第3章 臆病者は檻を寝床に

常勝の裏で軋むもの

 コクピットハッチを開放した志之は、EEGバンドを外してシートから立ち上がる。


 外は明るい。スタジアムの天井が開けているので、太陽光が対爆ガラスを通してフィールドに降り注いでいるのだった。


 周囲には破壊されたハウンドが三機、転がっている。損傷の程度はまちまちだ。デビュー直後はみながこぞって〈雄風〉を叩き潰しに来ていたが、今では敵わないと見るや早々に降参してしまう。


 志之は脇腹の上を軽くさすりながら、視線を高く持ち上げる。


 ここはとても静かだ。ガラスの向こうでは群衆の波がせわしなく蠢いているが、歓声が届くことはやはりなかった。


 試合が終了し、システムが外部リンクと繋がる。無線も届くようになり、チームメカニックが状態確認を行う。理緒だ。


 志之はコクピットに戻って答えながら、実況チャンネルに接続した。鳴門の声がスピーカーから飛び出す。


《連戦連勝! チーム立川整工、〈雄風〉の快進撃はまだまだ続きますっ! しかもデビューから二か月、今回の戦績によって昇格が決まりました! 次回からの対戦相手はひと筋縄ではいかない猛者揃い! 六条さん! ここまでの試合を振り返っていかがですか!》


《そうですね……このグループに所属するハウンドとしては並外れたマシンスペックだったので、昇格はむしろ遅いくらいじゃないでしょうか。ここからが佐伯選手の真価を問われるステージになるでしょう》


 志之はひとり、薄暗いコクピットの中で苦笑いを浮かべる。


「……今までの全部がこいつのおかげみたいじゃないか」


 理緒の戸惑う気配が通信の向こうから伝わった。


《何か言った、志之?》


「いや、何も。自力でそっちに帰るよ」


《わかったわ。待ってる》


 再びハッチを閉鎖した志之は、他のチームの回収車と入れ違いに、自分が来たゲートからガレージへと戻っていった。



〈ハウンド・ア・バウト〉のグループは三つに分かれている。


 グループCは個人やアマチュア団体のチームで構成されている。立川整工もここからスタートした。


 グループBからはいきなりチームの規模が大きくなる。企業チームが主な競技者となっているので、ハウンドの性能が平均的に上昇するのである。


 グループAはトップチームの集まりだ。絵馬が所属するブリギッド・モーターや、彼女と試合をしていたユーウェイン重工がここに名を連ねている。もはや軍事兵器に転用できるレベルの最新鋭ハウンドがこのグループで戦っているのだ。


