神像は寝て、心臓跳ねて

 そして、現在。

 志之たち三人はスタジアムを訪れ、アイリスの案内を受けていたのだった。


 彼女に招待されたのは、参加チーム用の設備だ。一般客が使うエントランスとは正反対にある、フィールドに隣接した場所である。


「駐車場とガレージです。車は使用するガレージの前に優先的に駐車するようにしてください。撤収時は次に使用するチームの邪魔にならないよう、速やかにお願いします」


 今日は二機のハウンドが戦う形式だったが、普段は四機ものハウンドが交戦する形式の試合を行っている。それが一日に数試合。混雑はするが、駐車できなくなるほど限られた広さではない。


 今はブリギッド・モーターのハウンド運搬用トレーラーが停まっているだけで、ユーウェイン重工の車は見当たらなかった。ハウンドを壊されたので、先に本拠地に戻ったのだろう。


 アイリスは空いているガレージに三人を誘った。


「整備に必要な機材はこちらにも揃っているはずです。念のため確認してください」


「おお、太っ腹ですな」


 立川は興味津々と目を輝かせ、ハウンドを固定するアームや機体を起こすリフト、フィールドへ送り込むエレベーターを携帯端末で写真に撮る。


 理緒もデバイスウォッチを使って、ガレージの見取り図を作成し始める。リストを作っているのは、搬入手順だろうか。


 驚くことに、理緒もチームスタッフのひとりだった。今は整備工場のアルバイト扱いで仕事を始めていて、難しい作業も手伝っているのだという。


 さて、こうなると志之は退屈だった。

 立川親子の相談は専門用語が多くて理解できない。アイリスは当日の流れについて質問を受けている。

 適当にぶらついてこよう。そう考えた志之は、


「ちょっと外に出てきます」


 と言い残して、ガレージを出た。

 かといって外に面白いものがあるわけでもなく――

 ふと、目がブリギット・モーターのチームトレーラーに留まる。


「…………」


 そこには先ほどの熱狂がまだ尾を引いて残っているように感じた。


 ガレージから〈クラウ・ソラス〉が運び出されている。縦横無尽にフィールドを駆け巡っていたハウンドがチームトレーラーに横たえられて格納される。


 戦闘で受けた小さな傷には、テープでマーキングされていた。観客席からはまったくわからなかったが、白銀の装甲は無数の損傷を受けていた。


 その姿は古代遺跡の神像のようだ。発掘現場にでも紛れ込んでしまったか。そう形容できるオーラが、美しさが、このハウンドにはあった。


 志之は呆然と立ち尽くす。

 近くにいるのに、手を伸ばせられない、存在感。


 と、背後から、


「ここ、立ち入り禁止だよ」


「おわっ、す、すみま……」


 咎めた人物に謝ろうとして、さらなる衝撃に見舞われる。


 目の前に美少女が立っていた。

 見間違えようがない。対爆ガラスのホログラムモニターにでかでかと映っていた、あの少女が等身大となってここにいる。


 絵馬・ルゼット。

 トッププレイヤー。


 競技スーツはすでに着替えた後だった。パンツスタイルの私服で、それはそれで爽やかな少女という印象である。

 静止した映像と異なり、彼女は呼吸をしていた。引き締まった体つきで、日に焼けていない白い肌が眩しい。


 手にはストローの刺さったペットボトルを握っていた。スポーツ飲料だ。彼女はCMに出ている会社の商品だと、このときの志之は思い出すことができない。

 それよりも、目の色は琥珀色なんだな、ということばかり考えてしまう。人の瞳の色なんてものを気にしたのは、生まれて初めてだった。


「あの? 聞いてる?」


 絵馬はさらに近づいてきた。志之よりも頭ひとつ分、背が低い。


 我に返った志之は、彼女に近づかれた分だけ後ずさり、さっき言いかけた言葉を改める。


「すみません。盗み見してたワケじゃなくって……たまたまっていうか……」


「危ないからダメだよ、近づいちゃ」


「もちろん、ええ、もちろん」


 本当に危ない。志之だって恋心を持たないことはない。いや、恋とは違うトキメキなのだけれど、絵馬はちょっと見たことがないくらいに可憐だった。


 丸きり不審者な志之に、絵馬は首をかしげる。


「警備員さん、呼んでこよっかなー」


 それは大いにまずい。志之は首から下げている許可証を慌てて提示する。


「俺、見学中なんです。今度からここに出入りするんで、その下見に」


「なあんだ、それなら問題ないね。ごめんごめん」


 彼女は警戒をあっさり解いて、笑顔で手を差し出した。


「これも何かの縁ってことで、あたし、絵馬・ルゼット! よろしくね」


 握手、だろうか。

 志之は恐る恐る応じながら、ぎこちなく笑みを作る。


「知ってます。試合、いつも観てます。俺、佐伯志之っていいます」


 嘘ではない。彼女はデビュー以来、試合のひとつひとつがニュースになっている。

 こんな何万回聞いたであろうつまらない社交辞令でも、絵馬ははにかんでくれた。


「ありがと。佐伯さんはメカニックの人?」


「いえ、一応、プレイヤーです」


 それを聞くなり、絵馬は目を輝かせ、また近づいてきた。


「ホントに!? ようこそ、〈ハウンド・ア・バウト〉の世界に!」


「……それ、さっき、委員長さんにも言われました」


「うん、あたしもロベルトおじさんに言われた」


 あの男性をおじさん呼びとは、実は親戚だったりするのだろうか――と想像したのはほんの一瞬で、志之はすぐに彼女の距離感がおかしいのだと理解する。握手した手をまだ離してくれない。


