37缶目 エピローグ


大型ショッピングモールで爆発事故が起こり千人を超える死者が出た。


 テレビや新聞がこの大事件を政権批判に結び付けるアクロバティックなロジックを展開する中、ネットの一部、オカルト関連のサイトだけが普段と違って真実に最も近い記事を報じていた。


 そんな朝、れいはあからさまに疲れの残る顔で、むくりと起き上がった。


 そしてその原因の一端である返り血を浴びまくった廃棄処分確定のコートを気だるげに見やる。


 そこからは、正確にはそのポケットからは、一晩中彼女の眠りを妨げ続けた声がいまだに聞こえていた。


「……カエセ……モドセ……」


 まるで心霊スポットから持ち帰った人形のように呪いの声をあげているのは、昨日彼女の命を守り続けたアイテムだった。


「……だからわかったっていってるでしょ…… ! 今から着替えて酉井とりいさんの家に行くから ! 」


 零は直径5センチ、長さ10センチほどの透明な円筒形のガラスの中に封印されている小さなミイラに向けて怒鳴る。


 やがて乱れまくった彼女の頭頂部が黒いプリンを思わせる中途半端な金髪は少しだけ体裁を整えられ、歯磨きをして、顔を洗い、化粧もせずに外に飛び出す。


 昨日はあまりの疲労から、ショッピングモールを出てすぐパトカーで自宅まで送ってもらったせいで、酉井に返却しそびれたそれを持って。


「……だいたいあんた酉井さんのこと嫌いなんでしょ ? そんなに慌てて戻らなくてもいいんじゃないの ? 」


 数十人目の欠伸あくびを噛み殺しながら、恨めしげな声で零が言う。


「……今日は……特別な日……なの……だから……お願い……」


 どこか女性的な調子で、アイテムは言った。


「……わかったよ」


 零は昨晩の短い眠りの中で見た夢を思い出していた。


 ここではない世界。


 紫色の髪をした若く美しい女性。


 彼女があることをきっかけに王国にクーデターを起こす。


 そしてその罰として、醜いアイテムにされるまでの物語。


 とても悲しい物語を。


 そして彼女が酉井の元に帰りたがるのは、そのことに関連しているような気がした。


 山道を登る途上、街の全景が見えた。


 昨日と変わらない。


 一歩間違えれば、変わっていたかもしれない風景。


 足を止めた彼女に、クラクションが鳴らされた。


「乗っていきませんか ? 」


 振り返った彼女の目に映ったのは、パトカーと懐かしいというにはまだ早すぎる二人の顔。


 すでに汗ばんでいる零に拒絶する理由は何もない。


「……零、あんた『勇者』様に何の用があるの ? 」


 共に生死を賭けたことで、大分距離が縮まった舞由が挨拶もそこそこに、どこか探るような目で問うてくる。


「同伴出勤でもしようかと思って」


 母親のスナックでアルバイトする彼女ならではの返しだ。


「な…… !? 」


「着いたぞ。……噂には聞いていたが、こりゃすごいな……」


 なにか言おうと大きく開いた舞由の口だったが、それより先に発せられた湖山こやまの嘆息がそれを押しとどめたようだ。


 旅館を思わせる大きな玄関に入ると、ちょうど酉井が出てきた。


 白いワイシャツに黒のスラックスだ。


「……なんか学生みたい」


「自宅でどんな格好しようが、俺の勝手だろ…… ! だがちょうど良かった。今からお前の家に行こうと思ってたところだったからな」


「こいつのことで ? 」


 零がポケットから「戦乙女の嘆き」を取り出すと、彼は苦笑する。


 そして三人を誘導するように広い廊下を奥に進む。


 彼が襖を開けると、そこは床の間がしつらえられた大広間で、三十人ほどは余裕をもって座れる広さだ。


 その真ん中に置かれた大きなテーブルの上には、いくつかのグラスと酒瓶が並んでいた。


「……ひょっとして慰労会ですか ? 」


「そうじゃないんだが……すまないな。あんたらも用事があって来たんだろうが、少し待っていてくれ。……今日は特別な日なんだ」


 訝しがる小山にそう言って、酉井は彼らにも椅子を勧めると、零から受け取った「戦乙女の嘆き」をテーブルの上に安置して、その前にグラスを置き、白ワインをトクトクと注ぐ。


 それからすでにテーブル上に安置されていた剣の前のグラスにも、赤ワインをうやうやしく注ぎいれる。


 そして席に着いた彼の前には当然の如く、ストロング系缶酎ハイ。


 広間の大きな窓から、良く晴れた太陽の光が差し込み、グラスの中の小さな酒の海をキラキラと輝かせ、銀色の缶が穏やかに輝いている。


 酉井は目をつぶり、まるで黙祷しているようだった。


 その光の中、その突如として表れた厳かな空気に飲まれた三人の目にうっすらと人影が映る。


 椅子に腰かけ、両手を組んで祈る紫色の髪で白いローブの女性。


 黒い髪の頭を両手で抱え、何かに耐えるように椅子の上で丸くなっている女性。


 それはそれぞれの大切な人を想い、祈っているようであったし、そしてどこかお互いをいたわっているようでもあった。


(ああ、そうだ。今日はきっと三人の祈りの日なんだ。大切な人を亡くした三人の……)



