暫定プレイヤー任命

 志之は立川整工への道を行こうとして、理緒の向かう先が別にあることに気づく。


「あれ、お前んち、あっちじゃないよな」


「動作テストするのよ。うちじゃ滅茶苦茶になるでしょ? ツテで教習場を借りてるから、そっちに来いって」


「そっちの生徒さんが困るだろ」


「もちろん、定休日よ」


「……なるほど」


 自分が心配するようなことではなかったらしい。


「しかしまあ、だったらうちの両親もこっちに帰ってくればいいのに。開発に関わってるならさ」


「他の業務で忙しいんでしょ。身内の会議とか、外向けの学会とか……私もよく知らないけど」


 そこで理緒はふと気がついたように尋ねる。


「ご飯とかちゃんと食べてるの?」


「ひとり暮らしも長いからな。さすがに慣れたよ。自炊なんてよゆーよゆー」


「その割にお昼はいつも売店じゃない?」


「弁当作るの、面倒だろ。売店のほうがレパートリー広いし……ってお前、よく見てるな」


「えっ? ま、まあね」


 などと話している間に、ふたりは教習所に着いた。


 簡素な外装を纏ったハウンドがコースに立っているものだから、ギャラリーが集まっている。

 志之の第一印象としては、人体模型だった。外装に隠しきれず露出している人工筋肉がそう思わせたのである。心なしかギャラリーも気味悪そうに見ている。


 平均的なハウンドは全高五メートル。『それ』も例に洩れず、コクピットブロックを上半身を納めているため、胸部は丸みを帯びて膨らんでいた。


 ハウンドは電気で動く。コクピットブロックはモーターとバッテリーを背負っている。

 心臓部からはケーブルが神経網のように伸びていた。センサーやカメラ、油圧系、そして人工筋肉に接続されている。


 人工筋肉は、通常のハウンドよりも分厚い束に見えた。それ自体がカーボンチューブの鎧のようだった。両親が開発した物だと、志之はひと目で見抜く。


 頭はない。コクピットブロックのすぐ上にアイカメラが設置されている。自動車のフロントライトに形が似ている。カバーを流用したのかもしれない。


 装甲はやや心許ない。普通自動車のボディに使われている鋼板だろう。ペイントは灰色。カラーリングはまだ決まっていないようだ。

 肩には『雄風ゆうふう』という白色の二文字が筆で描かれていた。このハウンドの名前だろうか。


 他には立川整工の車両運搬車が停まっていた。本来は普通自動車を積載できる場所に、ハウンド用の固定アームが取りつけられている。


 遠慮がちにコースへ入っていくと、つなぎ姿の立川が嬉々として手を大きく振った。志之たち子供と違って、年恰好はほとんど変わっていない。志之も前もって抱いていた警戒心が緩む。


