リターン・トゥ・バトルフィールド

 多くは研究スタッフではなくガレージスタッフのようだった。作業着を着たままでモニタリングをしていたらしい。


 先頭には立川と、鹿住の姿があった。オフィススーツで完全装備の彼女は、険しい顔で志之を見ている。


 三鷹がコクピットハッチを覗き込んで言った。


「よくやった、佐伯。シミュレーションは終わりだ」


「よくやったって……俺、全然うまくできなくて……」


「お前に見せてもらったのは腕の良し悪しじゃねえ。お前ってプレイヤーの特異性だ」


 三鷹が手を差し伸べてくれる。シートベルトを外した志之は、彼に引っ張り出されるようにしてシミュレーター機から降りた。


「分析、出せるか?」


 三鷹の指示で、投影用プラスチックモニターに各種グラフが表示される。


「色んなもんが視覚化されてっけど、どれもお前のハウンド操作量を示したものだ。まず一回目のシミュレーションがこれ」


 そう言われても、志之には図の見方がわからなかった。複数の評価軸があるらしく、自分の操作量などという初耳のデータが、平均と比べて多いのか少ないのか、ひと目では判断できない。


 そんな気配を察したのだろう、鹿住が唸るように問いただす。


「名プレイヤーと凡プレイヤーを隔てるものはなんでしょう、佐伯さん」


「操作技術」


 この話の流れならそうなるだろうな、といったところを答えつつ、


「経験とかテンションとか数値化の難しい評価軸も多いでしょうけど……」


「解析しようと試みるなら、入力がはっきりしている部分。ええ、それで正解です」


 鹿住は腕組みをして、モニターの前に立つ。


「データ収集に協力してくれたプレイヤーの操作量を見ると、高ランクプレイヤーは操作量が多く、低ランクプレイヤーは少ない、という結果が明らかになっています」


「……それって当たり前な気もしますけど」


 そう言った矢先に、


「このデータを見る限り、佐伯さん。あなたの操作量は少ない。ハウンドを全く制御できていない。そういうことがわかります」


 と指摘されたので、志之は肩を落とす。そりゃそうかもしれないけど、本当、この人ははっきり言う人だな、と傷つく。


「恭介。比較にあなたのデータも取ってあるんでしょう?」


「……これは俺のプレゼンだっての。先回りしないでくれるか?」


 苦虫を潰したような顔で、三鷹はモニターに新たなグラフを重ねた。どれを見ても、志之のものより数値が高い。


「これが佐伯さん、あなたと恭介の差。はっきり出せる数字の世界よ」


 だからそんなものはわかっている、と志之は反抗したいが、理性を働かせて黙っておくことにした。もう帰っていいだろうか。


「でも……こんなことってあるのかしら」


 それは鹿住の呟きだった。

 三鷹が頷く。


「別のデータを取りたかったんだが、思わぬ収穫だったな。これが二回目のシミュレーション結果だ」


 次に表示されたグラフはひどくいびつなものだった。曲線グラフでいえば、いきなり数値が跳ね上がったり落ち込んだりしていて、一秒たりとも安定していない。そのくせ平均値を見ると、一回目の三鷹よりも操作していないことになっている。


「どう思う、佐伯」


 三鷹に訊かれて、志之はかぶりを振った。


「速く動かしているように見えて、全然速く動いてないってことでしょう、これ」


「辛辣だな……マジで」


 三鷹は困り顔で笑う。

 その反応に、志之は首を傾げた。


「え? どういうことです」


「これは俺のデータだ。お前の〈雄風〉を俺が動かせるかどうか試すのに取ったデータなんだよ」


 三鷹がシミュレーター機を軽く蹴ったので、鹿住と研究スタッフが鬼の形相に変わる。

 志之はそちらのほうから視線を逸らして、彼のネタばらしに耳を傾ける。


「いざやってみたらなんだこのセッティング。真っすぐ走るのだってコツがいるしブレーキかけようとすると反動が全部乗り手にかかる。欠陥品もいいところだが、これがお前にかかると――」


