マシンセットアップ

 一度家に帰った志之は、競技用の荷物をまとめたバッグを背負って外出する。


 立川整工では、作業着姿の理緒がスタッフに混ざっていた。長い髪を後ろで団子にまとめている。その上から帽子を被っていた。


「いらっしゃい、志之」


「お邪魔します。はい、これな」


 志之はバッグから市松模様の包みを取り出して渡す。


「うまかったよ、ありがとう。器は洗っておいたから」


「リクエストはある?」


「……って、明日も作ってくれるのか?」


「気まぐれじゃないんだから」


 と、理緒は苦笑いで肩をすくめた。


「じゃ、ちょっとうちに置いてくる」


「準備しておく」


 そう言って、理緒は工場裏の自宅に戻り、志之は更衣室を借りて自前の運動着に着替えた。薄手のジャージだ。


 支度を終えても、まだ理緒は戻ってきていないようだった。

 その間にハウンド搭乗前点検を始める。理緒が作ったチェックだ。周りを歩きながら、整備不備などがないように確かめるのである。


〈雄風〉はマットグレーの装甲を装備している。


 頭のない人型で、鎖骨にあたる場所に一対のアイカメラが取りつけられている。

 これを志之は自動車のヘッドライトみたいだと思ったが、その印象になぞらえるなら完成型の外観はたとえるとスポーツカーのような鋭利さがある。


 ような、といっても車には様々な特徴があるわけで、志之のレーシングゲームで培った程度の印象でいえば、ヨーロッパ系よりもアメリカ系のフォルムが近いと感じる。


 照明用のライトは腰部にも存在する。こちらは赤いテールライトだ。立川は本当に車をイメージしたのかもしれない。


 割れた腹直筋を連想する合金プレートのスリットから吸気を行い、これまた広背筋に似た背部のスリットから排気を行う。コクピットブロックと装甲との間の、狭いスペースをダクトが通っている。


 現在、モーターバッテリーには電力供給ケーブルが接続されている。おかげで電気代が凄まじく跳ね上がっているらしいが、これは諸々の補助金をやりくりしてなんとかまかなっているらしい。


 相変わらずペイントの類は肩の〈雄風〉しかない。パフォーマンスが全く未知なチームに、スポンサーはつかないということだ。

 ちなみにこの文字、板金・塗装担当にして古株社員による筆だそうだ。見事なものである。


 搭乗前の点検を終え、脚立でコアに乗り込む。

 シートベルトとヘアバンド型脳波計EEGをつけた状態で、グローブにもペダルにも触れず待っていると、


「お待たせしました」


「じゃ、始めようか」


 ハウンドの正面から逸れた位置で、理緒と三十代男性社員の宇喜多うきたが話していた。


 宇喜多は温和そうな男性で、妻帯者だ。自動車整備ではコンピューター制御の調整などを請け負っているが、全く異なるプログラムを用いるハウンドのシステム面も担当してくれている。


