諦念、再び

 デバイスのアラームが鳴る。


「うぅ……」


 志之はベッドの中から卓上へと手を伸ばし、現在の時刻を見る。朝六時。

 しばらく表示を見つめる。分を示す『00』の数字が『01』に変わった頃、ため息をつきながらやっと体を起こした。


 もうこんな時間に起きなくてもいいのに。

 虚空をむすっと睨んでみても、誰かが肩を竦めてくれるわけではない。気は晴れない。


 頭の中ではいくつかの選択肢が浮かんでいる。


 一、寝直す。

 二、ジョギングに出かける。

 三、登校時間までゲームでも遊ぶ。


 考えてみたが、習慣のついた体はすでにうずうずしている。志之はわかった、わかったよ、と自身をなだめて、出かける支度を始めた。



『残念な知らせがある。このプログラムは数日中に閉鎖されることとなった』


 講習室に研修生の全員が集められたとき、誰もが予測していたひと言を教官が告げた。


 ここ最近、宇宙開発でのテリトリー侵犯が多発し、情勢が不安定になっていたのだ。

 大国が宇宙資源を支配しようするのに対し、小国が猛反発している状況で、国際的な議場では宇宙開発の協定を見直すというニュースで流れていた。


 協定の見直しが決まれば、宇宙開発は国を超えた『地球人』としての独立組織が行うことになる――とはいえ、やはり国力がモノを言う組織になるだろうとの見方が強かった。


 となれば、作業員もエリート中のエリート、選ばれし人間だけが関わることになる。

 各国は宇宙開発に関する予算を削減した。そうしてプログラムの閉鎖が決まった。


 奪われたのではない。

 志之は思う。諦めたのだ。


 他にも宇宙の目指し方はあったはずだ。

 しかし、志之はこれから先もどこかで自分が選ばれないのではないかという恐怖を抱いた。中途半端な技量は無意味だと宣告されるのではないかと戦慄した。


 だから、選ばれる、選ばれない、そんな不安を抱かない人生を送りたいとどこかで考えていた。たった十七歳で。


 そのたった十七歳の諦めは、ちょっとしたきっかけでバカみたいに崩れる。

 立川にプレイヤーになってくれと言われたとき、理緒に感謝されたとき、絵馬に出会ったとき、〈雄風〉で勝利したとき。志之は恐れを失っていた。


 で、結局はこうだ。

 元のところへ戻ってきたのである。



 昼休みになって、理緒が弁当を手渡しに来た。朝来なかったのは、気まずかったのだろうか。


「ちょっとふたりで話せない?」


「ああ」


 志之は友人たちに断りを入れ、静かなところを探す。


 今日は天気のいい日だ。梅雨にはまだ入っていない、夏の始まりかけだった。

 中庭のベンチが空いていたので、志之と理緒はそこで昼食を取ることにした。


 包みを開ける前から、理緒は単刀直入に話を切り出した。


「志之はいいの?」


「……言っただろ。最初からこうなる話だったじゃないか」


「それはそうだけど……」


「まあ、あんまりうまくいきすぎたもんで、俺も浮かれてたところがあったのかな」


 志之が苦笑いを浮かべると、理緒はわずかに肩の力を抜いた。前提の感情を共有できたからだろう。しかし、表情はまだ暗い。


 その横顔を盗み見ながら、志之は包みと蓋を開く。今日もおいしそうなおかずでいっぱいだ。


「鹿住さんって人は、俺の体を第一に心配してくれてた。正しいよな。その……俺、病院に通ってたんだよ」


「え、初耳。どこ? どこが悪いの!?」


 体をべたべたと触ってくる理緒に、


「お、おい、人に見られるって!」


 志之が叫ぶ。それを聞いて彼女も顔を赤くして離れた。


「ご、ごめん……」


「整骨院だよ、せーこついん。別に病気とかじゃないからな」


「だとしても……言ってほしかった」


 理緒がしゅんと肩を落とす。いつになく子供っぽい反応を見せるな、と志之は申し訳なく思う。


「俺の戦い方には致命的な欠点があって、だけど、俺にはその戦い方しかできない」


「諸刃の剣ね」


「そう、それそれ。だから、いつかは無理が祟るときが来るんだと思ってた。……だから、いつか〈雄風〉には俺以外の誰かをって思ってた。ヒューマンエラーが起きる前に交代できるのは、決して悪いことじゃない。だって俺たちは、マシンを使う仕事をやってきたんじゃないか。だろ?」


 理緒はまだ包みを開けていない。その結び目をじっと見ている。


「そうかもしれないけど……私、この二か月楽しかった。志之がウチに来てくれて、本当によかったって思ってる」


 志之も頷く。


「もちろん、俺だってなんか引っかかってるよ。急に手からすっぽ抜けたみたいな……」


「そうよね……」


 理緒は木陰から空を見上げて吐息をつくと、ようやく包みに手をつけた。


「〈雄風〉、誰が乗るのかしら」


「さあ。三鷹さんか、新しく雇うんじゃないか? ユーウェインって養成所は持ってないみたいだし」


「〈ドレッドノート〉もまだ復帰できてないみたいだし――って、なんだ、色々調べてるんじゃない」


 志之は笑って「まあな」とぼやいた。


 トッププレイヤー、絵馬・ルゼットの経歴を思い出したのである。

 ブリギッド・モーターには養成所がある。本来の稼業であるドライバーだけでなく、ハウンドプレイヤーもそこで育てられているのだ。


 あるいはユーウェイン重工も――という考えが、志之の頭の片隅にだって芽生えていたのである。


 理緒がぽつりと呟く。


「志之もウチの社員になったら?」


 思わぬ誘いだった。志之は面食らってミートボールを落としそうになる。


「え?」


「そしたらハウンドに関われるじゃない」


「は、はは、俺、整備の知識はからきしだぞ」


「それでもいい」


 言い切られる。かなり、強く。

 志之はじっと理緒の横顔を見つめる。彼女の目はこちらではなく、まっすぐ前に向いていた。


 静寂。校舎のほうから笑い声が聞こえてくる。

 どう答えようかと悩んでいるうちに――


「他に進路が決められなかったらね」


 理緒が冗談めかして微笑んだ。

 志之は曖昧に相槌を打つことしかできなかった。

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