「すごく若いよね。大学生の人?」


 誉め言葉か? 真剣に悩む。


「……今年から高二です」


「じゃ、あたしと同い年じゃん! いやあ、ついに同世代ライバルの登場かあ」


「それは……どうでしょう」


「ね、『志之くん』って呼んでもいいかな」


「……どうぞ」


 そう呼ばれる機会なんてほとんどないだろうが。内心ぼやく志之に、絵馬はやや不満げな顔をする。


「志之くんって、普段から敬語の人?」


「ルゼットさんは先輩で、他社のプレイヤーさんでしょう?」


「横の繋がり横の繋がり。もっと気楽にさ。敬語なしでいこっ」


 そこまで頼まれて、なおも拒んだら、自分がいやなやつみたいだ。志之はゆっくりと肩の力を抜く。目の前の人物を特別視しないように努める。


「わかったよ、これでいいかな、ルゼットさん」


「まだ何か足りないなあ」


「何かって?」


「あたしはきみを志之くんって呼ぶわけでさ。ね?」


「絵馬さん」


「『さん』?」


「……絵馬」


「うん、ばっちり!」


 大層ご満足いただけたようで、絵馬は腕を強く振ると、ようやく握手を解いてくれた。


 すごく苦手だ。情けない話だが、志之は美少女と時間を過ごすだけで、疲労感を覚える人間であった。

 まともに頭が回らない。受け答えしている自分が別の人間のようにさえ感じる。考えるより先に言葉を発している状態である。

 ボロを出していないのが奇跡的だった。


 だというのに、絵馬はお構いなしだ。


「志之くんってどこのチームに所属してるの? どっかの養成所出?」


「チームと言っても……多分、絵馬はわからないんじゃないか。立川整備工場っていうローカルな会社……それも人が少ないところだからさ」


「あ、うん」


 絵馬は気まずそうに頷いた。当然の反応だった。


「俺は作業機の遠隔操縦経験があるってだけで、有人機はまったく。ハウンドをとりあえず動かせるってことで、プレイヤーにさせられたんだ」


「じゃ、そんなに訓練してないの?」


「そんなにどころかぶっつけ本番。そういう練習場は大きいチームじゃないと持ってないだろ。だからまあ……あっという間に消えるってこともある。できれば正式なプレイヤーが誰か契約してくれるまで生き残りたいけどな」


「あは、なんていうか、がんばって」


 励まされてしまった。本人を前に自分で言葉にすると、自分と彼女は全然違う人間なのだと痛感してしまう。志之は自虐の笑みを浮かべる。


「ところで養成所なんてあるのか? プレイヤーの?」


「うん。海外に本拠地があるところは、大体。うちも持ってるよ」


「じゃあ、絵馬はそこで訓練したのか」


「あたしは、最初はジュニアのモーターレースのほうにいた期間が長いかな」


「ジュニア?」


 サーキットのような私道で行われるモータースポーツの場合、車を走らせるのに運転免許証は必要ない。走らせ方さえわかれば、子供でも走ることができる――という知識は志之にもあった。


 意外に思ったのは、


「そっちをやってたなんて、初めて聞いたな」


「うん、あんまり話したことないし」


 ということだった。


「速く走れる子は他にたくさんいたの。結果を出せない子なんて、誰も注目しないでしょ? あたしはたまたま、こっちをやってみたらうまくいったってだけ」


 短い時間の会話で形成されたイメージとは裏腹に、彼女はとてもシビアな感性の持ち主だった。志之は、驚いて言葉を失う。


 絵馬は、なんてことはない、という自然体のままで続けた。


「ってゆーかさ、正プレイヤーが見つかるまでやれるんだったら、志之くんがそのままなっちゃえばいいのに」


「あまり乗り気じゃない。この競技のことも全然知らないし」


「ふーん……」


 絵馬は志之の隣に並び、〈クラウ・ソラス〉を眺める。


「その割には、真剣に見てたみたいだけど」


「怖いハウンドだなって思っただけだ」


「怖い?」


「上で見るのと間近で見るのとじゃ、印象が違う。こんなのにいきなり飛びかかられたら、俺だったら反応できなさそうだ。立ちすくんでるところをざくり。試合終了だろうってところまで、簡単に想像できる」


