月下を疾駆するハウンド
「よーしよしよし!」
ガレージに三鷹の歓声が響く。
観戦用のモニター前にスタッフ一同が集まって拳を握っている。画面の中では〈雄風〉が硝煙を巻き上げて路地裏を疾走している。
「それでいい、佐伯! しつこく行け! 相手の心を折ったヤツが勝つんだよ!」
理緒は苦笑いを浮かべて、あまりにも白熱している彼を見上げた。が、彼は画面から視線を全く外そうとしなかった。夢中になっていた。それを見て、理緒も笑みを消して画面に集中する。
実況席からも六条の珍しく興奮した声が飛び込んでくる。
《信じられない。訓練期間があったとしてもそう長くないはずだ。なのに……》
相方の鳴戸はまだわかっていないようだ。
《六条さん?》
《狙いが定まりすぎている……》
《射撃技術が向上した、ということでしょうか?》
《いや、違う――失礼、違います》
六条は深呼吸をして、
《思考と行動のラグがないんですよ》
と語った。行動を起こそうと考えてから、実際に行動するまでの遅延のことだと説明している。
理緒は志之から尋ねられたことがあった。なんでも絵馬・ルゼットにそう指摘されたらしく、やたら気にしていたのだ。
確かに志之はいつも最後で迷いが消えたような動き方をする。それまで回り道をしていたのが、突然、直線に入ったようなスピード感になる。
今、〈杭竜〉を倒した〈雄風〉の動きは、まさにそうだった。
ある程度予測はしてたにしても、展開の急変に対応しすぎている。
実況席の六条は、心なしか楽しそうに話している。そういえば六条は、絵馬・ルゼットの先生なのだと情報サイトで見たような。
《コーチのおかげかどうかはわかりませんが、欠点が克服されて、余計なことを考えずに済むようになったのかもしれません》
「そーよ、俺のおかげよ!」
はしゃぐ三鷹の横で、鹿住がため息をつく。
「いちいち対抗心を燃やさないの」
大人たちがみな志之に釘づけになっている。理緒は誇らしく思う。
志之がそういう人間なのだと、昔から理緒は知っていた。驚くようなことをしてみせて、未知の世界へ連れていってくれる。いつも先を歩いて、自信たっぷりな笑顔で振り向いてくれる。失敗を恐れるどころか大歓迎だった。知っていた。好きだった。
今度は一緒に歩いていく。〈雄風〉のメカニックとして、チームメイトとして。
理緒の整備した足が志之を次の敵のもとへと送り出す。
〈雄風〉が争っている二機の片割れを見つけ、遠距離にもかかわらず銃撃した。三つ巴の戦いがここに始まった。
〇
この銃撃は『ダメージを目的としない』銃撃だ。
志之はディスプレイの中で〈スリーナイン〉が振り返ったのを見て、〈杭竜〉がしたようにショルダータックルで建設物に突入した。
普段は道しか走っていないので、壁と屋根に覆われた空間は新鮮だった。思っていたより閉塞感はない。自由に動き回れる広さだ。
鉄板に防弾性は備わっていない。だから、安心して立ち止まってもいられない。
〈スリーナイン〉が〈雄風〉の移動方向を予測してマシンガンの乱射を浴びせる。
建設物内部に火花が散り、舞った火の粉を次の弾丸が貫く。壁中に穴が
飛来する弾丸すれすれのところを〈雄風〉は走る。踵のホイールが金属の床を滑る。アスファルトで舗装された路面とは違う点だった。
さて、逃げる方向には要注意だ。
志之はもう一機の〈ホーネット・イーター〉の行動を推察。ふたつの候補に絞る。
その一。気を取られた〈スリーナイン〉を狙う。これはない。銃撃が止まっている。
その二。逃げてきた〈雄風〉を狙う。これだろう。簡単に仕留められそうな獲物を落とせば、後はタイマンだ。
志之は意を決して壁を突き破り、反対方向の道路に飛び出した。
案の定、〈ホーネット・イーター〉はマシンガンを構えて待機していた。〈雄風〉を見るなり発砲する。
