猟犬、疾走す
「あちゃー……志之くんやば……」
ちらほらと空席が目立つスタンド席で、ハンチング帽を深く被った少女が口元に手を当てる。メガネをかけてはいるが、伊達だ。彼女はそれで変装できているつもりなのだった。
だから、
「あいつ、ご愁傷様だな」
いつの間にか隣の席に移ってきていた男から声をかけられ、飛び跳ねるほど驚く。
少女、絵馬・ルゼットはガラスに投影される映像から男に振り向く。
男もまたサングラスで顔を隠しているつもりらしかったが、誰なのかは一目瞭然だった。
「
男は先日試合したばかりのプレイヤー、ユーウェイン重工所属の三鷹
「なんでここにいるの? え、ストーカー? こわ」
「……マジかよ。お前を見かけたから声かけたっつーのに、無視決めこまれたかと思ってたぞ。どんな集中力してんだ」
「やー……無視されてると思ってんのにずっと隣にいるメンタルもヤバいと思いますケド」
「お前の意見に興味があってな」
三鷹はべたついた手で映像を指差す。マットグレーの新人ハウンドが
「あの新人にご執心な理由はなんだ。前情報は何もなかったはずだ」
「あれ、三鷹さん、情報収集? マジメだなー」
「質問に答えろ」
「ちょっと縁がありまして。師匠として見届けなきゃと」
「はあ? 何教えたんだ」
「ぐるぐる動いて数減らして最後にばちーんと決めればオッケーって」
三鷹は「ふうん」と頷く。
「まともだ」
「でしょでしょ?」
「だが、それでうまくいくなら誰だってそうする。他の連中はそうさせないように動く。要するに机上の空論だ」
「えー。あたしはそれでうまくいくもん」
「お前は敵と敵の間をすり抜けるだろ。それで向かい合ってばかすか撃つもんだから、勝手に数が減っていく」
「あ、言われてみればそうかも」
今さら気づいた絵馬に、三鷹が呆れ笑みを浮かべる。
彼に対して少しだけむっとする気持ちと、『机上の空論』を志之に教えてしまったことの焦りが同時に生じる。
「で、この状況だ。お前ならどうする?」
「んー……」
絵馬は再び試合に意識を移す。
志之は辛抱強く耐えていた。二機以上の攻撃を受けないように、必死に場所を変えていた。逃げ惑っているようにしか見えないが、絵馬はそう思わなかった。
自分ならどうする?
他の三機は固まった位置にいない。いつ裏切られるかわからないから、仲よく志之を追えないのだ。
だったら、各個撃破だ。〈クラウ・ソラス〉ならそれができる。『道』は路地以外にもある。建物を突っ切ってもいいし、建物の二階から飛び降りて襲撃してもいい。
問題は、志之が乗っているあの灰色のハウンド、〈雄風〉に同じことができるのかだ。
絵馬も、志之が所属するチームのことはよく知らない。彼と何度かチャットした限りでは資本力など皆無の会社らしい。そんなところのハウンドに、高度な機動性など――
スタジアムのスピーカーからは、実況の鳴門が気の毒そうに戦況を報告しているところだった。
そこに突然、激しい物音が割り込んだ。解説していた六条がイスを蹴飛ばして立ち上がったのだ。
《……っ!?》
スタンド席のふたりも似たような反応だった。
絵馬は目を丸くし、三鷹はポップコーンを落とす。異口同音に呆けた声を洩らす。
「えっ?」
広場で
〇
「要はさ」
志之はしばらく相手の戦力と位置を見極めた上で、全てを割り切った。プランも何もかも捨て、隠れていた本性を剥き出しに吠える。
「全員ぶっ潰せばいい!」
単純にして乱暴な攻撃。それこそが志之が思いつく唯一の打開方法であった。
開けた広場にアルマジロを誘い込むと、正面から向き直る。
相手からすれば観念したように見えなくもない動きだ。アルマジロは両腕にアサルトライフルを持つと、弾薬節約を考慮しない一斉射撃を始める。
志之は、蛇がのたうつような機動でそれを回避する。ここまでの逃避行で〈雄風〉の柔軟性は熟知できていた。このハウンドはたとえるならマッシヴなバレリーナなのだ。
相手の銃口をできるだけ左に振ったところで、下半身を踏ん張らせる。人工筋肉の膨張に合わせて、装甲が大きく膨らむ。
瞬間――
〈雄風〉の巨体は右方向へと跳躍した。人工筋肉の力をフルに作用させ、爆発的なジャンプを行う。機体は十数メートルもの距離を一瞬で移動したのだ。
「ぐ、うっ……!」
志之はシートの片側に押しつけられ、苦悶の声を上げる。内臓が骨に突き刺さったのではないかと思うほどの激痛に襲われる。