 三鷹がモニターに向けて指を鳴らすと、今度こそ志之のデータが表示される。


「気味が悪いくらい安定した操作データに早変わり。要するに、凡ハウンドに乗ったお前は有象無象の凡プレイヤーでおしまいだが、この〈雄風〉に乗せりゃ誰も追随できねえ制御能力を持った名プレイヤーになれる。これをと言わずになんて言えばいい」


 第一線で活躍しているプレイヤーにおだてられることなど、滅多にない。志之は大人たちに囲まれた中でいい気分に浸る。


 そこへ水を差すのが鹿住である。


「たとえ操縦技術が卓越していても、この戦闘結果ではお粗末もいいところです。佐伯さん、あなた自身はどうお考えですか?」


「えっと……こっちのペースにうまく乗せられなかったというか、やけに警戒されていたというか……」


 三鷹が重い溜息をついた。


「そうじゃねえ。もっと根本的な話、お前の最大の欠点は射撃がクソ下手ってことだ」


「……く、クソ下手!? 下手くそってレベルじゃなくて!?」


「命中率、ほい、ばん」


 モニターに五重円のまとが表示される。点が表示されているのが命中箇所だろう。

 志之は自分のデータを見て絶句した。三百発ほど撃っていて、中心を穿った点はひとつもない。というか、全部外寄りだ。


「狙えるときにきちんと当てられねえから交戦時間が伸びていくんだ。や、これに関してはマジで擁護不可能」


 三鷹は「まっ」と肩を竦め、こちらを見た。からかいの気配が消え、真剣みを帯びた目つきになる。


「これからみっちりトレーニングすれば、まともな腕になるだろうけどな」


「それって……」


 志之は三鷹の言葉の意味を考えて息を詰める。


 三鷹は自分をこの世界に引き留めようとしてくれている。鹿住チーフに佐伯志之という人材をキープすることの利点を語ってくれたのだ。


「俺は納得してねえんだよ、佐伯。結局のところ、俺はお前の答えを聞いちゃいねえ。お前だってまだ答えを言えてねえから、こんなところまでついてきたんだろうが」


 鹿住はこちらに冷たい目を向けている。


 確かに志之は解雇通達を受け入れた。受け入れてしまった。

 頭ごなしに言いつけられたような指示をはいそうですかと頷いた。


 だからといって、志之の本心は後腐れなくばっさり割り切れていない。

 それは理緒に突っ込まれたときも絵馬の飼い犬を撫でているときも三鷹の車から流れる風景を見ているときもずっとくすぶっていた、紛れもなく志之自身の気持ちであった。


 だけど――


「恐れるな、佐伯」


 三鷹が促す。

 その声で、志之は自分が俯いていたことに気がついた。


「お前にはもうプレイヤーの感覚が備わっている。腕は足りねえけど。いい子ちゃんを装うのはやめろ。目の前には最高の世界が広がってるんだぜ」


 志之は戸惑いがちに周りを見る。


 理緒も立川も宇喜多も、ただ黙って志之の顔を見つめている。今まで引いてしまっていた一線の前で踏みとどまっている志之の決断を待っている。


 本心を言葉にするのには勇気が必要だった。初めはぎこちなく、喉を震わせてしまう。


「俺……俺、本当はこの競技を続けたいです」


 なぜ? 志之は己に問う。


 栄誉や賞金が欲しいわけではない。

 競技が楽しいから? 楽しくないといえば嘘だが、大きな理由ではない。

 でも、まだ戦いたいと思っている。


〈雄風〉から離れて強く思った。

 シミュレーターに乗ってさらに強く思った。


 もしもまだチャンスがあるのなら――


 三鷹の言うとおりだ。志之は恐れていた。

 願いや夢を失うくらいなら、初めから割り切った態度で接すればいいと考えていた。そうすればダメージは少なく済む。立ち直りも早い。


 違った。そういう態度でいられないほど、志之は〈ハウンド・ア・バウト〉の世界に腰まで浸かっていたのだ。


 フィールドに何があったのか。

 志之はそれを確かめるため、あの場所に戻りたかった。すぐにでも。


 鹿住は冷たい視線を少しも緩めない。


