競技運営委員長

 さて、繰り返しになるが、これから会うのはCS社の中枢にする者だ。小市民である立川がプレッシャーを感じるのも無理はない。

 そんなとき廊下の奥から現れた美女には、別の意味で心臓を鷲掴みにされたことだろう。


 金髪を首の後ろで結った白人女性である。背が高く、スーツの上からでもスタイルがいいと分かった。

 志之の目には二十代前半の若さに映った。穏やかな微笑はこちらの緊張をすっと融かしてくれる。冷ややかな廊下が一気に華やかな雰囲気に変わった。


 彼女は三人にさりげなく目を配り、


「立川自動車整備工場様、ですね」


 こちらの身分を確かめた。


 立川はあれほど気構えていたのに、「や、これはどうも」と普段の調子で頭を下げてしまう。


「ええと、ワタシが責任者の立川徹です。こっちはウチのスタッフとプレイヤーでして」


「ずいぶん若いチームなのですね」


 決して侮蔑の含みなどない、純粋な感想のようだ。絵馬・ルゼットのような人間が現れたのだから、何も不思議ではないのだろう。

 自分があっさりと受け入れられる環境に、志之は内心、戸惑いを隠せなかった。


「こちらへどうぞ。会長がお待ちしております」


 彼女は立ち話もそこそこに、三人をフロアの先へと導いた。

 奥の一室を女性がノックすると、


「やあ、ようこそ〈ハウンド・ア・バウト〉の世界へ!」


 いきなり陽気な挨拶とともに金髪オールバックの男性が飛び出てきた。


「さあさあ入ってください。委員会はあなた方のようなチャレンジャーを歓迎しますよ」


 志之は、女性がドアノブに伸ばした手で虚空を掴むところを見逃さなかった。視線に気づかれたか、彼女は苦笑いを浮かべる。志之はというと、どんな表情をすれば失礼にならないのかわからなかった。


 とにもかくにも、男性は派手だった。白いスーツを着こなす人間というものを、志之は初めて目にした。目には自信が満ち溢れている。


 事前に調べたところによると立川と同じ四十代後半とのことだが、どう見ても三十代前半の若々しさだった。芝居がかった言い回しもそうだが、テンションが高い。


 男性は軽く一礼してみせる。


「私の名はロベルト・クロムウェル。以後お見知りおきを」


 そう言って三人に握手を求めだす男性だったが、『お見知りおき』も何も、世界的有名人の顔と名前が一致しないなんてあるはずがない。


 競技運営委員会会長ロベルト・クロムウェル。彼はCS社の『分家』でありつつも、『本家』の重大な決定には一枚噛むほどの政治力を有している。


 基本的には道楽人で、ここ最近は世界中のスタジアムで行われている競技を鑑賞して回っているらしい。

 今回はたまたまスケジュールが合ったということで、立川とプレイヤーにぜひ会いたいと誘われたのだ。


 こちら側の自己紹介を終えると、クロムウェルからソファを勧められる。

 革張りのソファは恐らく高級品なのだろうが、残念ながら志之には安物との違いがわからなかった。


 自らも対面のソファに腰を落ち着かせたクロムウェルは、そこで初めて案内をした女性に笑みを向けた。


「そうそう、みなさんをこちらへ案内したのは娘のアイリスです」


 立川が慌てて立ち上がり、


「あ、これはこれは!」


 頭を下げるが、当のアイリスは自分がクロムウェル家に連なる者だと誇示するつもりはないらしかった。どうもどうも、と礼を返してから父親に笑顔で釘を刺す。


「あの、会長?」


「いいじゃないか。名前と顔を覚えてもらうのは大切な仕事だよ。我々の事業はそうやって成長してきた。看板を掲げれば相手が寄ってくるわけじゃない。あなたもそう思うでしょう、立川さん」


 急に話題を振られるも、そこはさすがの大人、立川は真面目な表情で頷いた。


「ワタシも工場こうばを始めたての頃は小さな仕事を受けていましたね。無名の整備なんて信用ありませんからな」


「そういうことです。娘にはこうして多くの人と出会い、学んでもらいたいのです」


「ははあ、なるほど。ワタシと娘も見習わねばですな」


 志之は理緒に『だってさ』という視線を送る。理緒からは『うるさい』という目が返ってきた。


 脱線気味の哲学談義を取り止めさせたのは、秘書のアイリスだ。資料をダウンロードしたタブレットデバイスをさっとクロムウェルの前に差し出す。プラスチック板のような見た目にマイクロチップが埋め込まれていて、薄型コンピューターとして機能する端末だ。


