幼馴染リアプローチ

 そもそもの話。


 志之が〈ハウンド・ア・バウト〉の世界に引き入れられたのは、学年末試験を無事に終えた後の頃だった。終業式まで授業も午前中に終わる。そんな日の放課後のことである。


「ねえ」


「ん……うお」


 帰り支度をしているところ、女子に声をかけられた。

 しかもそれが別のクラスに在籍している理緒であると気がつくと、志之は驚きを隠せなかった。まともに顔を合わせるのも久しぶりのように思えた。


 そんな志之が「どうした」と尋ねると、


「突然だけど話があるの」


「なんだ?」


「ここじゃちょっと……ふたりきりで話したいから、歩きながらでいいかしら」


 この言葉を偶然にも聞いてしまった周囲のクラスメイトたちが身構えるのを、志之は確かに感じた。志之自身もある種の可能性が頭によぎった。高校一年の締めくくり、周囲ではムーブメントが起きていたから浮かんだ考えだった。


「あ、ああ、いいぞ」


 頷いてから、友人と駅前まで遠出する予定だったことを思い出す。

 が、断りを入れる必要はなかった。友人は事の成り行きを見守っていた。うざったらしい爽やかな笑みで親指を立てている。まあ、後日ジャンクフードを奢るとしよう。


 志之が『すまん』のジェスチャーをしているうちに、理緒はさっさと教室を出ていってしまった。慌てて鞄を掴んで彼女を追いかける。


 昇降口を出たところでようやく、志之は、本当に自分が考えているような話だろうか、と疑い始めた。


 中学から疎遠になったとはいえ、ふたりは幼馴染だ。こんな浮かれたイベントが発生する予兆なんてあっただろうか。いや、ない。


 志之と理緒が出会ったきっかけは、両親同士の付き合いからだった。志之の親は何かと家を留守にしがちだったので、立川家に預けられていたのである。


 幼馴染、というのが正確な表現だが、志之にとって理緒は従妹いとこのような存在だった。


 理緒は先行して歩くが、一向に黙ったままである。


 息苦しさを覚えた志之は、核心に触れないよう、慎重に距離を詰めようと試みる。


「久しぶりだな」


「ん、そうね。最近どう?」


「どうって訊かれても……って感じだな。普通」


「ま、そりゃそうよね」


 理緒の口調は以前と変わっていた。志之の知っている理緒はもっとおどおどしていて、誰かの後ろにいるような少女だった。

 それがどうだ。毅然として、知的で、志之より大人っぽいではないか。


 志之は間違いなく共通の話題だろう、学校生活について話を振る。


「試験はどうだった? なんか掲示板に名前張り出されてるの見たけど」


「ま、あんなもんじゃない?」


 当然『なんか』とは良成績者のランキングだった。志之は個人の晒し上げなのではないかと思うのだが、学校側としてはこの生徒を見習えという意図があるのだろうとも理解している。後は生徒の達成感を満たせる、とかか。


 理緒は口では謙遜しているものの、わずかに強張っていた頬を綻ばせていた。


「志之はどうだったの?」


 目を逸らす。


「うん、なんとなくわかった。赤点じゃないでしょうね」


「いや、それはない」


「赤点だったらこれからの話はなしになっちゃうところだったわ」


 やはり、浮かれた話ではないようだ。

 志之は内心、安堵した。何に対して安心したのかはわからないが。


「どう勉強してるんだ? 家じゃ忙しいだろ」


「試験の範囲を問題集で復習してるだけ。それが精一杯」


「……じゃあ、俺がすべきはまず授業をちゃんと聞くことだな」


「えっ、そこから!?」


 理緒は大げさに驚いてみせてから、くすっと微笑んだ。


 よかった。志之はふたりの間に流れる空気が急に暖かいものに変わったと感じた。小学生の無邪気さはなくなって、いくらか適切で穏やかな距離感である。


「おじさんは元気か? ずっと会ってない気がするな」


「えっと……」


 理緒はまばたきをして、


「おじ様とおば様から聞いてないの?」


「なんでうちの話に?」


「呆れた。全然話を通してないじゃない」


 ため息とともに額を押さえた。


 志之はうっすらと『話』とやらに両親が関係していることを推測した。あのふたりは立川と何かをしていて、その何かに志之を関わらせようとしているのか。いやな予感がする。


 理緒は「一から話しましょ。私の知っている限りのね」と肩を竦めた。


 まず、立川は元気ではなかった。彼が経営する整備工場の経営が傾きかけているのだという。


 扱っているのは自家用車の他に工事車両。新臨海区が開発中だった頃は顧客が多く、経営も順風満帆だった。


 しかし最近は工事も少なくなり、高級車を乗り回す住民層が増え、となると薄汚れた整備工場ではなく立派なガレージを持つ整備業者のほうが利用されやすいわけで、志之の知る立川整工の現状ができたのだった。


 このままでは廃業せざるを得ない立川のもとに、こんな話が舞い込む。


『人工筋肉の実動データを取りたい。〈ハウンド・ア・バウト〉のスタジアムがそっちにあったよな?』


 話を持ってきたのは立川の親友だった。

 大学でパワーアシストスーツを開発している研究者で、機体の試作はもう終わっているのだという。

 後は装甲の取りつけと、搭乗者の採用だけ。


 立川は仕上げを請け負うと同時に、搭乗者の心当たりがあると申し出た。


「あの、まさか、おじさんの友達って佐伯とかいう苗字で、心当たりってのは俺じゃないよな?」


「私は志之を連れてくるようにって言われただけなんだから」


 理緒が先回りして弁解した。警戒気味なのは、こちらの不機嫌を察知したからだろう。


 志之は手を上げ、


「むかっとしたのは、父さんと母さんにだよ」


 どちらかといえば自分自身をなだめるように答えた。


 どうして〈ハウンド・ア・バウト〉なのだろう。志之はネットで流し見している映像を思い出す。


 ロボットが銃火器で撃ち合う野蛮な競技だ。

 父親たちがパワーアシストスーツを研究するのは、兵器利用のためではない。天災や戦災の復興事業に役立てるための技術を理想としていたのではないか。


 高校に入ってからはほとんどひとり暮らし状態で、両親の今現在については何も知らない。興味もない。


 しかし、そんな志之を置いてけぼりに、話は進んでいた。


 今さら『話なんて聞きたくない』とも言い出しにくいし――理緒には間違いなく嫌われるだろうし――おじさんもがっかりするだろうし――


 葛藤をて、志之はしぶしぶ頷いた。


「ま、ちょっと挨拶していくだけならいっか」


「よかった」


 理緒が疲れた様子で微笑む。社会に擦れた大人みたいだった。

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