 宇喜多と理緒はそれぞれタブレットデバイスを所持していて、宇喜多がプログラム上のエラーを、理緒がこちらのモニターを監視している。


 宇喜多が手を上げて合図を出す。


「佐伯くん、オーケーだよ!」


「了解、メインシステム起動します」


 イグニッションキーをスロットに差し込んで回す。

 背中のモーターが回り始め、コックピット内の照明が点灯した。かすかな振動が志之の座るシートにも伝わってくる。


 側面のサブディスプレイにはハウンドの状態が表示されている。

 メインシステムから四肢へと走る信号の応答確認。排気と吸気の確認。プレイヤーの脳波計。グローブとペダルの入力強度表示。


「ステータス正常、コアハッチ閉鎖」


 音声入力でハッチドアが閉まる。その後、外部装甲が連動して閉じるようになっていた。志之は完全にハウンドの体内に取り込まれる。


 メインディスプレイが投影される。ホログラムHUDが重ねられているが、今はスタジアムの競技システムと切り離されているので、表示物のほとんどがエラーを発している。

 これはむしろチェックが機能している証拠だ。


 クリアな視界の中で、宇喜多がサムズアップする。


《それじゃ手から動かしてみようか》


 外部音声も鮮明だ。耳でじかに聞くのとほぼ変わらず、ノイズも入っていない。


「了解」


《まず手を閉じて》


 志之はゆっくりとグローブに力を加えていく。

 同時に、ハウンドのマニピュレーターが閉じていく。


 単純な動作だが、宇喜多のタブレットにはプログラムの羅列が滝のように流れていることだろう。


《はい、開く》


 まるで病院で検査を受けているようだと志之は思った。グローブから力を抜く。


《親指から小指へと力を入れて》


 マニピュレーターの関節がきしきしと音を立てて蠢いているのが志之にもわかる。


《はい、小指から力を抜いて、今度は小指から握っていく》


 いきなり言われて、志之は戸惑った。先ほどよりもぎこちない動きで操作する。


《はい、親指から力を抜く》


 動作確認は今まで何度も行ってきたが、終始こんな調子だった。

 エラー潰しは地道な作業だが、とても重要だ。本番の試合中にエラーが発生したら取り返しのつかない事態になる。


 これは志之も遠隔操作機のテストで経験したことがある。どこかしらに異常がある機械を操作し、その症状や原因を突き止めるというものだ。

 だから、志之も感覚をハウンドに同調させる。人体のように、ではなく、マシンの一部となって、全体を操る。


〈雄風〉も一か月前から調整を続け、ここまで些細でも違和感を覚えない状態に仕上げられた。

 とはいえそれは静止状態での調整であって、運動時にどんなパフォーマンスを発揮するかまではわからない。何度か教習所を借りて走った程度で、万全とはいえないだろう。


 中でも不安なのは、足首の柔軟性だ。

 歩くにしろホイールで走行するにしろ、足首を傾けることで衝撃を吸収したり方向転換をしたりする。


 ここで絵馬のアドバイスふたつ目を思い出す。


『九〇度、一八〇度、三六〇度ターンはできるようにしておくといいよ』


 正面の銃撃戦から逃れるため、基本機動はマスターすべしという教えだ。


 教習所で練習してできるようになったが、そのたびに足首の負荷対策は課題となった。とりわけ人工筋肉の硬度をどう調整するかが難関だった。宇喜多は志之の両親と連絡を取り、志之にとって違和感のない反応へと磨き上げてくれたのだ。


 作業用アームに〈雄風〉を支えてもらい、足首の動作チェックを始める。

 ペダルを踏み込む角度によって、足首の傾きも変化する。逆に、足裏からかかる力によって、こちらのペダルも傾く。


 志之はまるで自分の足で地面に立っているような感覚を得ていた。


 テストも終わりに差しかかったところ、外出していた立川が帰ってきた。


《おう、やっているな。調子はどうだ》


《順調です。こちらのモニターではね》


 宇喜多はタブレットの操作を終えて、志之に手を上げる。


《テストは終わりだ。お疲れ様、佐伯くん》


「お疲れ様です」


 マシンの足がしっかり地面についていることを確かめた理緒が、腕で大きくサインをする。


「ハッチ開放。メインシステム、シャットダウン」


 外の空気がコックピット内に流れ込んでくるが、この程度なら温度差はそれほどない。循環器も何度かの改善によって快適になっている証拠だ。

 志之はハッチから足を滑らせないように細心の注意を払いつつ、理緒が持ってきてくれた脚立を降りる。


「お疲れ、志之。気になったところはある?」


「前回と比べると、足動かしたときの力がこっちに伝わるの、すごくダイレクトになった感じだ。傾いたところから戻るときにそう思った」


「それだけ衝撃が伝わっちゃうから、ちょっと不安なんだけどね。機械的にも志之的にも」


「俺はそっちのほうが好みかな。路面の状況もよくわかるし。後でちゃんとレポートに書いて提出するよ」


「うん、お願い」


 ふたりで話しているところへ、立川がやってくる。彼は上機嫌な様子で、志之の背中を軽く叩いた。


「試合の日時が決まったぞ」


 宇喜多が他の社員を呼んで集めてくる。志之と理緒と立川を中心とした輪が広がる形となった。


「いつですか?」


「今週の日曜だ」


「……急ですね」


「こいつもお前も、これ以上待つ必要はないだろう?」


 立川は自信満々だった。確かに〈雄風〉はいつでもフィールドに入れる状態だし、志之も基本的な操縦は覚えたつもりだ。


「調整はぎりぎりまで続けるとして、お前さんは試合に備えてくれ」


「と言われましても、何に備えればいいのか……」


 横から理緒が口を挟んだ。


「とりあえず競技のユニフォームが必要じゃない? まさか、その服で出るつもり?」


「まずいかな」


「まずくはないでしょうけど、多分、映像に残るわよ」


「それは問題だ。別にこのメーカーがスポンサーについてるワケじゃないしな」


「本当ならチームのスーツを用意するんでしょうけど――」


 と、彼女はしばし考えこみ、


「うちの作業着じゃダメかしら」


「まあ、それでいいかな。ここの宣伝になるし、うん、いいアイデアだ」


 志之は心から素直に称賛した。

 ところが、理緒はさして喜ぶことなく「後でサイズ聞くから」とタブレットにペンを走らせるだけだった。



 その日から一週間が経つのは早かった。


 ここまで来ても、自分がフィールドに立つことが他人事ひとごとのようだった。それでいて、試合のことは常に頭の中にある。矛盾したふたりの自分が存在しているのだ。


 どちらが本当の気持ちなのだろう。志之には判然としない。


 理緒は〈雄風〉にかかりきりのように見えて、高校での勉学にも手を抜いていない。やるべきことがはっきりしているからこその切り替えのうまさなのか。

 それが時折、うらやましく感じる。成り行きでプレイヤーになった志之にハウンドの座席はまだ居心地が悪かった。


 不安も大きくなる一方だ。本番で銃火器を扱えるのか。格闘戦になったらどうすればいいのか。本当に自分が引き受けてよかったのか。わからない。


 絵馬からは複数のアドバイスを受けたものの、通話は一度もしなかった。

 相談すればいくらか気が紛れるかもしれない。それとも迷惑だろうか。散々悩んだ挙句、彼女は忙しいだろうからと断念して、試合が決まった旨だけをメッセージで伝えることにするのだった。

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