が、両者の距離はマシンガンの有効範囲外だ。
志之はこれからの行動に支障が出ないように、左腕で体を庇う。何発かが当たったが、ユーウェイン重工社製の装甲はびくともしなかった。
反撃はしない。ここはじっと我慢だ。
そうすれば、ほら、発砲音を〈雄風〉のものと誤認した〈スリーナイン〉が壁越しに〈ホーネット・イーター〉を攻撃してくれる。
楽しい乱戦の始まりだ。
両者とも乱入してきた〈雄風〉を追って距離が縮まっている。
この横槍は〈ホーネット・イーター〉にとって脅威だったらしく、直線で対峙している〈雄風〉を狙うか、〈スリーナイン〉に撃ち返すか、冷静にどちらからも距離を取るかの選択に迫られた。
〈ホーネット・イーター〉はミスを犯した。
〈スリーナイン〉に反撃しながら、〈雄風〉のほうへと近づいてきたのだ。
褐色のハウンドは通常ブロックで装着される装甲を鱗のように装備している。機動性を維持しつつ防弾性能を高めたスケイルアーマーということらしい。
加えて、こちらの射撃の腕を低く見積もっているのだろう。甘く見られたものだ。まあ、反論できないのだけど。
有効射程距離に入れば、〈ホーネット・イーター〉はこちらに集中するはずだ。
こちらも撃ち返すか。いや、厄介だが、先ほどの〈杭竜〉と違って、全身が鱗に守られている。弱点という弱点はないように見える。
では、どうやって他のハウンドはこれを倒してきたか。
装甲の上からの殴打だ。スケイルアーマーは衝撃を受け流すのに優れているが、衝撃を受けるのには不向きなのである。
向こうが近づいてきてくれたということは、チャンスか。
待て。志之は冷静に見極める。
〈雄風〉の本領が近接戦闘にあることは相手も熟知しているはずだ。さっきの射撃は遠かった。もっと近くへ。装甲を抜くための接近だ。
ミスじゃない。志之は認識を改める。挟み撃ちに遭っているふりをして、自制心を持たないプレイヤーを誘い出そうとしているのだ。
下がるか、それとも――
志之は危険な選択肢を選んだ。ホイール走行を切って、足で前に出る。
〇
「マジか行くのか佐伯!」
半ば悲鳴じみた叫びを上げる三鷹は、しかし笑っていた。
プレイングのことは全くわからない理緒も、この局面は志之の勝負所なのだろうと理解できた。〈ホーネット・イーター〉の振る舞いはやけに落ち着いている。絶対、しかけてくる。
となると、志之はどう対応するのだろう。
最前列のパイプチェアで、理緒はモニターを凝視する。きゅっと握った両拳が汗ばんでいるのにも気づかない。
画面の中では、〈ホーネット・イーター〉がホイールを使っているのに対し、〈雄風〉は歩行モードで間合いを詰めていっている。
それで何をやるつもりなのか勘づいた。
ホイールを展開している状態だと、人工筋肉のパワーがうまく地面に伝わらない。志之はパワーを活かした何か――三鷹と練習していたとかいう――をやろうと考えているのだ。
予感があったおかげで、理緒はその瞬間を見逃さずに済んだ。
〇
志之は集中する。大事なのは相手がどう動きたいのかを理解すること。その動きの一瞬先を動くこと。
正面の〈ホーネット・イーター〉がこちらを見た。マシンガンの銃口が〈雄風〉の胴体を狙おうとするのがわかる。発火、今。
そこからは考える暇などなかった。
銃口の動きに合わせてマシンをコントロールする。傍からは千鳥足でよろめいているように見えるだろう。
飛来する弾丸が装甲を舐める。橙色の塗装が剥がれ、下地の黒色が現れる。
その照準は徐々に上に跳ねていく。反動のせいだ。アサルトライフルなら軽い衝撃が、マシンガンは重い。〈ホーネット・イーター〉の腕力では制御できていないのだ。
搭乗者は射撃が命中していないことに気づいて、連射を打ち切った。銃口を下に戻し、改めて〈雄風〉を狙う。