それでも必死に機体をコントロールする。
着地の瞬間、ホイールに装着されていたタイヤは弾け飛んだ。金属部が地面と摩擦し、激しい火花を散らす。
そのまま機体は滑っていく。霞む視界の中で必死にアルマジロを見失わないように耐えながらマシンガンを構える。
射撃。揺らぐ視界に、突き刺さる閃光。
しかし、志之は懸命に目を見開いた。
全く反応できていない敵にひたすら銃弾を叩き込む。
ぶれる照準の中心に敵を捉え続ける。
火花と破片が飛び散る。
油圧系統のオイルが血のように噴出する。
〈雄風〉がようやく静止した頃にはもう、アルマジロは完全にスクラップと化していた。ディスプレイの表示も消えている。撃破したのだ。
ひと息つく暇はない。
イノシシがアルマジロの向こうから突っ込んでくる。あちらもマシンガンを乱射しながらの接近だった。照準は正確ではない。はっきり言って、下手くそだ。
志之はアルマジロを遮蔽物に利用しながら、通路から広場へ出る際の死角に逃げる――と見せかけ、力の限り跳躍。
遮蔽物を乗り越えるだけのつもりだったが、〈雄風〉はハウンド一機分以上の高さを跳んでみせた。
相手がこちらの機動を読めるはずもない。突如、頭上から影が覆い被さってきたとしか思えなかっただろう。
志之は滞空中に自分が取るべき行動を閃いた。
「う、らぁっ!」
右足を伸ばし、イノシシの頭部に着地する。
つまり飛び蹴りだ。イノシシは背中から倒れて路面を滑っていった。
一方で、インパクトの瞬間、志之の体は縦方向にかち上げられる。着地の反動でペダルから足が離れかけるのを必死に踏ん張る。脳が揺さぶられ、次に取るべき行動を見失う。
が、機械は人間にできないことを独自に判断し、独自に実行してくれる。
常識外れの跳躍の後に訪れるバランスの崩壊を下半身で食い止める。人工筋肉が、フレームが、部品の接合部が、悲鳴を上げる。
数拍の思考の空白が過ぎ、志之は慌てて〈雄風〉を振り返らせる。
イノシシはアイカメラを失って、無茶苦茶に暴れ回っていた。起き上がることはできない。自機の状態を理解できていないのか、降参するつもりはないらしい。
志之はコクピットの中で咆哮を上げながら、マシンガンを槍に見立てて突撃する。
外部装甲の隙間に銃口を突っ込み、コクピットブロックの下部をゼロ距離射撃で破壊。ディスプレイからプレイヤーの表示がまたひとつ消えた。
残るはカマキリだ。
ヤツはどう来る。志之は過去の試合を必死に思い出す。こういう乱戦になったとき、カマキリは漁夫の利を得ようとする。
つまり、背後だ。
また振り返りながら、マシンガンで薙ぎ払おうとして――
弾が出ない。
弾切れだ。
〈雄風〉の視界いっぱいに、忍び寄ってきたカマキリが大きく映し出される。
敵は両腕を広げ、ナイフを展開していた。新人にトラウマを刻みつける、あるいは自分のイメージをスポンサーや観客にアピールする、とどめの一撃のつもりらしかった。
志之は臆さなかった。
振り回したマシンガンの銃身で、そのままカマキリをぶん殴る。
こちらはあちこちにガタが来ているとしても、パワー負けするとは少しも思わない。相手が近接戦を挑んでくれて、むしろ志之は感謝していた。
細く脆い敵機は一撃でぐらつき、たたらを踏む。
それを見て、志之は
まず腕の関節を狙って粉砕する。
次に頭。あっさりと彼方へと転がっていった。
それでも降伏のサインはまだ出ていない。マシンガンを投げ捨てて掴みかかる。相手の機体を引き落とし、地面に衝突させた後、背面のモーターを拳の鉄槌で潰そうとした。
そこでようやく、ブザーが鳴った。
相手の棄権だった。
ディスプレイから三つ目の表示が消え、自分の名前だけが残される。
《ゲームオーバー。ウィナー、〈雄風〉・佐伯志之》
自分の名前が何度も繰り返しアナウンスされている。
いるはずのない次の敵を探そうとしていた志之は、その声で戦闘思考から抜け出た。
勝った……のだろうか。
コクピット内にこもった熱で、頭がよく働かない。現実感がない。観客の歓声も聞こえないし。
志之は目の前が明るくなったように感じた後、急転直下、暗闇の中に体を放り出されたような錯覚に襲われる。
意識を失ったのだ。
アナウンスが響くコクピットの中で、糸の切れた人形がひとつ、
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