第1章 熱渦の残響
新臨海区:クロムウェルスタジアム
四月の上旬とは思えない熱気だった。
週末のスタジアムは大盛況である。スタンド席は観客で埋め尽くされていた。
観客の視線は分厚い対爆ガラスの表面に流れる。
ガラスは空間を閉じ込めるドーム型に張り巡らされていて、試合情報や中継を映す疑似ホログラムモニターとしても活用されていた。
映像はガラスに投影しているのだが、視覚上はドーム内に立体投影されていて、どの位置からでも正面向きの映像に見える。光屈折の応用である。
立体映像が踊る下、ドームの内部は、建築物全てが工事途中で放棄されたような区画になっている。
それらはガラス一枚を挟んだだけで体感から切り離され、規格外に巨大なジオラマセットにしか見えない。
鉄骨と鉄板のビル。
コンクリート舗装の道路。
鉄板はひしゃげている物や穴だらけの物ばかり。ひどい有様といったら、道路にも抉られたような跡が残されたままで、修復もされずに破片が路上に散乱している。
整備されているとは言い
ここが彼ら、プレイヤーが駆け回るフィールドである。
スタジアムの収容人数はかなりの規模のはずだが、試合開始の直前とあって空席を見つけることのほうが難しい。
音の
熱狂。
これから起こることへの期待。
そんな独特の雰囲気に胸がざわついたのは一瞬のことだ。
「こっちよ、志之」
連れの呼び声で我に返る。
眼鏡をかけたストレートヘアの少女が、ぼうっとしている志之に小首を傾げる。
「どうかした?」
「……なんか驚いた。こういうとこ来るの、初めてだったもんで」
「私もそうよ」
「の割に、
「志之が一緒だからかしら。私が引っ張らないと」
「なんだか犬みたいな扱いだな」
「そんな可愛げないでしょ」
と、
ようやく幼馴染の面影を見せてくれたような気がして、志之も笑みを返す。
ずいぶん変わったな、と思ったのだった。
仲がよかったのは小学生まで。中学に上がってからはなんとなく疎遠になり、同じ高校に進学しても、違う教室で違う人間関係。
それがとある事情で、スタジアム観戦につきあうことになったのである。
頂き物のチケットに指定された席を探すと、ちょうどそこだけがぽっかりと空席になっていた。恐らく、予約殺到、入手困難なチケットだ。
周りに家族連れはいない。ファミリー席は別の方向だ。ここにはカップルが多い。志之は居心地の悪さを覚えながら、そこへ腰を落ち着かせた。
「なあ――」
理緒へ声をかけようとして、どきっとしてしまう。
思った以上に隣との距離が近い。
理緒は売店で買ったプラスチックカップのドリンクを飲んでいた。ストローを咥えた唇が
理緒は、客観的に、あくまでも客観的に見て、美少女だ。
黒縁眼鏡に野暮ったさはなく、知的なイメージをブーストしている。実際、理緒は成績優秀だ。言動も同級生と比べるととても大人である。
一方、志之はというと……いや、あまり触れないでおこう。今は関係のない話だ。
とにかく、普段の理緒はあまり化粧っ気のない少女だ。
それがいわゆるナチュラルメイクというものを完璧にこなしてみせている。
よくよく見れば、服装はネットニュースで活躍している知性派アイドルと同じ出で立ちだ。しかもごくごく最近の。
理緒はストローを咥えたまま、志之が切り出すのを待っていた。
「何?」
「あー、いや、おじさんはよかったのかな」
理緒はちょっと目を逸らしながら、
「言ったでしょ。仕事のほうが立て込んでるから、そっち片づけてから来るって。時間には間に合うから心配ないわよ、多分」
妙に早口で答えた。
「つっても、このチケット……すごく高いんじゃないか? 俺でいいのかなって」
「いいに決まってるでしょ。志之だって関係者なんだから」
「そうなるんだろうけどさ」
理緒に対して距離感を抱いてしまうのは、そのこともあったからかもしれない。
気まずさを覚え、次の話題を探す。が、そもそも共通の話題なんて持たないふたりだ。志之はつい黙り込んでしまったし、理緒もホログラムモニターを眺めてしまう。
そこへ救いの手が差し伸べられた。
ホログラムモニターの表示が一斉に変わり、観客が沸き立つ。
スタジアム全体が震えるような振動に、志之と理緒は図らずも身を寄せた。
《試合開始、十分前です》
スピーカーからアナウンスが流れると、モニター上に変化が起き、ワイドショーじみた演出が入る。志之にとってはなんとなく見覚えのある映像だ。
開幕、女性アナウンサーのアップから始まる。
《さあっ! いよいよ始まろうとしています〈ハウンド・ア・バぁぁウト〉! 〈ビリオネア・チャレぇぇンジ〉っ!》
スーツ姿だが、スタジオスタッフらしからぬハイテンションな調子だ。彼女はもともと名物レポーターなのである。そんなロケットスタートに、理緒は面食らっていた。
《毎度おなじみ! 実況はワタクシ、
《はい、よろしくお願いします》
鳴門アナの隣に座る、温和そうな男性が穏やかな笑みをカメラに向ける。
六条の年齢は三十代後半で、競技を引退したのはほんの数年前だ。二十年に渡る競技人生で数々の輝かしい戦績を残したのち、関係番組や専門誌などの仕事を手広く受けている。
鳴門は席から身を乗り出して六条に話しかける。
《〈ビリオネアチャレンジ〉はみなさんもご存知のとおり、一対一のタイマン試合で七連勝を収めた選手が賞金を獲得できる特別企画です。ところが賞金を手にした者は未だ現れず。現在の賞金はなんと! 約百億円まで膨れ上がっています! とんでもない額ですね!》
《賞金には年々、運営企業のクロムウェル・システム社の提供以外に、多岐に渡るスポンサーの出資を受けていますからね。注目も集まっていることでしょう》
《それだけ毎回の事前イベントも豪華になってきていますねー。なんともまあ夢のある話であります!》
百億円。
志之には想像できない金額だ。自分が欲しい物を全て買ったとして、九割九分は余ってしまいそうである。
現実は、賞金がそっくりそのままもらえるわけではない。税金や、チーム運営費、その他諸々に使われて、個人の手元には数億円しか残らないという。
数億円なら、一流のスポーツ選手の年俸くらいだろうか。儲かっているのかいないのか、よくわからない。
《さあ、先に現れたのは、ユーウェイン重工社所属、
実況席がフェードアウトし、フィールド上空を浮遊していたドローンカメラが急下降する。
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