 零は夢の中で見た紫髪の女性が彼女の大切な妹と姪を王族の男に惨たらしく殺されたシーンを思い出す。


 そして若くして妻子を亡くした酉井と、彼と似た悲しみを持つという剣に宿る女神の分霊。


 三人の大切な人を思い、零は静かに手を合わせて祈った。


 どれだけ時間が経ったのだろう。


 不意に窓から差し込む太陽の光が雲に遮られたのか、途切れた。


 ふっと二人の女性の姿が消え、酉井は目を開けた。


 おもむろに彼は無言でストロング系缶酎ハイのプルトップを開けると、軽く掲げて、傾ける。


 爽やかなレモンの香りが、その場の空気を変えていく。


 いつの間にか、二つのアイテムの前に置かれたグラスも空になっていた。


「……待たせたな」


 そう言って酉井は三人の前にもストロング系酎ハイの缶を置く。


「……申し訳ありませんがパトカーで来ているので……」


「いいじゃないすか ! 代行呼べば ! 」


「バカなこと言うな ! パトカーが代行で帰るなんてできるわけが…… ! グッ ! ちょっ……待て…… ! 」


 常識人らしく勤務中のアルコールを固辞しようとした湖山の口に、舞由が彼女の能力を行使して無理やりにそれを注ぎ込む。


 そして自らも缶を呷る。


 これで二人とも運転はできない。


 後は飲むしかないのだ。


「……お前……おぼえとけよ…… ! 」


 覚悟を決めたのか、すわった目で舞由を睨みながら、湖山も缶を呷る。


 零はそんな仲の良い二人を眺めながら、静かに缶を傾け、それから空になった「戦乙女の嘆き」の前のグラスに白ワインをついでやる。


「……ありがとう……ああ……彼女のは……注がなくていい……それは……勇者の……役目……」


 流れで剣の前のグラスに赤ワインを注ぎかけた零はその言葉を受けて、近づいてきた酉井にボトルを手渡した。


「ねえ酉井さん……その剣に宿る女神の分霊は……一度起動させ終わったら、記憶を失うんじゃなかったの ? 」


「最初はそうだったんだが……いつの間にかその制約を徐々に解いてるみたいなんだ……なんでかはわからないが……」


 首をひねる酉井。


「……彼女は……大切な人を失った悲しみを……痛みを……消すために……大切な人の記憶を……全ての記憶を……リセットする呪いを自らに……かけた……でも……それは……間違い……悲しいのは……つらいのは……その人を愛して……いたから……その人の……記憶を消すことは……その人との……大事な……温かな……思い出まで……消すことになる……彼女は……いつまでも……大切な人を……忘れずに……思い出して……祈る……私達を見ているうちに……それに……気づいたのかも……しれない……」


「……そうかもな」


 酉井は少しだけ寂しそうにんで、赤ワインを空っぽのグラスに注ぐ。


 ふと零は昨日、酉井が言っていたことを思い出した。


──いや、昔から酒は死と再生の象徴とされてきたんだ。腐って死んだように見えた穀物や果実が実は発酵していて、酒として生まれ変わることからな……


 彼女が何か言おうと口を開きかけた時、湖山の声が割って入った。


「酉井さん、今日来たのは……あの後、再度調査した存美ぞんび家の報告のためです」


 それに酉井がゆっくりと振り向いた。


「あなたの懸念通り、まだ二体のゾンビが残っていました。主犯『存美作太郎』の母親と妹で、この二人は主犯の父親があの『不死王の針』を使用してゾンビにしたようです。その後、主犯が『不死王の針』を使用してゾンビを増やしていったようですね」


 父親の供述から明らかになったことを報告する湖山。


「そうか……きっと……受け入れられなかったんだろうな……。そして……どうにかして生き返らせようとしたんだろうな……。そこに付け込まれたんだ……」


 どこか寂しげに、酉井は呟いた。


「お待たせしましたぁ ! いやぁ、昨日の混乱のせいか道が混んでて…… ! 」


 そんな空気を全く読まない大きな声が玄関の方から響き、次いでドタドタと重い身体が廊下を走る音が聞こえて来た。


「『不審者』に酒のつまみになる料理を買ってくるように頼んでたんだ。さあ、今日は飲むぞ ! 」


 そう言って酉井は缶を掲げた。


 つられて零も舞由も湖山も。


 自然、それは乾杯の形となる。


 そして宴が始まった。



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