勝者と敗者を隔てるのは
放課後。理緒と別れた志之はそのまま家に帰る気が起きず、思いつく限りの寄り道という寄り道をしてみた。以前の生活で
にもかかわらず、滞在時間が長く感じる。とても退屈だ。ため息が出てしまう。
夕刻に入り、志之はランニングコースにしていた海沿いの公園を歩いて帰路に着くことにした。
入り江の向こうにはスタジアムが見える。熱狂の渦巻いていたドームが、今は静かに眠っている。
ほんの数日前、あの中心でハウンドを駆っていた瞬間がなぜかとても昔のことに感じてしまう。二度と訪れない時間だった。
長く
ベンチに座ってジュースを口にすると、甘味控えめの爽やかな味わいが喉を通り過ぎていった。
しかし、志之の胸中はどんよりと曇っている。
具体的には進路、自分の生き方が問題なのだ。
かつて思い描いていた『これから』はその道を絶たれた。宇宙開発には選ばれた人類だけが携わる時代となった。
来年に大学受験して、その四年後には就職して――漠然と思い描いていた『これから』は以前より輪郭を失ってしまい、今では違和感を覚える。
では、本当の『これから』はあそこにある?
わからない。
何が自分に未練を感じさせているのだろう。
観客の拍手喝采が欲しいわけではない。
トリガーハッピーだったわけでもない。
あのスタジアムには一体何があったのだろう。
志之はアルミ缶を両手で握り締め、己の心をじっと探る。
そんなもの、ハウンドを駆っていたときでさえあやふやだったのだ。すぐ答えが見つかりもしない。迷路に入ってしまう。
出口を求め、右往左往する――
そんなうちに、ふと目の前を人が通っていった。
いや、ただの通行人ならいくらでも通り過ぎていったのだが、その人物は妙に志之の無意識に引っかかる存在感だった。
小柄な少女だった。キャスケットを被り、もうすぐ日が落ちようとしているのにスポーツサングラスを着けている。薄手のシャツにショートパンツという出で立ちだ。
手には紐らしき物が握られていた。リードだ。彼女の傍らにはゴールデンレトリバーが並んで歩いている。まるで護衛の騎士のようだと志之は思った。
どこかで見覚えのある背丈と髪、横顔の面影だ。
志之は思わず立ち上がる。
少女のほうも遅れて気づいたのか、ぴたりと立ち止まって振り返った。
「……あ」
少女がサングラスをずらす。その瞳は緑がかっていた。
誰だ、どころではない。
「絵馬……」
「わー、志之くん! 偶然じゃーん」
〈ハウンド・ア・バウト〉の幼い女王、絵馬・ルゼットが駆け寄ってきた。同じ街に住んでいたのだ。
主人の親しげな反応に、ゴールデンレトリバーが尻尾を振る。浅く呼吸を繰り返す口は、まるで笑っているように開かれていた。
志之は屈んで手の甲の匂いを嗅がせ、その後に耳や首の辺りをくしゃくしゃと撫でてやった。犬の反応というものは実に素直で、ゴールデンレトリバーはすぐ志之の手に体を擦りつけてくる。
「名前は?」
「ルー。可愛いでしょ」
「ああ。飼い主に似てる」
「え」
絵馬の子犬みたいに落ち着かない動きが止まる。
志之は彼女を見上げ、
「にへら顔が、だよ」
「……えーっ! 私そんな顔してないもん!」
「してたって。ついさっき」
「もー」
絵馬は頬を膨らませ、怒ったポーズを取る。が、すぐ朗らかに笑って、志之に尋ねた。
「ここで何してるの? ニュースチェック?」
「ああいや……」
志之は曖昧に笑って、スタジアムの方向に視線を逸らす。どうしたものか。自分の競技離脱は極秘事項で、それを洩らせばなんらかの罰則に問われることとなるが――
ここで話さなければ、もう一生、彼女とすれ違うことはない気がした。SNSやメールで語り合えたとしても、今度こそふたりは別次元の存在となってしまう。それではダメなのだ。
志之は再び絵馬を直視した。彼女は何かを察して困惑していた。
「今から話すことは秘密にしてほしい」
「え、うん、いいけど……」
長話になるだろう。ふたりはどちらからともなくベンチに並んで座った。
志之は念のため、周囲に人がいないかを確かめてから切り出した。
「ハウンドを降りることになった」
「えっ、なんで!?」
「色んな理由がいっぺんに重なったんだ。ウチのチームにバックアップがついて、その意向ってのがひとつ。もうひとつが、俺の技量と体にかかる負荷だ」