そんな動きも一秒に満たない。
しかし、志之からすれば、水中に浸かっていてようやく息継ぎのタイミングが訪れたようなものだった。
射撃の途切れ目を見計らって、〈雄風〉の移動方向を逆側に切り返す。フットペダルを強めに操作し、サイドステップさせる。
相手は思考のラグに襲われる。さっきまで〈雄風〉がいた場所を狙って発砲した。
その隙に、志之は接近しながらマシンガンで相手の武器を撃つ。何発かが銃身に命中し、何発かが無防備なマニピュレーターを貫いた。
右側ががら空きになった。一気に走り込んで距離を詰める。
ギミックアームからナイフを展開し、〈ホーネット・イーター〉の脇腹を刃で殴りつける。
スケイルアーマーを切断することはできなかったが、へこみはした。
もう一度だ。今度は柄頭で殴打。
さらに鱗はマシンに食い込み、〈ホーネット・イーター〉は横向きに吹っ飛んだ。
関節を破損したか。こちらに振り向こうとするが、フレームを軋ませるばかりで動かない。
志之は敵の背後に回り、バッテリーを狙って射撃。〈ホーネット・イーター〉を行動不能に陥らせる。全身の人工筋肉が弛緩し、鱗をじゃらじゃらと鳴らして膝をついた。
「これで後は――」
ひとり。道を回り込んできた〈スリーナイン〉が〈雄風〉の機動を目撃していた。手口があまりにも鮮やかすぎて威圧されたか、後ずさろうとしている。
志之は突撃した。
装甲が分厚いわけでも機動性が高いわけでもない敵のマシンは、近づいてくる〈雄風〉を迎え撃とうと乱射するしかないだろう。というか、乱射してきた。
道は広くない。
が、問題にはならない。
志之は蛇行し、一定の距離までは装甲で防御し、危険領域へと踏み込んだ後は照準調整の途切れ目を潜り抜ける。
プレイヤーにかかるGもそこまでではない。やや尻が痛くなる程度だ。
今度は密着する必要もない。
マシンガンを構え、飛来する弾丸を回避すべくサイドステップ。人工筋肉の沈み込みのタイミングで敵を狙い、射撃――命中。
〈スリーナイン〉の上半身が仰け反ったかと思うと、続けて当たった弾丸で装甲が爆ぜた。
リザイン・シグナルは出ていない。志之は木っ端微塵にするつもりでマシンガンを撃ち続けた。
がちん! マガジンが底をついた音で、やっと息を吐く。
〈スリーナイン〉はゆっくりと後ろ向きに倒れ、そのままぴくりとも動かなくなった。
マガジンを交換しつつ、横目でプレイヤーリストを見る。点灯しているのは自分の名前だけになっていた。
照明の光が交差する中心に、〈雄風〉だけが立っていたのだった。
〇
「こんなことが……」
六条は実況席で愕然と呟く。
今、映像は一連のリプレイを流している。
最初の〈杭竜〉、続く〈ホーネット・イーター〉、最後の〈スリーナイン〉。
どのマシンも先に攻撃をしかけているのに、〈雄風〉に負けてしまった。なぜか。
「わかりますか、鳴戸さん。簡単に言うと、彼はフットワークを身に着けたんです」
「えっ、あっ、はい?」
六条がコメントを求めてもいないの語り出したものだから、鳴戸は目を丸くしたようだった。ほら、思考のラグ。これなのだ、佐伯志之が利用したものは。
プレイヤーだった六条にはわかる。敗者たちは決して〈雄風〉の姿を見失ったわけではないだろう。むしろずっと視界の片隅に鮮烈な橙色が輝いていたはずだ。その光に惑わされてしまったのだ。
敵を狙おうとする意識を、佐伯志之は突いた。一度目は偶然だったかもと疑ったが、それを二度も三度もやられては確信するしかない。
あのフィールドに立っているのはもはや、やけっぱちなルーキーではなかった。
スピードに適応できない者を狩り尽くす凶悪なプレイヤーだ。
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