答えは、招待状

 自力で帰還した〈雄風〉は、ガレージの大騒ぎに迎えられた。


 が、志之はまだそれがノイズにしか聞こえなかった。息苦しい。ファスナーを下ろし、首元を大きく緩めた。ゲーム中には感じなかったが、シャツは汗でびっしょりと濡れていた。


 立川の合図を待ってからコクピットハッチを開けると、熱気の塊が風になって外へと出ていく。ようやく呼吸が楽になる。


 代わりに、スタッフたちの歓喜がダイレクトに飛び込んできた。

 一番に出迎えてくれたのは――


「がんばったね、志之」


 理緒だった。学校でもガレージでも見ることのできなかった笑顔を咲かせている。赤いのは頬だけではない。目元もだ。


 ハウンドの前に接続された移動式足場から、彼女がそっと手を差し伸べてくれる。

 志之はシートから身を乗り出し、彼女の手に掴まった。


 柔らかい。それに、温かい。コントロール・グローブとは全く異なるその感触が、志之の意識を現実に引き戻してくれたようだった。


 彼女と並んで足場に立つと、急に、


「俺……本当に……」


 自分の叩き出した成果が夢だったように思えてしまう。圧縮された時間が一気に解凍されて、理緒のまばたきさえも速く見える。


 だが、理緒は手を離さずに繰り返し言ってくれた。


「志之が勝ったのよ」


「佐伯! よくやった!」


 三鷹のはしゃぎ声が下から聞こえてきた。拳を天に突き上げて叫ぶ姿といったら、年間ランキングで首位が確定したような喜びようだった。


「ほとんどパーフェクトだ! ちくしょう、今日は宴会だ!」


 彼だけではない。立川整工から世話になってきた社員だけではなく、この短期間でいくらか言葉を交わしただけのユーウェイン重工のスタッフも三鷹に呼応して何か叫んでいる。


 そんな光景を上から見て、志之は、


「は、はは……」


 実感が湧いてきた。心の底から笑いの衝動が駆け上がってきて、志之の喉から飛び出していく。


「はは、あははっ! やりましたよ三鷹さん! みなさん!」


 こんなに笑ったのはいつぶりだろうか。そういうレベルで感情を露わにしていることにも気づかず、手を握ったままの理緒と一緒に小さく飛び跳ねる。


「やった、やったぞ理緒っ!」


「うん、うん!」


 二人で額をくっつけた後は、足場の梯子を下りて三鷹のもとへと駆けていった。あっという間にスタッフたちに取り囲まれ、肩や背中を叩かれまくる。頭をくしゃくしゃと撫でていったのは立川だ。肩を組んで揺さぶってきたのは三鷹だった。


 志之は人の川に流されていって、自然と〈雄風〉の前に辿り着いた。いい気分のまま相棒の健闘を称えようと見上げて、


「――……」


 息を呑む。

〈雄風〉は傷だらけだった。


 敵からの乱射を受け、塗装はもちろん、多層装甲の第一層も抉れていた。人工筋肉を守る被膜はあちこち破れかけていたが、内部のケーブルは死守してくれていた。特に傷がひどいのは脚部だ。サイドステップ時の反動と路面との摩擦、破片の衝突で鮮やかな橙色がくすんでしまっていた。


 それまで童心に返っていた志之は呆然と〈雄風〉の足に手を当てて、じっと黙り込んだ。


 理緒が顔を覗き込んで、「え」と声を洩らす。


「何、え、志之、なんで泣いてるの?」


「いや……俺もよくわからないんだけど……」


 最高潮に上がったテンションの反動がやってきたのかどうかは知らない。志之は目元に溜まった涙を手の甲で拭った。


 肝心な話はまだ済んでいない。騒ぎをやや遠巻きに眺めていた鹿住が、志之に近づいてきたのだ。だから、もう少しだけ毅然きぜんとしていないと。


「鹿住さん」


〈雄風〉の足元を見たままで彼女の名を呟いてから、志之は意を決して振り返った。


「俺のゲームはどうでしたか」


「……私個人の感想になりますが」


 鹿住も〈雄風〉を見上げてから、「ふうっ」と息を吐いた。すると、ずっと冷たい印象だった表情が綻ぶ。


「文句なしです。私は操縦技術にうといですが、それでもあなたのプレイには心躍るものがありました。純粋に――応援してしまいましたよ」


 三鷹が歩み寄ってきて、鹿住の肩に馴れ馴れしく手を乗せる。


「だろお? ところで誰だっけこの化け物を放り出そうとした節穴さんは」


「ちょっとあっち行ってなさい」


 鹿住は露骨にイヤそうな顔をした。この人、三鷹に対してはすごく普通に振る舞うんだな、と志之は思う。プライベートでも仲がいいのだろう。

 結局、三鷹がその場に腕組みをして残ったので、鹿住は複雑そうに話を続ける。


「まあ、話を進めるならまず謝罪を。あなたには辛い思いをさせたでしょう。申し訳ありませんでした」


 深々と頭を下げた彼女に、志之は気まずさを覚える。


「あー……鹿住さんにも何か考えがあったんでしょう? なんかそんな気がしてます」


「私たちは従順な獅子を飼いたいワケではありません。獅子は獅子だからこそ美しい。ひと目見て、あなたにはその輝きが見られなかった。他人事のような態度で、競技への執着心もない。パートナーとするには信用できなかった。印象論ですけどね」


