ニューチャレンジャー

 グローブの感覚がない。早く操縦に戻らなければ。敵に襲われる。

 体を動かそうとした志之は、


「あだっ!?」


 首に走る激痛で、悲鳴を上げる。顎を動かすときにもう一度。踏んだり蹴ったりだ。それで志之は自分の置かれた状況に気がついた。


 ここはハウンドのコクピットではない。

 目に映るのは白い天井――と、よく見知った少女の顔だった。


「理緒……?」


「動いちゃダメよ、志之」


 彼女は安堵の微笑を浮かべ、こちらを覗き込んでいる。


「お医者様によると、むち打ちと脳震盪のうしんとうの恐れあり。ほとんど交通事故に遭ったようなもんだって。後でもう一度検査するらしいけど、骨折はしてないから安心して。ヒビも入ってないって」


「……了解」


 小声で答える。


 激痛は試合中にも感じていた。人工筋肉の性能をフルに活かした跳躍機動に挑んでからだ。とてつもないGが体にかかったのである。


 それで『交通事故に遭ったようなもの』というわけか。だが、ゲームはどうなった。


 目の訴えは理緒にも伝わったらしい。


「志之が勝ったのよ。内容覚えてる?」


「大体。……〈雄風〉は?」


「もうウチに帰したわ。フレームが完全に歪んじゃってる。足腰は特にオシャカ。次の試合までにがっつり修理しないとね」


「悪い」


「全然悪くないわよ!」


 理緒は興奮気味にタブレットを取り出し、リプレイを志之に見せつけた。


 中継の映像だった。


 一見、逃げ場を失って追い込まれる〈雄風〉。

 しかし、大抵の人間が無意識に『こう動くだろう』という予測からかけ離れた瞬発力を見せる。

 機体は大砲から撃ち出された砲弾のような勢いで反対側へと跳ね、敵機を撃破していく。


 そこから立て続けに行われた二機の撃破は、……下品というか、凶暴というか、志之自身も顔をしかめるラフプレイであった。


 本当に、自分がこれをやったのだろうか。

 見れば見るほど、首がずきずきと痛んでくる。


「すごいって! 解説の人も見たことないって! みんなびっくりしてたんだから!」


「……や、〈雄風〉だからできたことで、俺は別に」


「とにかく勝ったのよ! 大金星よ!」


「まあ……仕事はこなせたみたいでよかった」


 喜ぶ理緒が微笑ましくて、志之は口元を緩める。


 こんな無邪気にはしゃぐ彼女を見ることは、ここ最近では一度もなかった。まるで子供に戻ったようだ。試合に勝ったことより、そちらのほうが志之には嬉しく思えた。


 かと思えば、理緒は表情を引き締めて警告するのである。


「ただし、これから毎度医務室送りになるのはダメなんだから」


「必要経費だよ」


「先生からも何か仰ってください」


 奥のデスクからこちらの会話を聞いていた初老の男性医師が苦笑いを浮かべる。


「確かに、無茶はよくないですね」


 志之はすかさず、


「でも、これくらいのケガをする人なんてしょっちゅういるでしょう?」


「症状の程度だけで言えば、そうかもしれませんね」


 今度は理緒が、


「今回はこれだけで済んでも、次はわからないわ。でしょ、先生」


「……それもまたそのとおり」


 やれやれと重たげな腰を持ち上げた医師は、タブレットに診察プログラムを走らせる。


「元気はあるみたいだから、それほど重症でもないでしょう。どれ、入院かどうか決めましょうか」


 志之は首が痛まないよう、慎重に頷いた。



 診察の結果、症状は軽度だった。二、三日は首が痛むだろうから近くの診療所でケアを受けてください、とのことだ。


 立川に家まで車で送ってもらった頃には、痛みよりも疲れのほうが押し寄せてきていた。志之は誰もいないだだっ広いリビングのソファに体を沈め、手足を投げ出す。


 妙な気分だった。

 なんだか物足りない。


 テレビのネット配信チャンネルで今日の試合を見返す。他人のゲームも、自分のゲームもだ。

 二時間以内に圧縮された番組では、常に実況と解説と歓声で溢れていた。自分のときはどよめきが多かった。


 そうだ。志之は違和感の正体を突き止める。


 思い返せば自分が勝った瞬間、フィールドは静寂に満ちていた。

 自分以外に動く者がいない空間で、ただ鳴り響くのはシステムのアナウンスだけだった。


 あれがプレイヤーの見ていた光景だったのだ。

 防爆ガラスは、逆に観客の歓声をシャットアウトしていたのだ。


 しかし、こうしてテレビを観ているのとは違う。確かに志之の手には、足には、背には、ハウンドを通じて破壊の衝撃が伝わってきていた。今もその感覚が残っている。ソファから自分の体が浮いていくような錯覚さえ覚えた。


 まさに幽体離脱だ。感覚だけが、肉体という実体からかけ離れている。

 なんということだ。長年くつろいできたこのソファよりも、コクピットシートを求めているなんて。


 志之の手元ではデバイスが現在進行形で通知を知らせている。


 ホログラムで投影した画面には、クラスメイトたちの名前が羅列されている。誰もが画面に映っていたプレイヤー『シノ・サエキ』が本当にこの佐伯志之なのかと疑っていた。


 その中に、ぽっと、『絵馬・ルゼット』の名前が並ぶ。

 メッセージは短い。


《おめでと! 観てたよー。今の気分は?》


 志之はしばしその文字列を眺めていた。次々と画面に《新たなメッセージを受信しました》という通知が出るのも無視して、呆けたように考える。

 繕う必要はないと思った。率直に返信する。


《すぐ次の試合がしたい》


 間髪置かずに『既読』の文字がつく。絵馬もデバイスを見ているのだ。なのにどうしてふたりは通話しないのだろう。疑問はすぐに晴れた。


《アドバイスはもうなしだね。次はあたしかもしれないし》


 佐伯志之は、絵馬・ルゼットの敵になったのだ。

 あるいは、もっと大勢のプレイヤーの。



 ――後日、運営委員会の情報サイトに新たな記事が掲載された。

 スタッフブログで、よくよく見れば、それは会長秘書のアイリスがライターを担当しているのだという。


 記事には立川整工と〈雄風〉。それから志之について記されていた。


『ニューチャレンジャーについて、多くの問い合わせがありました』


『立川整備工場が送り出した〈雄風〉には、パワーアシスト技術の専門家、佐伯教授夫妻の技術提供があったそうです。人工筋肉は伸縮性と剛性に富んだ新素材が使われ――』


『そうした新型ハウンドをメンテナンスする立川整工の技術力も高く――』


『〈雄風〉を操縦するプレイヤー、佐伯志之さんは十六歳の現役高校生だから驚きですね。デビュー戦では窮地にも臆さず、爆発的なパフォーマンスで勝利を掴み――』


『〈ビリオネアチャレンジ〉で連戦中の絵馬・ルゼットさんも同じ十六歳。新世代のプレイヤーが続々登場ということで、委員会としてもこれからのご活躍に期待しています!』


 その記事はSNSでも拡散されていた。

 人々にこの『ニューチャレンジャー』の存在が爆発的に広まっていく。


 これは誰のことなのだろう。

 志之は、自分からかけ離れた『佐伯志之』像が巨大化していくのを感じずにはいられなかった。

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