絵馬は「あー」と空を見上げて呟く。
「アレ、めっちゃGかかってそうだもんね。志之くん、よくダウンしてたみたいだし」
「……しっかりチェックしてるのな」
「そりゃライバルだもん」
またもや勝手な認識を押しつける絵馬だった。
志之を解雇したのがどこの企業なのか、彼女は問い質さなかった。志之がはぐらかしたのがわかっただろうし、志之よりも長い企業人である。いずれ知るところとなると考えたのだろう。
その気遣いがありがたくて、志之は素直な気持ちで訊くことができた。
「あのさ。お世辞じゃなければ……絵馬は俺の何を見込んでライバルだって言ってくれてるんだ?」
「え。志之くん自己評価低すぎない?」
なかなか珍しい、絵馬の呆れ顔である。
「志之くんのいいトコはさ、ちゃんとやるトコだよね」
「……?」
首を傾げる志之にどう伝えようかと考えているのか、足を揺らす絵馬。そんな主人をルーが『はっはっ』と息を吐きながら見上げている。
「大抵の人はさ、負ける流れで負けるんだよね。強い人は勝つ流れで当然みたいに勝つか、負ける流れだったのに勝っちゃったりする。それも一度や二度じゃなくて」
それはなんとなくわかる、と志之は思う。
多くの試合を観て感じたことだが、〈ハウンド・ア・バウト〉はジリ貧になると敗北が濃厚となる。
理論立てて説明はできないが、四機が入り乱れたフィールドにおいて、負けるプレイヤーは自ら窮地へ窮地へと迷い込んでしまうのだ。
ごく稀に、追い詰める側の油断を突いて逆転するケースもある。が、それは本人の実力ではない。優れた嗅覚であっても。
志之は、自分がそれに当てはまると考えている。相手はこちらが小さな整備工場のハウンドに新米プレイヤーだと侮る。ゆえにつけ入る隙が生じて、〈雄風〉が持つ爆発力に敗れることとなる。
だから、
「志之くんは強い人だよね」
絵馬に言われたとき、面食らってしまう。あれ、今の話、何か解釈違いか? と困惑してしまう。
「センセイに訊いたら思考と行動のタイムラグだって言ってた」
先生――恐らく解説者の六条宗晴のことだろう。
「ラグ?」
「そ。ハウンドの操作って、どうやっても遅れが出るじゃん」
志之は宙に片手を持ち上げ、試合中の操作を思い出す。
「神経系の良し悪し……じゃないのか」
「じゃなくて。『この行動、このタイミングが正解』だと判断して操作するじゃん? でも、実際に行動したときにはラグのせいでタイミングはズレるじゃん。それだと正解が不正解になる場合もあるワケ」
ああ、と志之は頷く。
判断が遅れれば遅れるほど、処理すべき問題が山積みになっていく図式だ。
そして同時に、そうかと理解する。
絵馬が最初に言った『大抵の人は負ける流れで負ける』というのは、まさに処理が追いつかなくなった状態を指しているのだ。
「志之くんはラグのムラがすごいなって思う。最初は見てらんないくらい遅くて、なのに最後はまばたきできないくらい速い。なんで?」
「いや、なんでって……初めてそんなこと言われたぞ」
絵馬はきょとんとした後、肩を揺らして笑った。
「わー、天然なのかあ」
「……言葉にトゲを感じるけど」
「トゲって当たり前じゃん。だって私、そういう志之くんが怖かったもん」
ぽつりと洩らした呟きに、冗談の気配は一切なかった。
唖然とする志之を尻目に、絵馬はどことなく乾いた笑みを顔に張りつけたまま立ち上がる。
「そっか、志之くん辞めちゃうんだ。残念」
そうして彼女はこちらを見下ろすと、飼い犬に「行こっか」と声をかけた。行儀よく座っていたルーは尻尾をふさふさと振って彼女の傍らに歩み寄る。
「じゃね、志之くん。ゲーム、また観に来てよ」
絵馬は軽く手を振り、志之の返事を聞くことなく歩み去っていった。
取り残された志之は自分の手を見下ろし、次にスタジアムを眺める。
「怖い……?」
無敵で、可憐で、競技史上最高の栄光へとまっしぐらな絵馬・ルゼットが、自分のことを『怖い』と言ったのか?
どんなメディアでも、どんなインタビューでも、聞いたことのない言葉だった。
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