは好きだし乗ってて楽しいけど、このまま競技を続けてって、どんな大人になるのかなぁって」


 お前ならなんにでもなれるんじゃないのか。

 志之はそんな無責任な言葉を口にしかけて、つぐんだ。絵馬だって、他人から同じ言葉を散々聞かされてきたはずだ。


 だけど――


「〈ビリオネア・チャレンジ〉で勝ち残れる頃には何かわかってるのかなって思ってたけど……今でも全然わかんないや。私がなりたいものってなんだろ」


「絵馬……」


 ライバルかもしれない。友達と呼ばせてくれるかもしれない。

 が、彼女は志之が進むと決めた道のずっと遥か先を歩いていた。ひとりで。


 絵馬はすうっと息を吸うと、柵からぱっと離れた。

 上げた顔は、いつもの笑顔だ。


「試合、楽しみだね」


   〇


「――日本競技界に君臨する絵馬・ルゼット選手ですが、佐伯選手は彼女と対戦するにあたって、プレッシャーは感じておられるのでしょうか」


 そんな質問をぶつけられたとき、志之は数週間前に交わした会話を思い出す。

 午後。ユーウェイン重工社の応接室で、志之は単独記者のインタビューに応じていた。


 革張りのソファとテーブル。観葉植物に絵画。

 清潔で格調高い部屋は広かったが、人が大勢詰めかけるとさすがに窮屈となる。


 志之と記者を取り囲むのは、鹿住の他、カメラやマイク、ライトを持った撮影スタッフたちである。


 インタビューというものは実に難儀だった。

 競技に対するモチベーションや、他選手に向ける意識、周囲の人間に伝えたい気持ちなどなど、感覚的に漠然と抱いてきた心持ちを言語化しなければならない。


 これが各種メディアの不特定多数に発信されると考えると、格好つけたくなるのが自然だろう。

 志之は画面映えするきりっとした表情で一問一答をこなす。


 ――つもりだったのだが、想定外の質問ばかりをされてしどろもどろになるのが現実だった。

 なんかすみません。ああ、記事にするときは整えるので大丈夫ですよ。

 そんな情けないやり取りをした矢先の、記者からの質問だった。


「プレッシャーはあるといえばありますけど……」


 志之は正直なところを吐露した上で、


「でも、フィールドには持ち込みません。感じてる暇もないですよ。だって一秒一秒の判断を迫られてる中で、それが正しいのか間違いなのかもわからないまま、行動し続けなきゃならないんです」


 組んでいた手を解いて、記者の顔を見る。


「まあ……プレイの中で圧倒されるってことはあるかもですけど、それはトッププレイヤーの絵馬・ルゼットに対してではなく、シンプルにプレイヤーの絵馬・ルゼットに対してです。その相手に選ばれたってことは、俺もそれなりのプレイができる人間なんだって自信がありますから」


「なるほど」


 記者はにこりと微笑んだ。


「今日一番の、迷いのない答えですね」


「いや、はは……恐縮です」


 本当にこんな調子でインタビューが成立するのだろうか。はなはだ疑問だったが――



 後日、志之と記者の問答はとてもすっきりした読みやすい記事となってメディアに掲載された。


 うむ、コミュ力高い大胆不敵なプレイヤーといった感じである。志之は記者の要約力に感心し、今後はこういう風に応えればいいのだと肝に銘じておくのだった。

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