 今後、立川整工はグループBで試合を組まれることになる。


 これはとてもめでたい話なのだ。

 戦う宣伝塔のおかげで客足も増えつつある。無謀と思われた立川の試みは軌道に乗ってきた。

 スタッフの士気はうなぎ上りだ。勝利が夢物語ではないことを知った彼らは、より高みを目指そうとマシンの改良案を出し合っていた。競技の魅力にどっぷりである。


 ところが、立役者である志之の顔はここのところ晴れない。

 試合翌日の朝のことである。教室に入ってきた志之を友人たちが出迎えて昇格を祝ってくれたが、それに対して志之の反応はぼんやりとしたものだった。


「ああ、さんきゅー……」


 友人たちは呆気に取られた様子で、すぐに志之の肩や背中を叩いて回る。


「未だに信じらんねえ。本当にハウンドに乗ってるの、志之なのかよ。全然強そうじゃねえ」


「強そうな見た目って、たとえば?」


「あるだろ。有名人オーラっつーか。なあ?」


 友人たちは神妙に頷き合うものの、どこかほっとしている様子だ。それこそが志之からすると不思議な雰囲気だったが、


「いや、急に態度変えられても困るんだけどさ」


 そういうことらしかった。


「で、どうしちゃったワケ?」


 祝福だけでなく心配もしてくれるのだから、いい友人を持てたな、と志之はありがたく思いながらかぶりを振る。


「まだしっくり来ないんだ」


「はあ? チームで問題が起きてるのか。立川んちの工場なんだろ?」


「いや、個人的な問題」


「モテないのはなぜだ、とか?」


「ちが――」


 と、否定しかけてから、それもそうだな、と思い直す。

 ともかくである。


「や、〈雄風〉はすごいんだよ。でも、それは俺のすごさじゃないだろ?」


「……操縦してるのがお前なんだから、お前がすげーんだろ。そこは胸張っていいところじゃねーか?」


 本当にそうだろうか。

 志之はこう思うのだ。もしも〈雄風〉を絵馬・ルゼットのようなトッププレイヤーが動かしたなら、もっと誰にも想像できない活躍を見せてくれるのではないか、と。


 実況解説の言葉が今でも鳥の骨みたいに胸の辺りで突き刺さっているのだ。自分の真価とはどれほどのものなのか。


 友人のひとりがははんと笑う。


「お前、グループ昇格してビビってんのか?」


「そんなことはない……と言ったら嘘になるか」


「平常運転かと思ったらガラじゃねーなー。どんとぶつかってけって」


 彼らは能天気に笑い合う。いや、実際、そのとおりなのだった。

 この競技を始める前、自分は難色を示していたはずだ。それがどうだ。勝てるとわかるや否や、不安を忘れていったではないか。


 上位グループへの加入はいわば、二度目の第一歩なのだろう。

 志之はようやく「そうだな」と軽い笑みで頷いた。


「あー、来てるぞ、志之」


 ん、と振り返ると、廊下に理緒の姿があった。

 友人たちに断りを入れて、彼女のところへ向かう。


「よっす」


「おはよ、志之。これ……」


 理緒が弁当の包みを両手で持ち上げ――るが、志之に渡すかどうかという微妙な位置で手を引く。


「疲れてるんじゃない? 試合のペース、緩めたほうがいいのかも」


 会話を聞いていたようだ。

 志之は先ほど友人たちに対して見せたように、笑みを繕う。


「や、疲れでもないんだ。なんか……気構えっていうか。試合になれば、また開き直れると思うんだ」


「そう? なら、いいんだけど……」


 理緒が改めて弁当を手渡す。


 志之はそれを受け取りながら、むしろ疲れているのはお前のほうじゃないか、と心配になってしまった。目に隈ができているわけでも、ふらふらしているわけでもないが、なんとなく覇気がないのである。


「お前も休めよ。ここんとこ、忙しそうだし……」


「お客さんがいっぱい来ても、スタッフが増えないんだからしょうがないじゃない」


 志之が想像していたよりも、理緒の反応は過敏だった。何かが引き金になったらしい。


「次の試合までに〈雄風〉を直さないといけないの。みんな疲れてるわ。私だけが休めないし、みんなで休むってなったらスケジュールがパンクするのよ」


「それこそ、試合の数を減らしたらいい」


「これでも減らしてる」


「じゃあ――」


 志之は危険球を投げ込む。理性がそれはやめておけと訴えていたが、止まらなかった。


「俺が悪いのか?」


 のめり込むように捲し立てていた理緒が、「えっ」と顔を上げる。


 志之は彼女にもわかるように言い直した。


「俺の戦い方が悪くて、〈雄風〉の損傷個所が増えてる。敵にやられたところじゃない。俺だってわかってる」


「……そうじゃなくて」


 理緒は困り果てて目を逸らす。志之の指摘は事実だ。否定できない。だから彼女は問題を曖昧にした。


「誰かのせいって話じゃない。私たちも志之もみんなできることをしてて、いっぱいいっぱいになってるって話。……ごめん」


 ほら見ろ。言わなきゃよかった。志之は自分を責める。


「いや、こちらこそすまん。――あ、弁当、作るのめんどくないか?」


「それは大丈夫。本当に。ひとりもふたりも一緒だから」


 理緒は「はい」と押しつけるように包みを渡してきた。


 志之はなし崩し的に受け取る。が、どうにも気まずい。しばらくの沈黙の時間が続く。その間、何人もの通行人がふたりを物珍しげに眺めながら通り過ぎていった。


 いつもなら『じゃ』『ああ』で済むのに。

 志之は「あ――」と話題を振ろうとしたとき、

 チャイムが鳴る。


 ふたりはスピーカーを見上げるようにしてから、


「……じゃ」


「あ、ああ」


 別れた。

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