「おう、志之! よく来たな!」


「どうも、おじさん。おひ――」


 お久しぶりです、と言おうとした志之の肩に、立川が腕を回してきた。


「いやあ、助かった! 操縦者を雇う金もなくってな!」


「……あの、俺、まだ引き受けてません」


征爾せいじ真里佳まりかさんには話通してあるぞ」


 征爾というのは志之の父親だ。真里佳というのが母親の名になる。

 またこのパターンか、と志之は思いっきりしかめ面を作ってしまった。


「俺に通ってないんですよ。俺はあくまで挨拶に来ただけです」


 事情が事情だ。当然、立川は志之を逃がしはしない。


「あぁ? 乗りたくならないのか? 男の夢だぞ!」


「〈ハウンド・ア・バウト〉で今一番注目されてるのは女の子なんですよ。男だからどうこうなんてなりません」


「なんだ、詳しいじゃないか。興味はあるんだろお?」


「すぐそこにスタジアムがあって、大賑わいで、ネットニュースでも大騒ぎしてるんです。いやでも耳に入ります」


「い、今なら試乗無料なんだぞ? スポーツカーより高級なシートなんだぞ?」


「……知ってますか、おじさん。若者の車離れと言われて久しい時代なんですよ?」


「そりゃ論点ずらしだ」


 立川は大真面目に指摘してから、志之と正面から向き合う。見たことがないくらい真剣な表情だった。ぱん、と両手を合わせて拝み倒してくる。


「頼む! これはチャンスなんだよ!」


「大人のチャンスを子供の俺に委ねないでください」


「お前、さっき言っただろう。〈ハウンド・ア・バウト〉で今一番注目されているのはお前と同じ年の女の子だそうだ。チャンスは俺たち大人だけのものじゃない」


 これは痛い切り返しだった。志之は「う……」と呻く。


「やれって言われて、いきなりうまくやれると思います? どう考えたって無理です。競技の訓練が必要でしょう。ギャンブルが過ぎますよ」


「俺は、お前にこれを動かしてもらうだけでいいんだ」


「……と、言いますと?」


 志之は、競技に出た上で試合に勝ち、ゲームマネーを獲得してこいと要求されているのだとばかり考えていた。


 ところが、立川の考えは違った。

 つまり、このハウンドが衆目の前で動いているだけで十分なのである。

 立川整工はハウンドを運用できる技術力があり、決して衰え古びた工場ではない。

 そのことを宣伝する目的のほうが強いのだという。


「プロのプレイヤーが乗り手に名乗り出てくれるかもしれん。そうしたら、お前は降りたって構わないんだ」


「いや、でも、素人が出場したって、壊しちゃうだけじゃないですか?」


「大丈夫だ。競技保険に入っている。破産はしない」


「だからって無傷で済むわけじゃ――」


「動確だけでもやってみてくれ。マニュアルは用意してある」


「……テストだけですからね」


「よしっ」


 志之は押しに弱かった。ましてや立川は幼い頃に父親代わりになってくれた人だった。自分をアテにしてくれているというのに、無碍むげにはできない。

 その中年男が心底安堵した表情を見せたので、志之も悪い気はしなかった。甘いだろうか。うん、かなり甘いんだろうな、と自分で思う。


 このときすでに、志之ははめられていた。


 制服の上着を理緒に預けると、脚立を使ってコクピットに乗り込む。

 シートの座り心地は快適だが、空間は窮屈だ。


 背後から伸びるアームの先に、グローブがついている。マニュアルに書いてあったとおりに手を入れる。志之の経験上、ここで指を動かすと、ハウンドのマニピュレータ―も動いてしまう。が、ロックがかかっているようだった。


 足元にフットペダル。歩行は脳波を読み取って実行するので、こちらは足裏のホイールで走行するときのアクセルとペダルだ。

 他にも下半身にかかった負荷をフィードバックする機能がある。つまり、志之が足から伝えられる情報は、今のところ、地面の硬さ、ハウンドの重さである。


 ヘアバンド型の脳波測定機EEGを使い、ハウンドに志之の思考状態をインプットしていく。この作業は立川整工の社員が小型端末を使って済ませてくれた。


 準備が終わると、脚立が外され、人や機材が離れていく。


 志之は深呼吸をすると、グローブを握り締める。それと同時にフットペダルも踏み締める。

 これがメインシステム起動のスイッチになる。


 コクピット内に明かりが灯り、ホログラムディスプレイが投影される。クロムウェルシステム社のOSロゴ。それから基本ヘッドアップディスプレイHUDが表示された。


 モーションテストの実行。

 志之がそう念じると、テストプログラムがずらっと羅列される。


 なんだか馴染みのある感覚だ。

 志之は小学生のころ、両親が関わった無人機操作の研修を受けていた。宇宙空間で稼働させる予定の作業機で、宇宙開発の早期人材開発プログラムに参加していたのである。


 そのことを思い出して、暗い気持ちを蘇らせる。

 志之はネガティブな感情を押さえつけるように、事務的に、淡々とテストプログラムをひとつひとつこなしていく。


 これが立川と両親のしかけた罠であった。

 モーションテストを完了する頃にはハウンド操縦に順応できるよう、プログラムが練られていたのである。


 落ちている物を拾い上げたり、歩行と走行を切り替えたり、基本的な操作に慣れた頃にはもう、志之はこのハウンドの四肢に同調できていた。

 教習所のコースを何周だってできた。多少の障害物があっても、ひょいと足をずらす感覚で通り抜けられる。


 志之は、これは自分のセンスとかじゃないな、と感じた。ハウンドの動作が外見に反して軽いのだ。


 すべてのチェックが終わり、元の位置に戻った志之はハッチを開放する。


 手足にロックをかけたことを確認した後、作業員たちが脚立を運んでくる。待っている間、無意識にシャツを掴んで、風を送り込んだ。

 そこではたと気づく。汗だくだ。空調をもっと利かせてもらわないとならない。スポーツドリンクも必要だ。それは無人機の操作では体験しえない、搭乗者の苦労であった。


 ハウンドから降りると、周囲が騒がしいように感じた。

 大喜びの立川だけではない。半信半疑で作業していた社員も、訝しげだったギャラリーたちも、大はしゃぎだったのだ。


 不思議な気持ちだ。

 その中心に、自分がいるのだから。


 ぼうっと立っていると、理緒がペットボトルを渡してきた。教習所の自販機で買ってきたらしい、よく冷えたドリンクだった。


「さんきゅー、理緒」


「お疲れ、志之。どんな感じだった?」


「んー……」


 志之はひと口、水分補給を済ませてから尋ねる。


「あれの名前、〈雄風〉っていうのか?」


「そうよ」


 突飛な質問に、返答に一瞬の間があった。志之は首をかしげる。


「誰のネーミングなんだ?」


「何よ、悪い?」


「いんや、合ってるってフィーリングがした。見た目重そうなのに、すいすい動くんだな」


「……ふーん」


「理緒が考えたんだな」


 彼女は答えない。


 志之はハウンドをじっと見上げて、ぽつりと呟いた。


「いいじゃないか、〈雄風〉」

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