 彼女の目は確かだ。その印象に、何ひとつ誤りはなかった。

 だから、志之は黙って頷いた。


「いいですか、佐伯さん。私はチームマネージャーです。運営について、厳しい意見も申し上げるでしょう。ですが、全てをはいそうですかと受け入れないでください。チームの中心は私ではなく、あなた、プレイヤーなのです。あなたがリーダーなんですよ。ほら、周りを見てください」


 彼女に促されるまま、志之は視線を巡らせた。

 スタッフ全員が志之と鹿住に注目している。志之がどうなるのか、結論を気にしているのだ。


「チームがどう形成されるのかはリーダー次第です。オーナーの要求はあっても、ね。この恭介ですらそこのところはしっかりしているんだから」


「褒めてんのか? けなしてんのか?」


「ご理解いただけたでしょうか、佐伯さん」


 完全に無視を決める鹿住に、


「はい!」


 志之は勢いよく答えた。


 彼女はなんとなく苦手なタイプの人間だと思っていた。しかし、違った。立川とも三鷹とも異なる、学ぶところの多い大人であった。

 そんな彼女は抱えていたタブレットを差し出してほほ笑む。


「では改めて――我々ユーウェイン重工のパートナーになっていただけますか、佐伯志之さん」


 タブレットに表示されているのは例によって契約書だ。

 今までは立川整工に雇われたプレイヤーという立場だったが、これからはユーウェイン重工に雇われてチーム・タチカワに派遣されたプレイヤーという立場になる。


 この待遇に今さら何を迷うことがあるだろうか。

 志之は契約書にサインをした。二度目となると、前回よりも慣れた手つきで文字を書くことができた。


「よろしくお願いします、鹿住さん」


「こちらこそ」


 ふたりが握手をした瞬間、また周りのスタッフがどっと押しかけてきた。

 ガレージの外には記者が待っているが、この熱はしばらく冷めそうにない。志之も綺麗さっぱり忘れて、今はこのお祭り騒ぎを楽しむことにするのだった。


   〇


 翌朝。登校前、志之はデバイスを確認する。

 絵馬からのメッセージはない。


   〇


 放課後。高校を出た志之はデバイスを確認する。

 絵馬からのメッセージはない。


   〇


 ユーウェイン重工のガレージに着くと、鹿住、立川、三鷹の大人勢が神妙な顔つきで寄り集まっている。昨日の快勝で浮ついた雰囲気は、そこにはなかった。


 制服のままの志之と理緒は、鞄をベンチに置いてから彼らに近づいていった。


「どうかしたんですか?」


「佐伯さん」


 鹿住は困惑気味に告げる。


「あなた、ブリギッド・モーターの絵馬・ルゼットとは親しいのですか?」


 思いがけない名前が彼女の口から飛び出してきて、志之はどきりとした。試合を観てくれたのだろうか。朝から気になってはいたのだが、まだ聞けずにいた。


「絵馬ですか? 友達ってほど仲良くはないけど……最初の頃はアドバイスとかもらってました。絵馬がどうかしたんですか」



 志之はわけもわからず無言で補足を求める。


 鹿住がタブレットを胸の高さに持ち上げ、受信したメールを見せてきた。運営委員会から送信されたもののようだが――


「〈ビリオネア・チャレンジ〉の対戦相手に、あなたを希望しているそうです」


「……はい?」


 突拍子もない単語に、すぐ反応できなかった。


〈ビリオネア・チャレンジ〉。

 七連勝した者には途方もない額の賞金が授与される。しかし、一度でも負けてしまえば、獲得権利は勝利した挑戦者に移譲される。


 現在の権利保持者ホルダーは、絵馬・ルゼット。彼女だ。


「困っているのは私たちも同じです。何しろあなたはグループBで一勝しただけの成績。彼女はグループAで勝ち続けている猛者であるワケで……もちろん、いずれはあなたをグループAの舞台に上げるつもりでしたけど、いくらなんでも急すぎます」


「……委員会が仲介してるってことは、委員長も承知なんでしょう? なんて?」


「『本人の意志に委ねる』、とのことです」


 話している間、鹿住は志之の目をじっと見ていた。彼女も問うているのだ。


 志之は考え込む。

 絵馬は、わざわざ格下を狩って白星を稼ぐような小さな人間ではない。


 自分に何を感じたのかを教えると言った。

 これが彼女の答えなのだろうか。賞金がかかっていても、名誉がかかっていても、関係ない。そこがふたりの戦う舞台に相応ふさわしいと言いたいのだろうか。


 やろうよ。

 彼女の声が聞こえたような気がした。


「やりましょう」


 志之は顔を上げて、大人たちに告げた。


「気持ちだけで言えば、俺は絵馬と試合がしたい。向こうがそのつもりなのに、逃げたくない。ここで避けたら、多分、俺は二度とあいつを直視することはできなくなる」


 大人たちは互いに頷き合った。

 志之が意志を表明したことで、方針が決まったのだった。


   〇


 二週間ほど経ってから、メディアは大々的に絵馬・ルゼットのシンデレラストーリーに新たな挑戦者が現れたことを報道した。

 相手はまたもやユーウェイン重工。今回はその傘下に入ったばかりのチームで、グループCを無敗で昇格した期待の新人である。


 こうして志之は世間的に絵馬の『敵』となった。


 でも、そんなのはずっと以前から、自分がデビュー戦で勝利を飾ったときからそうだったではないか。

 志之は世間の声を聞くたびに笑う。


 今さらだよな、絵馬。

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