「その想像って」


 絵馬はいたずらっぽく『にいっ』と笑った。


「あたしと戦うイメトレしてたってことだよね。乗り気ばりばりじゃん」


「――いや、なんとなくだよ、なんとなく。妄想のレベルだ」


 嘘だった。志之は鮮明に〈雄風〉で〈クラウ・ソラス〉を迎撃している光景を思い描いていた。


 絵馬は楽しげに人差し指を立てる。


「じゃ、妄想が現実になるよーに、先輩からアドバイスをあげましょー」


「……さっき、先輩とかはなしって言ってたよな?」


「臨機応変、火もまた涼し」


「……意味わかってないだろ? 言葉を間違えてる」


「いーからいーから」


 どこまでも自由なスタイルの絵馬が「ひとつ」と言いかけたときだった。


「絵馬さーん! 撤収ですよー!」


 ブリギッド・モーターのスタッフの声だった。絵馬はびくっと体を震わせると、声の主を探し出して、おずおずと手を挙げる。


「あっ、はーい! すぐ行きまーす!」


 それから申し訳なさそうに目を伏せる。


「ごめんね、結構長くなっちゃうから……」


「いいさ、またの機会があれば、そのときにでも」


「うーん……じゃさ、チャッキーやってる?」


 サルがマスコットのチャットアプリだ。他にも通話機能やファイル交換機能などが揃っているので、大抵の人はデバイスウォッチにインストールしている。


「ああ、やってるけど……って?」


「フレ登録しよ。そっちで話すね」


 これはなかなか大変な状況だな、と志之は思った。

 古今、アイドルと連絡先を交換することがあれば、界隈で大騒ぎになる。バレれば炎上待ったなし。墓まで持っていかねばならない秘密だ。


 と、勝手に神聖視しているだけで、当の彼女は別段気にしていない。もうアプリを立ち上げている。


「志之くんのナンバーは?」


「あー……」


 ナンバーは十六進数の十三桁。しっかり覚えているユーザーが多く、志之は少数派であった。慌てて自分の登録番号を確認し、彼女に伝える。


「オッケー。はい、申請」


「ああ、受け取ったよ」


「じゃ、後でメッセ送るから――」


 と、今度は志之が来たほうから声をかけられる。


「……志之?」


 理緒だった。志之はガレージから立川とアイリスが出てくるのを見つける。下見が終わったらしい。


 絵馬は、志之と理緒を交互に見て、また意地の悪そうな笑みを浮かべてみせるのだった。


「なになに? 志之くんの彼女?」


「違う」「違います」


 志之と理緒の息の合った否定に、むしろ絵馬は驚いたようだった。


 志之は理緒を招いて隣に立たせる。


「俺のハウンドを整備してくれる、メカニックの立川理緒だ。ちなみに同い年。理緒、こちらは――」


「絵馬・ルゼットさん?」


 理緒も当然のようにひと目でわかったようだ。やや緊張しているのがわかった。

 絵馬は例によって親密に距離を詰める。


「よろしくね。理緒ちゃんって呼んでいい?」


「え? ええ……いいですけど」


「いっぱいお話したいけど……ごめんね。あたし、もう行かなきゃ」


 ブリギッド・モーターのスタッフは全員トレーラーに乗り込んで、スタジアムを後にしようとしていた。残っているのは絵馬を送迎する自動車だけで、マネージャーらしき女性が運転席からこちらを見ている。


 絵馬は再度、そちらに『ごめん』という視線を向けると、


「またね、理緒ちゃん。志之くんは後でね」


 両手を胸の前で振り、走り去っていった。

 彼女を乗せた自動車が消えるまで見送った志之は、理緒に問いただされる。


「『後で』って?」


 アイドル云々が頭をよぎったが、まあ、理緒は口が堅いし、業務上の連絡ということで志之は先ほどのやり取りを明かした。


 全てを聞いた理緒は懐疑的な表情でこちらをじろじろと観察する。


「やけに見込まれちゃったのね」


「さあ。誰にでもああなんじゃないか?」


「かもね。だといいんだけど」


「何がいいんだ?」


「……引き抜きとかあったりして」


 理緒は冗談を言っているようだった。志之も笑って応じる。


「ありえないだろ。こっちはまだ何も結果出してないプレイヤーなんだし、俺はよそでやるつもりなんてまったくない。理由がない」


「よね」


 理緒は大きく安堵の吐息をついた後で、柔らかく微笑む。


「じゃ、あたしたちも帰りましょ」


「そうだな」


 頷くと、どっと疲労感が押し寄せてきたようだった。競技が終わった後でクロムウェルと面接したこともそうだが、神々しい〈クラウ・ソラス〉と、それを乗りこなす絵馬・ルゼットのギャップの激しさにも困惑しっぱなしだ。


 つくづく自分とは縁の遠い世界だ。


 そこからすると、こうして理緒の隣にいると、実に落ち着く。ふたりとも、あるいは立川も、まだ〈ハウンド・ア・バウト〉の世界に片足を突っ込んだだけだ。どっぷりと浸かれば変わるのか。想像できない。


 目を閉じると、まだ鼓膜の中で歓声の残響が続いているようだった。

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