「おっと、失礼。競技参加の件でしたね」


「審査はもう通過しているはずですが……」


「ええ、そう。もちろん。今日お越しくださったのは、折角だから新しい挑戦者の顔を拝見したかったからですよ、いち競技ファンとしてね」


 クロムウェルはにっと笑った。『一競技ファン』とは言ったが、まるで鷹に睨まれているようだった。志之は相手の目を見てそう思った。


「参加の経緯を聞いておきたい。というのも、あなた方のハウンド、〈雄風ゆうふう〉の審査結果を見る限り、こう言ってはなんだが、整備工場が所有できるようなスペックではない。生体工学の最先端が投入されている。この人工筋肉はどこから入手したのかな」


 何度も説明してきたからだろうか、立川は物じせずに答える。


「友人が研究者をやっていまして。実動データが欲しいということで、今回の話になったんです。まあ、それをハウンドに使おうというのは、ワタシの趣味ですが」


「ふむ。きみ――」


 と、クロムウェルの目が志之のほうに向いた。


「佐伯志之くん、だね。プレイヤーの」


「はい」


「もしかしてご両親は、あの佐伯教授夫妻?」


「ご存知ですか」


「著名人だよ。私以上にね」


 クロムウェルに苦笑されてしまった。これは芝居ではない、ナチュラルな反応だ。


 無論、志之とて両親の偉大さを知っている。

 人工筋肉はハウンドの駆動部に利用されているのみではない。


 そもそもの話、筋肉は神経信号を受けて収縮と弛緩を行う。人工筋肉はというと、広義には油圧・空気圧を用いた駆動部のことを指す。


 ただし現代で最も普及しているのは、カーボンの繊維を使った疑似的な筋肉だ。これは生体同様、電気信号を受けて活動する。軽量、省電力、ハイパワーと三拍子揃った技術である。


 特に活用されている場面は、軍の装備、医療機器、工事現場だ。要するに『重い物を持つ』パワードスーツで重宝されているのである。


 志之の両親はさらなる改良を目指し、今は海外の研究所に出向していた。


 クロムウェルは鷹の目で志之を観察してくる。


「若くしてプレイヤーに選ばれた理由は、ご縁かな?」


「研究者の子供だからって選ばれる理由にはならないでしょう。俺が知ってる理由は俺が動かせるからってだけです」


「では、希望したワケじゃない?」


「ダメなんですか?」


「別に。咎める者はいないだろう。誰もね」


 志之は目の前の男に煽られているのではないかという疑念を抱いた。動機がなければ参加してはならないと言われているようだった。端的に言うとムカついた。


 しかし、表面上は『何も感じていない』という風を装って、志之は笑みを浮かべた。


「絵馬・ルゼットは特別なモチベーションがあるから強いんですか?」


「インタビューでは『試合で活躍することが楽しい』と答えているようだね」


「なら、俺もその楽しさを見つけたいと思いますよ。本職のプレイヤーが見つかるまでには、きっと」


 志之の受け答えに、立川と理緒ははらはらと見守っている。


 一方、クロムウェルは破顔した。気に入られたというよりは、ずる賢い子供と思われた、のほうが正解だろう。


「そういえば佐伯くんもルゼットくんと同じ十六歳だね」


「唯一の共通点ですね」


「さてどうかな。きみに素質があるとしたら、チームは正プレイヤーよりもコーチを見つけるべきだと思うね。そうしたらルゼットくんとの若手対決が実現する。これは楽しい試合になるよ」


「……そういうのは、俺の目的じゃありません」


「では、ひとつアドバイスしよう。チームを延命させたいなら、機体を大破させずに負けるというのもテクニックだ。無理が祟って再起不能になったチームをいくつも見てきた。まあ、その点、佐伯くんのクレバーさは活きるかもしれない」


 これも、褒められているのかけなされているのか、志之にはわからなかった。一応は期待されているらしいので、なんとも複雑である。

 とはいえ、確かに重要な助言だ。志之の役割はまさにチームの延命だった。素直に頭を下げる。


「ありがとうございます。肝に銘じておきます」


「うん、がんばりたまえ」


 クロムウェルは続いて立川との会話を始めた。

 話題は当然、ハウンドのことだ。どういうコンセプトで設計されたものなのか、強みはなんなのか、マシンの名前の由来は、といったことを話していた。


 骨格と人工筋肉は志之の両親が開発した物と聞いている。立川はその他の部分を担当していて、外装甲のデザインはなんと彼によるものだった。

 立川の意外な才能について盛り上がっていたところで、クロムウェルはデバイスウォッチを気にした。


「おっと、すまない。そろそろ移動しなければならない時間みたいだ。立川さん、わざわざ足を運んでもらってありがとうございました」


「いえ、こちらこそお忙しいところ、ご面会いただき感謝します」


 立川は相手が腰を持ち上げるのに合わせて席を立つ。理緒が続き、志之はワンテンポ遅れる。


「アイリスに施設を案内させます。健闘を祈っていますよ」


 と、クロムウェルは最後までにこやかな笑みを維持していた。

 去り際、志之は軽く肩を叩かれる。あの会話はそこまで親密になれるようなものだっただろうか。相手の意図がわからず、ただ戸惑うしかない。

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