ニュービーの憂鬱

 観客たちが案内に従って席を立つ中、理緒が志之を覗き込んだ。


「見た? 今の」


「ああ、すごかったな」


 ふたりして溜息をつく。競技ファンですら衝撃を受けた試合なのだ。ふたりには刺激が強すぎた。


 防爆ガラスを挟んだすぐ向こうで起きている銃撃戦。駆け回るハウンド。窮地と逆転。


 初めて生観戦したのがこの試合で、ふたりは幸運であり、ある意味では不幸でもあった。これが〈ハウンド・ア・バウト〉なのだと脳に焼きつけてしまったのだ。


 理緒はうっとりと余熱に感じ入ってから、はっと表情を引き締めた。


「本当に大丈夫かしら……」


「何が?」


「あんたのことよ」


 反応の鈍い志之に、理緒はますます不安をつのらせたようだ。


「志之もプレイヤーになるのよ! あの中に入ってくのよ!?」


「そうだなあ。俺にはあんな動きできそうにないもんなあ」


「……呑気ね」


「本番になったらなんとかなるさ。多分」


「もうちょっと頼もしいコメントが欲しいところだけど?」


 理緒は呆れ返ったようだった。


 そう、自分もプレイヤーになろうというのだ。成り行きのこととはいえ、志之にはまるで実感がなかった。周囲がお前にしか頼めないと言うから、そうなったというだけの話である。


 だから、できるかできないか、ではない。

 やるのだ。消極的であっても。


 一見すると無気力な志之の表情に、理緒は目を伏せた。


「ねえ、まだ間に合うけど、どうする? やめてもいいんだから」


「俺がやめたらおじさんも理緒も困るだろ。大丈夫、心配すんなって」


 ふたりは視線を交わさずに言葉だけをやり取りする。先ほどまでの浮かれ気分はすっかり消えてしまっていた。


 スタンド席は渋滞が起きていたが、今はもう解消されつつある。満員が一斉に帰るとなったら、交通整理のスタッフは右往左往していることだろう。それでも混乱が起きていないということは、ある程度のマニュアルができているに違いない。


 そろそろ、楽にエントランス・フロアまで戻れるはずだ。


「行くか」


「うん」


 ふたりは席を立ち、人の川の流れに乗った。


 屋内通路を歩いていた志之は、鏡面仕上げの柱に冴えない顔が歪んで映り込んでいることに気がついた。

 自分だ。短い髪に、覇気のない目。見ようによっては睨んでいると思われるかもしれない。


 目を逸らすように、右手首にはめたウォッチデバイスを持ち上げる。宇宙飛行士がステーション滞在中に着用していたことで一躍有名になったモデルだ。


「わざわざチケットまで送ってくれて、試合終了後に面会だなんて、ずいぶん太っ腹な会長さんなんだな」


「先方も試合を観戦してるって話よ」


「なんだ。じゃあ、おじさんも一緒に来ればよかったのにな」


 呟いた途端、急に理緒の目が厳しくなった。じっと志之を見つめ、それからタイルに視線を落とし、最終的には諦めたかのように肩の力を抜いた。


「まあ、そんなもんよね」


「え、何がだ?」


「なんでもない」


 どうして今の言葉でがっかりさせてしまったのだろうか。志之は混乱する。


 エントランス・フロアにはまだ大勢の観客が残っていた。先ほどの試合の熱が冷めないらしく、大声で語り合っている者、携帯端末を弄っている者、物販の残り物を漁っている者。大勢が入り乱れて、待ち合わせの場所がわからなくなってしまう。


 そこはさすが理緒だった。


「こっちよ」


 志之の手を取った理緒は、エントランス・フロアを突っ切る。

 昔はこちらが相手を引っ張る側だったのに、今はすっかり立場が逆転してしまっているとなんとも複雑な気分になる。理緒が自分より大人に見えた。


『立ち入り禁止』のホログラムが掲げられているエリアには、スーツ姿の中年男性がふたりを待っていた。

 短く刈り上げた髪に、黒く日焼けした肌。いつもは四角い顎に無精髭を生やしたまま作業着姿で仕事をしている彼だが、今日ばかりは身だしなみを整えている。


 彼はこちらを見つけるなり、雰囲気から何を察したか、苦笑いを浮かべた。


「お前ら、俺がせっかく気を利かせてやったんだからなあ」


 含みのある言葉に、理緒は志之の手を離した。


「いらないこと言わないで、お父さん」


「ふふん、これから会長さんに会うんだから少しは愛想よくしろよ」


「ご心配なく」


 にこっと完璧な微笑を作ってみせた理緒に、男、立川とおるは「お、おう」とたじろいだ。この親子、娘のほうが強いのだった。


 当の立川はというと、緊張の度合いを強めて警備員にゲストパスを提示する。その態度が却って怪しく見えたか、心なしかパスを慎重に確認されているようだった。


 理緒は志之のほうを見て、黙って肩をすくめる。


 ようやく開かれた扉の向こうから、冷房の風が押し出されてくる。

 一般人には見せることのないスタジアムのオフィスだ。競技の事務処理だけでなく、VIPの特等席や実況席もこちらの区画から通じている。


 扉が閉ざされると、エントランス・フロアの喧騒がシャットアウトされる。


「ううむ、こういう空気は慣れんな」


「しっかりしてよ。お父さんがチームオーナーなんだから」


 などと親子で囁き合っているが、立川が硬くなるのも当然だった。


 面会予定の『会長』とは、競技運営委員会会長、つまり主幹運営企業であるクロムウェルシステム社の重要人物なのである。


 ソフトウェア企業としてスタートしたCS社は次第に勢力図を伸ばし、今ではハードウェアの開発にも携わるようになっている。特に映像技術において強い開発能力を有していて、鮮明なホログラムの新型投影機はCS社の特許だった。


 もう少し言及すると、ここは太平洋側の埋立地である。

 CS社は開発計画に初期から参加したついでに土地を確保し、映像技術を惜しみなく投入できる新世代型競技場を建設した。


 それがここ、〈新臨海区クロムウェル・スタジアム〉だ。


 先ほど行われていた競技は〈ハウンド・ア・バウト〉である。


 ハウンド・アンド・バウト。『猟犬と勝負』。

 アングラだったロボット格闘技は、今や世界的競技に成長した。ハウンドのファン、プレイヤーのファン、周辺関係者のファン、あるいは単に銃撃と破壊のファンに支えられ、ショーに昇華したのだ。


 CS社は、やはり競技にも早期から関わっていた。ハウンドのコクピットブロックも銃火器も、CS社によって用意されるものなのである。

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