「気持ちはわかります。しかし、申し上げたはずです。私があなたを信用できないのは、意志や態度が理由ではありません」


 志之はゆっくりと息を整えてから、鹿住に視線を返した。


「つまりはユーウェイン重工と立川整工のこれからにとって、俺という存在が利益に繋がるんだってことを証明しなきゃいけないんですよね」


「どうやって?」


「一戦だけでいい。やらせてください」


 志之の明瞭な声がシミュレーター室に響いた。


「鹿住さんが俺を解雇する理由は、一、腕の問題。二、病室送りの問題。他に何かあります?」


「三、マシンへの負担が激しい」


「じゃ、その課題を全部クリアしてみせます。特訓させてください。〈雄風〉頼りのラッキーを封印して、技術で勝ってみせます。上位グループでも通用するって示します」


 対戦相手の傾向を研究して作戦立案。そこから外れたら出たとこ勝負。

 そんな戦い方はもうできない。させてくれない。


 力でねじ伏せる。

 力こそ場を支配するものだと知らしめる。


 そういうプレイヤーに、志之はならなければならないのだ。


 鹿住の返事は――意外にも、そう悩む様子もなくあっさりと頷くのだった。


「もっと言うならメディアへの対応もなんとかしてほしいのですけど、そこはまあ、あなたのキャラクターということでよしとしましょう。わかりました。そういう条件でトライアルしましょう」


 もっと反論されると思って、


「え……いいんですか? なんかもっとこう……」


 肩透かしを食らった志之に対して、鹿住はこう言うのだった。


「〈雄風〉のセッティングはまだリセットしていないし、プレイヤー交代もまだ発表していない。特に手間ではありませんので」


 なんだかすごく投げやりではなかろうか。不安になる志之の横で、理緒が呟いた。


「セッティングは維持しておいてって注文、こういうことだったんですか?」


「別に関係ありません」


 三鷹が「はっ」と大振りに両手を上げた。


「新しいプレイヤー探しもまだ手をつけてねえくせに」


「別に関係ないわよ」


 どっと場の空気が緩むのを感じて、志之は周囲を見渡す。


「これってどういう……」


「約束です、佐伯さん」


 鹿住はタブレットデバイスに文書を表示して、こちらへタッチペンとともに手渡した。契約書だった。


「次の一戦、我々の望むプレイヤーであることを見せつけてください。〈雄風〉の換装もあります。時間の余裕は十分に取りましょう。その間、我々ユーウェイン重工はあなたの全面的なバックアップを行います」


 もしかして自分はこの人の手のひらで踊らされていたのだろうか。なんとなくで関わり続けてきた中途半端な態度に発破をかけられたのだろうか。おかげ様で、あんなに勇気を絞り出したのは生まれて初めてだ。まったく。


 疲労感で肩を落とした志之は、しかし、すぐにサインをした。筆圧が強かったかか、字が太くなってしまった。


「よろしくお願いします、鹿住さん」


「ようこそ、ユーウェインへ」


 鹿住が微笑んだ――ように見えたのはほんの一瞬だった。彼女は受け取ったタブレットの背面を叩いて、スタッフ一同を見渡した。


「仕事を放り出して何しているのですか、見世物ではありませんよ。立川チーフ。現場の監督、お願いします」


「あいよ」


 研究員やスタッフが散り散りになってそれぞれの持ち場に戻る。

 立川はこのユーウェイン重工では第二チームを預かるメカニックチーフということになっているらしい。立川整工の社員だけでなく、すでにユーウェインのスタッフにも指示を与える立場に収まっていた。


 その様子を呆然と見つめる志之の腕を、誰かが軽く引っ張った。理緒だ。


「おかえり。また忙しくなるわね」


 そのひと言が志之には無性に安心できた。もうこの世界のほうが、志之にとってはホームなのだった。


「ただいま」

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